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映画「ダ・ヴィンチ・コード」に登場する彫刻の美しいロスリン礼拝堂で謎解きを楽しみませんか?
ロスリン礼拝堂は、 スコットランドのエジンバラ近郊にある15世紀に建てられたゴシック建築の美しい礼拝堂です。
ロスリン礼拝堂は、内部の壁と天井一面に、そして外部にもたくさん彫刻が施されている荘厳な礼拝堂です。それぞれの彫刻がユニークで、その彫刻にまつわる伝説が多く生まれ、この礼拝堂をより神秘的な存在にしています。
1842年にヴィクトリア女王が訪れた際、その建築と彫刻の美しさから国の宝として保存すべきとおっしゃったことから、保存活動が始まった歴史があるまさにスコットランドの秘宝です。
礼拝堂の中にある無数のミステリアスな彫刻は、その謎を読み解こうと人々の想像を生みました。そして2007年に公開されたハリウッド映画「ダビンチコード」で、聖杯を求めて主人公が訪れる礼拝堂として登場し、ロスリン礼拝堂は一躍世界的に有名になりました。
美しくミステリアスなロスリン礼拝堂の魅力と、ダ・ヴィンチ・コードの舞台となったロスリン礼拝堂の彫刻にまつわる謎解きをご紹介します。
目次
ロスリン礼拝堂とは
<ロスリン礼拝堂の後景>
ロスリン礼拝堂は、エジンバラ中心街から車で30分くらいのロスリン村にあるゴシック建築の礼拝堂です。
ロスリン礼拝堂は、ノルエー出身のスコットランド北端オーク諸島の貴族、第11代ロスリン男爵であるウィリアム・セントクレア卿によってセントクレア家の私用のカトリックの礼拝堂として1446年に建設が始められ、40年にわたって多くの石職人により作りあげられました。
16世紀の宗教改革により礼拝堂として使われなくなり廃墟化していましたが、18世紀にはいり、英国の国民的詩人ロバート・バーンズが、緑深いロスリン峡谷にあるセッティングの美しさとそして石細工の神秘性に魅了され作品を書いたことから、多くの作家、画家など芸術家がロスリン礼拝堂にインスピレーションを求め訪れました。訪れた芸術家には、画家のJ.M.W. ターナー、アレクサンダー・ナスミス、そして文学者のサミュエル・ジョンソン、作家のジェイムズ・ボズウェル、詩人のウィリアムそしてドロシー・ワーズワースなど著名な芸術家の名が連なっています。
1842年のヴィクトリア女王の訪問を機にロスリン礼拝堂の保存活動が始まりました。
そしてロスリン礼拝堂が世界的に有名になったのは、2003年にダン・ブラウンの書いた小説「ダ・ヴィンチ・コード」です。その小説が映画化され、謎解きのクライマックスシーンにこの礼拝堂がでてきたことにより、世界中の人々に知られることとなりました。
ロスリン礼拝堂の魅力:石のタピストリーと呼ばれる彫刻の宝庫
<ロスリン礼拝堂の中にあるレイディーチャペル>
ロスリン礼拝堂は、石のみで建てられた礼拝堂です。天井から壁に埋め尽くすように彫刻が施されているため「石のタピストリー」、「石の詩」などと呼ばれています。
数限りなくあるユニークな彫刻やレリーフの意味については記録されたものがなく、全ては後世の人々の解釈です。「ダ・ヴィンチ・コード」では、この礼拝堂が聖杯の隠された舞台として登場しているように、ミステリアスな彫刻から、数々の伝説が生まれ、多くの人々の想像をかきたててきました。
その謎深い代表的な彫刻をご紹介します。(残念ながら、現在礼拝堂の内部の写真は撮影することが認められていないため、フリー画像とその他はパンフレットから撮影したものとなります。)
石彫刻の天井
<彫刻で埋め尽くされた天井>
天井には5つのセクションがあり、各セクションには、ヒナギク、百合、薔薇、スコットランドの花そして星の彫刻のパネルが詰められています。
弟子の柱
<彫刻の素晴らしい弟子の柱>
ロスリン礼拝堂の彫刻で一番の見どころと言われる柱です。
螺旋系の装飾が見事で、上から下まで装飾があります。柱の下にある装飾は8匹の龍といわれています。石工の師匠がローマの柱をモデルに柱を制作することとなり、ローマに視察に出かけている間に、天啓を受けた弟子が素晴らしい柱を完成させました。弟子の作った柱を見た師匠は嫉妬からハンマーで弟子を殴り殺してしまい、その師匠は絞首刑となったという伝説があります。弟子の橋の横には師匠の柱があり、装飾の違いは明らかで、この伝説が生まれた背景を感じます。
また、この柱の反対側にある3つの顔の彫刻が、この伝説にまつわる師匠、弟子の母親、弟子の顔であるとされるのは不気味です。
緑の男 (グリーンマン)
<パンフレットの表紙にある一番保存状態のよいグリーンマン>
