中世に繁栄を極めたヴォーセル僧院とカンブレ|フランス

ヨーロッパならではの観光スポットの定番には、お城や教会のほか、僧院や修道院も忘れられません。フランスの場合、今も修道士や修道女らの共同生活の場として機能する僧院・修道院は約100か所あると言われていますが、すでに修道院としては使われていないものはその10倍以上あるのです。

美術館や博物館として生まれ変わった建物も少なくありません。今日はそんな元僧院のひとつ、フランス北部のヴォーセル僧院を紹介します。

目次

クレルヴォーの聖ベルナール

道路側から見たヴォーセル僧院
<道路側から見たヴォーセル僧院 ©Kanmuri Yuki>

ヴォーセル僧院は、パリからまっすぐ北に約180kmのあたりに位置します。この僧院を1132年にエスコー川のほとりに建てたのは、のちに列聖されることとなった修道士、聖ベルナールです。

齢(よわい)25にしてクレルヴォー修道院長となった聖ベルナールは、38年に及ぶ僧院生活の中で、68カ所の僧院創設に尽力したと言われます。

ヴォーセル僧院はそのうちのひとつです。おそらく欧州の僧院を訪れた方は少なからず「クレルヴォーの聖ベルナール」の名を耳にしたのではないでしょうか。それくらい重要な人物でもあります。

僧侶の建物の内部
<僧侶の建物の内部 ©Kanmuri Yuki>

僧院の生活の中核は、祈りと労働です。基本的に自給自足で、敷地内の畑を耕し、家畜を飼い、チーズやワインなどを製造していました。また、巡礼者の宿泊先としても利用されていました。

ヴォーセル僧院の果樹園
<ヴォーセル僧院の果樹園 ©Kanmuri Yuki>

ヴォーセル僧院が最も活発だった黄金時代は13世紀です。当時は約140人の修道士と、300人の助修士がここで暮らしていました。助修士というのは、僧院・修道院において、畑仕事や生活に関わる諸々の仕事を行う人々のことを指します。

シトー派最大の僧院

身廊があった場所に建つ柱
<身廊があった場所に建つ柱 ©Kanmuri Yuki>

13世紀末には、建物も増え、回廊が二つ、また大聖堂に匹敵する規模の教会を備える僧院になりました。中でも教会入り口から祭壇までの身廊は、なんとパリのノートルダム寺院よりも大きなものであったことがその後の発掘調査で確認されています。

余談ですが、フランスのレオナルド・ダ・ヴィンチと呼ばれることもあるレオナール・ド・オンヌクールは、ヴォーセル僧院近くの町に生まれています。生年ははっきりしませんが、1220年頃から1250年頃亡くなるまでに、美術、建築、動植物、機械などの精巧なデッサンメモ『画帖』を残したことで知られます。

この画帖には、ヴォーセル僧院の教会平面図も含まれていて、これは1220~1225年頃描かれたとみられています。

廃墟からの復活

庭の地面には、教会の壁があった場所がマークされている
<庭の地面には、教会の壁があった場所がマークされている ©Kanmuri Yuki>

一時はそれほどに発展したヴォーセル僧院でしたが、100年戦争や、フランス革命で大きな打撃を受けました。特にフランス革命時には修道士たちはすべて僧院を追われ、遠くドイツに逃れた者もいました。教会は破壊され、石は売りに出されました。

ヴォーセル僧院の教会にあったという美しい祭壇は、現在、僧院から10kmほど北方にあるカンブレに置かれています。ヴォーセル僧院の受難はそれだけでなく、その後の世界大戦においても占領したドイツ軍が最後に火をかけるなどして、ほとんど廃墟と化してしまいます。

中庭から見たヴォーセル僧院、左が僧侶の建物、奥が18世紀の邸宅
<中庭から見たヴォーセル僧院、左が僧侶の建物、奥が18世紀の邸宅 ©Kanmuri Yuki>

けれども、その後所有者となった個人や、ボランティア有志たちの努力により、少しずつ修復が進みます。さらに、2017年にはヴォーセル僧院は県の所有となり、一般公開が始まりました。時期によっては、ピアノコンサートや蘭の展覧会などにも活用されています。

現在残っているのは、12世紀の初めに建てられ、修道士たちが寝泊まりや書写の作業などを行った「僧侶の建物」と、18世紀に建てられた邸宅のみですが、広い緑地には、柱や壁の位置がマークされ、教会の規模がわかるようになっています。

たわわな林檎たち
<たわわな林檎たち ©Kanmuri Yuki>

隣接する庭園は、果樹園と菜園で構成されていてところどころにベンチもあり散策におすすめです。私が訪れた時はちょうどリンゴや梨、葡萄がたわわに実っていて良い香りが漂っていました。

