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【京都】大河で話題「豊臣兄弟」秀吉の晩年マイナースポット

<TOP画像:豊国廟>
2026年の大河ドラマ「豊臣兄弟」により、豊臣秀吉や豊臣秀長をはじめとする豊臣ゆかりのスポットが注目を集めています。
今回は、京都の中でも秀吉の晩年に関するスポットが密集するエリアを歩いてきました。観光地が多い京都の中でも、少しマイナーな場所を紹介します。
目次
- 京阪七条から徒歩で行けるスポット
- 京都の秀吉の足跡 その1. 女坂を上って豊国廟拝殿へ
- 京都の秀吉の足跡 その2. 有料エリアは階段を一気に駆け上って目指す豊国廟
- 京都の秀吉の足跡 その3. 明治時代に再興された豊国神社
- 京都の秀吉の足跡 その4. 家康の言いがかりで教科書にも有名な方広寺の鐘
- 京都の秀吉の足跡 その5. 方広寺からの細い道の先にある方広寺大仏殿跡
- 京都の秀吉の足跡 その6. 朝鮮出兵の恩賞は耳と鼻?耳塚(鼻塚)
- 京都の秀吉の足跡 その7. 秀吉を意識?猿の像がいる新日吉神宮
- 豊国神社近くで食べたグルメは修学旅行生御用達
- 京都における秀吉の晩年と憂いが凝縮した穴場スポット
京阪七条から徒歩で行けるスポット
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<京阪特急電車>
京都の豊臣秀吉晩年ゆかりのスポットは、京都国立博物館の周辺に集中しています。最も便利なアクセスは京阪電車・七条駅。大阪方面からは京阪特急で七条駅まで行くとスムーズで、駅から豊国神社までは徒歩10分ほどです。
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<JR京都駅>
大阪以外から来る場合は、JR京都駅からのアクセスが便利です。京都駅前から京都市営バス[106]に乗り、「博物館三十三間堂前」で下車(運賃230円)。そこから豊国神社までは徒歩5分です。
また、豊国廟に直接向かいたい場合は、京都女子大学のプリンセスラインバスを利用する方法もあります。一般利用も可能で、運賃230円。豊国廟入口近くの「京都女子大学前」まで行けます。ただし交通系ICカードは使えないので注意が必要です。
京都の秀吉の足跡 その1. 女坂を上って豊国廟拝殿へ
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<豊国廟の入口前にある女坂>
最初に紹介するのは、秀吉が眠る豊国廟。阿弥陀ヶ峰の山頂にあり、1897(明治30)年の300年忌に再建されました。墳上には巨大な五輪石塔が建てられています。
入口には大きな石灯籠が並び、坂の名前は「女坂」。智積院と妙法院の間にある坂で、かつて京都女子中学校・高校、京都女子大学へ通う多くの女子学生が利用していたことから名付けられたといわれます。
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<階段の上が豊国廟鳥居>
京都女子大学を過ぎると鳥居が見えてきます。その手前に階段があります。
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<豊国廟拝殿が見える>
階段を上がり鳥居をくぐると、奥に豊国廟拝殿が見えてきます。ここから山頂に眠る秀吉を拝むことができます。
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<豊国廟拝殿・ここから先は有料エリア>
拝殿までは無料で参拝可能。奥には山頂へ続く階段があり、ここから先は有料エリアです。
京都の秀吉の足跡 その2. 有料エリアの階段を登って目指す豊国廟
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<豊国廟登拝券200円>
拝殿奥の登拝エリアは有料で、神札授与所で200円を納めて登拝券を受け取ります。山頂までは片道15分ほど。
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<一気の階段>
豊国廟へ続く階段は489段。ほぼ一直線に続きます。手すりはありませんが、整備されているのでゆっくり登れば問題ありません。
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<途中にある唐門>
途中には唐門がありますが、ここは中間地点です。
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<唐門からさらに上った先に>
唐門をくぐると再び階段が続きます。上の方に空が開けて見える場所が山頂、つまり豊国廟です。
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<頂上に鎮座する豊国廟>
山頂に到着。標高196mの阿弥陀ヶ峰山頂に豊国廟があり、中央の五輪塔(御墳墓)は高さ約10mあります。
豊国廟
- 所在地:京都府京都市東山区今熊野北日吉町61
- 公式サイト:京都観光Navi
京都の秀吉の足跡 その3. 明治時代に再興された豊国神社
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<豊国神社入口>
豊国神社は豊臣秀吉(豊国大明神)を主祭神とし、出世開運・厄除招福の御利益があるとされます。境内には秀吉の正室・北政所を祀る貞照神社もあります。
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<伏見城遺構の唐門>
正面に見える唐門は南禅寺金地院から移築されたもので、伏見城の遺構と伝わります。「京の三唐門」の一つで国宝です。
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<唐門から先に拝殿や本殿が見える>
唐門の先には拝殿・本殿がありますが、祈祷や結婚式などを除き立ち入りはできません。一般参拝は唐門から行います。
豊国神社
- 所在地:京都府京都市東山区茶屋町530
京都の秀吉の足跡 その4. 家康の言いがかりで有名な方広寺の鐘
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<方広寺鐘楼>