ロスリン礼拝堂には 110を超える緑の男が彫られています。 緑の男の彫刻は、緑が口から生えている人間の顔です。 緑の男はケルト神話の再生の象徴であり、自然の成長と豊穣を象徴していると考えられています。
異国の草花
<とうもろこしの彫刻>
ロスリン礼拝堂には異国の植物のレリーフが多くあります。
例えば、北アメリカで育つ植物のとうもろこしやエンレイソウ、インドからもたらされたと考えられているアロエの彫刻があります。礼拝堂が建設されたのは1492年のコロンブスの新大陸発見以前ですので、新大陸にしかない植物のモチーフの彫刻がすでに施されていることはロスリン礼拝堂のミステリーの1つとされています。ロスリン礼拝堂のトークで、これはセントクレア家がバイキングの出身だから考えることが一番信憑性があると説明されました。
さまざまな顔
<創始者のウイリアム・セントクレア(パンフレットより)>
礼拝堂の中には、創始者のウイリアム・セントクレアのものと考えられる顔の彫刻がいくつかあり、またロバート・ザ・ブルース(ロバート1世)のデスマスクと言われるものなど様々な顔を見つけることができます。
天使
<ショームという中世の笛を吹く天使(外壁)>
天使が逆さになっている堕天使、セントクレア家の十字架を掲げる天使、ロバート1世の心臓をもつ天使、そして色々な中世の楽器をもつ天使などがあります。1番ユニークで人気のある天使は、バグパイプをもつ天使です。
キリスト教にかかわる彫刻
<7つの美徳のレリーフ(パンフレットから)>
7つの原罪と7つの美徳のレリーフ、キリストの磔、キリスト降誕など様々なキリスト教のレリーフがあります。
礼拝堂の外の彫刻もまたユニークです。
ガーゴイル
<礼拝堂の外部にたくさんあるガーゴイルの1つ>
ガーゴイルは屋根や壁に溜まった雨水を口から落とす排水口で、ロスリン礼拝堂にはたくさんあります。
ガチョウを抱える農婦
<ガチョウを抱える農婦>
お腹の空いた狐からガチョウを守っている農婦といわれるユニークな彫刻です。
ラクダ
<ラクダの彫刻>
小尖塔
<屋根にたくさんある小尖塔>
礼拝堂の屋根にはゴシック建築の代表的な特徴であるたくさんの小尖塔があります。
ダビンチコードとの関係
ダビンチコードの中で何故ロスリン礼拝堂が聖杯の場所として登場したのかというと、それは、ロスリン礼拝堂が、ミステリアスな彫刻で埋め尽くされいるまさに謎だらけの礼拝堂だからです。
1980年代後半からこの礼拝堂は様々な推測により、テンプル騎士団と聖杯、フリーメイソンとの関係に関する理論が語られるようになり、礼拝堂にある地下室には、イエス・キリストのミイラ化した頭、聖杯、テンプル騎士団の宝、またはスコットランドの元の王冠が隠されているなどいろいろなことが書かれるようになりました。
そして、ダン・ブラウンのベストセラー小説「ダ・ヴィンチ・コード」(2003)、そして2006年の映画化で、この推論が際立って取り上げられることになったそうです。残念ながら、中世の歴史家はこれらの推論には実際には根拠がないと結論づけていて、またロスリン礼拝堂の保存会自体も多くを否定しています。
このような推論のもとになったのは、テンプル騎士団やフリーメイソン関わると思われるような様々なシンボルが礼拝堂にあると考えられたからです。
テンプル騎士団とのつながり
テンプル騎士団が聖杯を保存しているという伝説が、ダ・ヴィンチ・コードで聖杯がロスリン礼拝堂にあると考えられた結びつきです。
テンプル騎士団は、中世ヨーロッパで活躍した騎士修道会です。創設は1096年の第1回十字軍後の1119年で、エルサレムへの巡礼に向かう人々を保護するために設立されました。このテンプル騎士団に、ロスリン礼拝堂を建設したウィリアム・セントクレア卿が属していたという話があります。
その根拠とされるシンボルが、セントクレア家の紋章である波型の十字架で、この十字架はたくさん礼拝堂彫られています。そして、テンプル騎士団の紋章に登場する「1頭の馬に乗った2人のライダー」や「悪魔バフォメット」の彫刻もテンプル騎士団を暗示しているとされています。
テンプル騎士団はロスリン礼拝堂が建てられる150年前に消滅していますが、その後もロバート1世が支配するスコットランドで存続し続け、スコットランドを独立に導いたバノックバーンの戦いでのロバート1世の勝利に貢献し、その報酬としてテンプル騎士団に土地と称号を与えたという伝説があります。これがセントクレア家と考えられているのです。
史実としてわかっていることは、セントクレア家はロバート1世に忠実で、 第7代ロスリン男爵であるヘンリー・セントクレア卿は、バノックバーンの戦いで 2人の息子と共に戦いました。 ロバート1世が亡くなったとき、その遺言に従い2人の息子は、ブルース1世の心臓を聖地エルサレムに運ぶ任務を与えられたといわれています。天使がロバート1世の心臓を持っている彫刻がこのシンボルといわれています。