僧院の庭はピクニックも可能ですので、気候の良い時期に、お弁当を持って訪ねるのも良いでしょう。

ヴォーセル僧院

  • 所在地:Hameau de Vaucelles, Les Rues de Vignes, 59258, France
  • 電話:+33(0)3 59 73 14 98
  • 営業時間:火~金曜 10:30~17:30、土日祝 10:30~18:00
  • 定休日:月曜
  • 料金:大人8ユーロ、学生と18歳未満は6ユーロ、3歳未満は無料、毎月第一日曜は誰でも無料
  • 公式サイト:ヴォーセル僧院

中世には文化の中心のひとつに数えられたカンブレ

ユネスコ世界遺産に登録されているカンブレの鐘楼
<ユネスコ世界遺産に登録されているカンブレの鐘楼 ©Kanmuri Yuki>

フランス革命の時、ヴォーセル僧院を追われた修道士の中には、10kmほど北方にあるカンブレの教会に難を逃れた者も少なくなかったと言います。

カンブレは、今でこそひっそりとした地方都市ですが、中世にはカンブレ大司教座がおかれ、絶大な権力を誇った町です。大聖堂は当時の音楽文化の中心であり、ヨーロッパ中から有名な音楽家が訪れる場所でした。

残念ながらその当時の大聖堂は18世紀末、フランス革命の後に解体されてしまい、いまはその姿を偲ぶことはできません。

17世紀のイエズス会の礼拝堂
<17世紀のイエズス会の礼拝堂 ©Kanmuri Yuki>

それでもカンブレには、今もなお歴史的建造物が点在しています。例えば、15世紀に建てられた聖マルタン教会の塔であった鐘楼、17世紀に完成したバロック式建築であるイエズス会の礼拝堂、また、町を取り巻いていた城壁の名残である14世紀の重厚なパリ門といった具合です。

福岡との意外な縁

カンブレの恵みの聖母大聖堂
<カンブレの恵みの聖母大聖堂 ©Kanmuri Yuki>

元の大聖堂が失われたあとは、18世紀に建てられた教会が、カンブレ大聖堂として機能しています。上述のイエズス会の礼拝堂とは、ヴィクトワール通りを挟んで、対峙する位置にあたります。

1928年にティリ―司教がカンブレ大司教に宛てた手紙と当時の写真
<1928年にティリー司教がカンブレ大司教に宛てた手紙と当時の写真 ©Kanmuri Yuki>

私もカンブレ大聖堂を訪れるまで知らなかったのですが、実はカンブレは日本の福岡と浅からぬ縁で結ばれています。というのは、1927年に福岡教区が置かれた時、最初の司教となったのが、カンブレ出身のフェルナン・ティリー司祭だったからです。

カンブレ大聖堂に置かれた『恵みの聖母』イコン
<カンブレ大聖堂に置かれた『恵みの聖母』イコン ©Kanmuri Yuki>

同教区が2027年に100周年を迎えることもあり、聖堂内には、カンブレと福岡教区の縁を説明するさまざまな文書や写真が展示されていました。カンブレ大聖堂の『恵みの聖母』イコンの複製も、福岡大聖堂に置かれていると写真入りで説明されています。

恵みの聖母大聖堂(カンブレ大聖堂)

  • 所在地:Avenue de la Victoire, 59400, Cambrai
  • 電話:+33(0)3 27 81 34 71
  • 見学可能時間:9:00~18:00
  • 閉館日:日曜
  • 料金:入館無料
  • 公式サイト:カンブレ観光局

ヴォーセル僧院もカンブレも寄り道するほど王道の観光スポットとは言えませんが、歴史や宗教史に興味のある方には興味深い場所だと思います。天候の良い季節ならなおのことおすすめです。

(冠ゆき)

関連記事

フランス」に興味わいてきた?あなたにおすすめの『フランス』旅行はこちら

※外部サイトに遷移します

Related postこの記事に関連する記事

Rankingフランス記事ランキング

ランキングをもっと見る

この記事に関連するエリア

この記事に関連するタグ

プロフィール画像

冠ゆき

山田流箏曲名取。1994年より海外在住。多様な文化に囲まれることで培った視点を生かして、フランスと世界のあれこれを日本に紹介中。

Pick upピックアップ特集

全国の動物園&水族館 徹底取材レポート特集!デートや家族のおでかけなど是非参考にしてみてください♪

特集をもっと見る

たびこふれメールマガジン「たびとどけ」
たびこふれサロン

たびこふれ公式アカウント
旬な情報を更新中!