豊国神社のすぐ隣にある方広寺は、「方広寺鐘銘事件」で知られています。
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<大坂の陣のきっかけとなった有名な鐘の銘>
鐘に刻まれた「国家安康」「君臣豊楽」の文字が、徳川家康への呪詛だとされ、豊臣家を攻める口実となりました。
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<方広寺本堂>
鐘楼の横には本堂があります。元は妙法院門跡の脇寺・日厳院の客殿で、明治初期に移築されました。
方広寺
- 所在地:京都府京都市東山区茶屋町527-2
京都の秀吉の足跡 その5. 方広寺から細い道を進むと現れる大仏殿跡
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<方広寺から大仏殿への道>
方広寺は1595年、秀吉が廬舎那仏(大仏)を安置するために創建しました。かつては東大寺大仏殿のモデルにもなった巨大な大仏殿が存在しましたが、1798(寛政10)年の落雷で焼失しました。
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<方広寺大仏殿跡の説明>
大仏殿は秀吉が建立し、秀頼が完成させたもの。江戸時代には「京の大仏つぁん」と親しまれていました。
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<中は立ち入り禁止になっている大仏殿跡>
現在は跡地のみが残り、敷地内は立ち入り禁止。往時の姿を想像しながら歩ける静かな場所です。
京都の秀吉の足跡 その6. 朝鮮出兵の痕跡・耳塚(鼻塚)
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<耳塚>
豊国神社の手前にある耳塚(鼻塚)は、朝鮮出兵の悲しい歴史を伝える史跡です。
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<耳塚の正面>
朝鮮半島から首級を持ち帰ることが困難だったため、敵将や一般人の耳や鼻を塩漬けにして日本へ運び、検分後に埋葬したとされています。
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<耳塚の上にある塔>
江戸時代には塚の上に五輪塔が建てられました。
耳塚
- 所在地:京都府京都市東山区茶屋町433-1
京都の秀吉の足跡 その7. 秀吉を連想?猿の像がいる新日吉神宮
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<新日吉神宮入口>
豊国廟の手前にある新日吉神宮(いまひえじんぐう)は、後白河上皇によって創建されました。
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<新日吉神宮・楼門>
秀吉との直接の関係はありませんが、戦乱で荒廃した後、江戸時代に再建されました。
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<拝殿への参道>
豊国廟参道を遮るように建てられたことから、江戸幕府が参拝を妨害したという噂もありましたが、実際には根拠がありません。
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<狛犬ならぬ狛猿>
境内には狛犬ではなく「狛猿」がいます。日吉大社の祭神・日吉大神の眷属が猿であることに由来します。
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<江戸時代に密かに秀吉を祀った木下社>
秀吉の幼名「日吉丸」や、信長に「猿」と呼ばれた逸話、若い頃の名「木下藤吉郎」から「木下社(このもとしゃ)」に結びつき、明治に豊国神社が再建されるまで秀吉の御霊を祀っていたと伝わります。
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<新日吉神宮拝殿>
明治時代に豊国廟が再建された際、現在地へ遷座しました。
新日吉神宮
- 所在地:京都府京都市東山区妙法院前側町451-1
豊国神社近くで食べたグルメ「まつ山」は修学旅行生御用達
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<店の入口>
豊国神社や豊国廟の近くにある「まつ山」は、大正時代創業の食堂。にしんそばや鍋焼きうどん、丼物など幅広いメニューがあります。
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<にしんそば(820円)>
リーズナブルな価格で、修学旅行生がタクシーで訪れる昼食スポットとしても人気。訪れた際も、修学旅行生とタクシー運転手が食事をしていました。
まつ山
- 所在地:京都府京都市東山区本町4-142
- 電話:0755610654
京都における秀吉の晩年と憂いが凝縮したおすすめの穴場
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<豊臣秀吉像>
京都の中でも、京阪七条駅の東側には秀吉の晩年や死後に関するスポットが集中しています。
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<豊国神社の絵馬は秀吉にちなんだひょうたん型>
今回紹介したスポットはすべて徒歩圏内で、半日あれば十分に巡れます。2026年の大河ドラマ「豊臣兄弟」で注目が集まる豊臣家ゆかりの地。この機会に訪れてみてはいかがでしょう。
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万代正平
- 旅行が好きな旅人。日本国内は、北海道の網走、道東周辺から沖縄の八重山諸島・与那国島まで47都道府県すべて行ったことがあります。2020年2月までは毎年東南アジアに渡航しており、東南アジア10か国すべて訪問しました。海外では他にヨーロッパ(英国、ベルギー、アイルランド)アメリカ、中国、香港、マカオ、台湾、韓国への渡航経験があります。2020年春以降は、主に国内の旅行を中心に活動しています。



























