【トルコ世界遺産】カッパドキア奇岩絶景、カッパドキア観光完全ガイド

吹雪前夜のカッパドキア。空想の谷と呼ばれるデヴレント渓谷、そして三姉妹の岩に刻まれた愛の伝説を、写真とともにお届けします。

目次

(1) 世界遺産、トルコのカッパドキア地方のデヴレント渓谷

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2024年11月22日(金曜日)、世界遺産、トルコのカッパドキア地方の奇岩の絶景を撮影してきました。天気が悪く、翌日の午後からは雪が降り始め、夜から吹雪になり、何と、大雪警報が出ました。
ウルギュップからアヴァノスへと向かう道の途中にある、デヴレント渓谷は有名なラクダ岩が突然現れます。デヴレント渓谷は、別名「空想の谷」「夢の谷」などと言われ、さまざまな奇岩が見られることで有名です。ここに行くには、ツアーに乗ることをお勧めします。

(2) 世界遺産・トルコのカッパドキア、3姉妹の岩

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Urgupから西へ2.3kmのところの3姉妹の岩に行きました。この奇岩の風景は、火山の噴火によって堆積した凝灰岩が、自然の侵食によって形成されたものです。
「三姉妹の岩」のような奇岩は下層の軟らかい凝灰岩が削られ、その上にある岩石の地層が残ったために、帽子を置いたような奇妙な形になりました。ここで、ガイドさんから聞いた3姉妹の岩の伝説を紹介します。
【ある国の王女がカッパドキアの羊飼いと恋に落ち、子供も授かりましたが、父である王は娘の結婚に反対。駆け落ちを選択した王女と羊飼いを、王が派遣した兵士が追いかけます。逃げきれないと悟った王女は、神に「この苦しみから救ってほしい」と願いました。神は王女の願いを聞き入れ、王女と羊飼い、その子供の3人を石に変えたのです。】

(3) 世界遺産・トルコのカッパドキア・ギョレメの洞窟ホテル

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2024年11月22日(金曜日)から2泊洞窟ホテル、アナトリアンハウス(Anatolian Houses)に泊まってきました。実はギョメレには履いて捨てるほど洞窟ホテルがあります。
洞窟ホテルもピンキリあるようですので、ホテルのカテゴリーはよくチェックすることをお勧めします。また、大抵のホテルにはエレベーターなどはないので、階段を上り下りすることを覚悟してお泊りください。
泊まったホテルは、ギョレメの高台に位置して、岩肌に沿うように建っている洞窟ホテルです。お城を思わせる石造りの建物で、その当時の岩をくりぬいて生活していた様子を体験できます。
客室は全室スイートタイプで、それぞれの部屋でインテリアやレイアウトが異なります。
ベッドが石で作られているなど、伝統的な洞窟の生活を体験してきました。ホテル内には「洞窟プール」やSPAがあり楽しめます。
11月23日(土曜日)は午後から雪がちらほら散見されて、夜には吹雪になって、夜が明けるとカッパドキアは全土が15cmぐらいの積雪があり、一面銀世界になっていました。

(4) 世界遺産・カッパドキアのギョレメ野外博物館

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ギョレメの谷では遠い昔から信仰を共にした共同体の生活が営まれていました。この谷の一帯には、岩山を掘って造られたキリスト教の修道院・教会が残されています。
共同体を組織したのはカイセリの司教でした。彼は時代の浮薄な風潮を逃れて、人里離れたところで広域に分散して修行する小さな宗教的な共同体を組織したのです。
ガイドさんの話によると、嘗て岩石を掘りぬいた365の教会があったとのことです。現在は30の教会が残っています。
荒廃した岩山で目立つのは、小さな換気や採光窓や入口だけです。これは人を避けて信仰生活の意味もあり、11世紀、ビザンチン帝国領内で猛威を振るったトルコ人による迫害から身を隠すためです。この頃に内部のフレスコ画が描かれていました。かなり初期的な素朴なフレスコ画ですが、スポンサーがついた教会ではビザンチン芸術の影響を受けたプロが描いたようなフレスコ画もあります。広大な野外博物館として成立しているこの場所は、全部の教会を巡る時間はツアーでは不可能ですから、事前に教会のフレスコ画の保存状態を確認して訪れることを推奨します。私は闇の教会の内部のみ入りました。ここは全体の入場料の他に、特別に追加入場料が必要です。220トルコルピー、または、ユーロでは6ユーロが必要です。VISA または MASTERのカード払いも可能です。

(5)世界遺産・トルコのカッパドキア・アブジュラールの谷

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2024年11月23日(土曜日)、カッパドキアの奇岩を一望できるスポットで、高台のアブジュラル谷からは美しいローズバレーを背景に数々の奇岩が広がる絶景が楽しめます。この眺望スポットには土産物やトルコアイスの店があったのですが、すべての店が不許可だったので、すべて撤去されています。

(6)世界遺産・トルコ・カッパドキア・パジャパー地区の妖精の煙突(きのこ岩)

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このトルコ旅行で六つ目のきのこ岩の奇岩の谷に行きました。ここまで奇岩を見せられると、珍しい風景ではあるが、少々飽きてきていて、もっと他の風景はないのか?という気持ちにもなります。
カッパドキアにあるパシャバー(Paşabağ)地区は、きのこのような「妖精の煙突」と呼ばれる奇岩群が並ぶ有名な場所です。土曜日とあって、外国人は少なめですが、トルコの学生が各地から見学に来ていました。
ここにある3つ頭のきのこ岩は、かつてキリスト教の修道士の隠れ家として使われていたもので、今も内部を見学できます。また、パシャバー地区は、日の出や日没時に美しい光景が眺められる場所としても有名ですが、昼過ぎに行ったので、こんな写真になりました。