そのため、セントクレア家とテンプル騎士団が結びつく伝説が生まれました。
波型の十字架
<ギザギザの十字架>
テンプル騎士団の紋章である正十字といわれていますが、セントクレア家の紋章です。
1頭の馬に乗った2人のライダー
<立派なウィリアムと題される彫刻(パンフレットから)>
この彫刻は、ロスリン礼拝堂の説明では、ウィリアム・セントクレア卿が1070年にスコットランド王マスコム・カンモアと結婚するマーガレット王女を護衛している彫刻とされていますので、同じ彫刻ですが、違う解釈があることとなります。
悪魔バフォメット
<悪魔と愛人たちと題された彫刻(パンフレットから)>
バフォメットは、テンプル騎士団が異端審問の際に崇拝しているのではないかと疑惑を持たれた異教の神です。黒ミサを司る、山羊の頭を持った悪魔とされます。
フリーメイソンとのつながり
テンプル騎士団と深いつながりがあると言われているのが、フリーメイソン(Freemasonry)で、フリーメイソンの起源はテンプル騎士団という説があります。
フリーメイソンは、13世紀末に誕生した石工ギルドにその起源をたどり、現代まで続く世界最古の秘密結社と言われています。
一説によると、ロスリン礼拝堂を作るために集めたフランス人石工たちとの密約を確かなものにするために作ったギルドがその始まりだと言われ、フリーメイソンはこのロスリン礼拝堂から始まったのだと結論付ける人もいるほどです。
ロスリン礼拝堂の公式サイトに「第16代ロスリン男爵のウィリアムサンクレア卿は、1441年にジェームズ 2世によって付与されて以来、スコットランドのグランドマスター・メイソンの地位がセントクレア家に受け継がれてきたことを認め、スコットランドのフリーメイソンから 1630 年の憲章を付与されました。」とあります。つまり、ロスリン礼拝堂を建設した第11代ロスリン男爵のウィリアム・シンクレア卿がスコットランドのグランドロッジの最初のグランドマスターだったということとなり、グランドマスターの地位が代々セントクレア家に受け継がれてきたことを認められたこととなります。しかし、ロスリン礼拝堂のサイトでは、「この憲章は、セントクレア家をスコットランドで活動する石工の技術の「後援者および保護者」として認めたものであり、象徴性に関して現代のフリーメイソンとは何の関係もありません。」としています。
実際スコットランドには今でも中世から続くさまざまなギルドがあります。以前の記事のディーンビレッジをご紹介した際にも、パン職人のギルドがあることをお話ししました。
ここでいくつかのフリーメイソンのシンボルとされる彫刻とご紹介します。
堕天使
<堕天使(パンフレットより)>
逆さに吊るされ、縄で縛られた堕天使ルシファーは、フリーメイソンの儀式において重要とされています。
柱の間を目隠しをして通る男
<目隠しされた男(外部)>
フリーメイソンの入会の儀式を描いているといわれます。
定規とコンパス
<定規とコンパスの彫刻>
フリーメイソンのシンボルの定規とコンパスの彫刻といわれています。
五芒星
礼拝堂の天井にあるたくさんの装飾の1つがフリーメイソンのシンボルの五芒星という説があります。
まとめ
<ロスリン城の廃墟>
いかがでしたでしょうか?
ロスリン礼拝堂は、私が訪れたことのある礼拝堂の中でも本当に美しいと思いました。そして、無数にある彫刻を見てその意味を理解しようとしているとまさに謎解きとなり、あっという間に時間が過ぎてしまいました。
この謎だらけの美しい礼拝堂は、多くの芸術家のインスピレーションのもととなり、ダ・ヴィンチ・コードにでてくる数々の伝説が生まれたことに納得します。1回の訪問は90分単位で案内されますが、たくさんの彫刻を探しながらみて、ガイドによるおはなし(入館料に含まれています)を聞くとあっという間に終わってしまいました。
ロスリン礼拝堂はロスリン渓谷の上にあります。礼拝堂訪問のあとに緑深いロスリン城の廃墟を訪れてみてください。ロバート・バーンズなどの芸術家たちのインスピレーションとなった景色が見られます。
エジンバラを訪れる際には、ぜひロスリン礼拝堂を訪れ謎解きをしながら中世に思いを馳せてください。
ロスリン礼拝堂(Rosslyn Chapel)
- 住所:Rosslyn Chapel, Chapel Loan, Roslin, Midlothian, EH25 9PU
- 電話:+44-131 440 2159
- 開館時間:午前9時から午後5時 (日曜日は12時から午後5時)
- 公式サイト:