(7)いつもの余談です。


カッパドキア・ヒッタイト大研究 ――鉄と戦車が生んだ古代オリエントの覇者
トルコ人のガイドさんは、説明の中でごく自然に「ヒッタイト」と口にします。
その語り口は、まるで私たちが「大和朝廷」と言うほど当たり前。
けれども日本人にとってヒッタイトは、世界史の教科書のどこかに確かに載っていた――そんな"記憶の彼方の文明"ではないでしょうか。鉄を使った、戦車がどうとか......と、知識はどこか曖昧です。
この小さな温度差が、旅の面白さでもあります。
そこで今回は、ガイドさんの情熱に敬意を表しつつ、あのヒッタイトにあらためて光を当ててみたいと思います。
教科書の片隅から、古代オリエントの主役へ。
ささやかながら、ここにヒッタイト研究発表を始めます。奇岩群と気球の風景で知られるトルコ中部のカッパドキア。しかしこの地は、単なる絶景観光地ではない。ここは紀元前2千年紀、古代オリエント世界の勢力図を塗り替えた国家――ヒッタイト帝国の中核地域でありました。
ヒッタイトの首都は現在のボアズカレ近郊にあるハットゥシャ。カッパドキアから北へ広がるアナトリア高原に築かれたこの都は、堅固な城壁と獅子門で知られ、当時すでに高度な国家体制と官僚制度を備えていた。ヒッタイトは楔形文字を用いて外交文書や法律を整備し、軍事だけでなく統治機構においても先進的な文明を築いていました。
鉄の技術と軍事革命
ヒッタイトを語るうえで欠かせないのが「鉄」です。
しばしば「人類最初の鉄の武器を持った民族」と紹介されるが、より正確には、鉄の精錬技術を体系的に発展させた最初期の国家といえます。
当時の主流兵器は依然として青銅製であったが、ヒッタイトはアナトリアに存在した鉄鉱石資源と森林資源(木炭)を活用し、鉄加工技術を蓄積していった。鉄は希少で、王族や神殿への献納品として扱われるほど貴重だったが、その技術的優位は後の鉄器時代到来への重要な橋渡しとなりました。
しかし、ヒッタイトの軍事的優位を決定づけたのは鉄そのものよりも、馬に牽かせた戦車部隊でありました。
カッパドキアと馬の供給
カッパドキアを含む中央アナトリア高原は、古来より良質な馬の産地でありました。広大な高原地帯は牧畜に適し、機動力に優れた戦車戦術を支える基盤となった。ヒッタイト軍は二人または三人乗りの戦車を編成し、機動力と衝撃力を兼ね備えた部隊で周辺諸国を圧倒したのでした。
この戦車軍団により、ヒッタイトは小アジアからシリア方面へ勢力を拡大し、ついには当時の超大国エジプトと激突します。
エジプト遠征とカデシュの戦い
紀元前1274年、ヒッタイト王ムワタリ2世は、シリアの要衝カデシュを巡ってエジプト軍と対峙した。エジプト側を率いていたのは第19王朝のファラオ、ラムセス2世であす。
この衝突は歴史上名高いカデシュの戦いです。両軍あわせて数千台規模の戦車が投入されたとされ、古代世界最大級の戦車戦となりました。エジプト側の記録ではラムセス2世の勝利が誇張されているが、実際には決定的勝敗はつかず、戦略的にはヒッタイトがシリア支配を維持したと考えられています。
世界最古級の平和条約
戦いから約15年後の紀元前1259年、ヒッタイト王ハットゥシリ3世とラムセス2世の間で画期的な外交文書が交わされました。それがエジプト・ヒッタイト平和条約です。
この条約は、
• 相互不可侵
• 亡命者の引き渡し
• 同盟協力
などを明文化しており、現存する世界最古級の国際平和条約とされています。完全に「人類史上初」と断定することはできないものの、両国双方に条文が残り、外交合意として体系的に保存された例としては最古級です。
その意義は現代においても高く評価されており、条約文の複製はニューヨークの国際連合本部にも掲げられています。
武力衝突の果てに対話と合意へ至ったこの出来事は、古代世界における国際政治の成熟を象徴しています

地下都市と防衛の知恵
ヒッタイト滅亡後も、カッパドキアは歴史の表舞台から消えることはなかった。火山灰が固まった凝灰岩の地形は、掘削が容易でありながら外敵に対して堅牢でした。
代表例がデリンクユ地下都市です。地下数十メートルに及ぶ空間には居住区、貯蔵庫、教会、換気坑まで備えられ、ローマ帝国後期からビザンツ時代にかけて、外敵侵入時の避難拠点として活用されました。
一部には「山賊の隠れ家」との伝承もあるが、歴史的に確認される主用途は、ペルシャ軍やアラブ軍の侵攻から住民を守るための防衛施設です。奇岩の谷と地下都市は、単なる景観ではなく、生存のための戦略的空間でした。
鉄と対話が刻まれた大地
カッパドキアは、奇岩群や熱気球の風景だけでは語り尽くせません。
この地は、
• 鉄の技術を育み
• 戦車軍団を送り出し
• 超大国エジプトと激突し
• そして対話による和平を選んだ
文明の舞台でした。
荒涼とした大地に立つとき、そこには単なる自然の造形を超えた時間の層が横たわっている。鉄と馬と外交文書――。
カッパドキアとは、武力と知性がせめぎ合い、やがて「合意」という概念を生み出した古代史の交差点なのです。
絶景の奥に潜むこの重層的な歴史こそが、カッパドキアを単なる観光地ではなく、「文明の原点を考える場所」へと昇華させているのです。

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2003年より2011年までイタリア、2014年から2017年まで英国にいました。

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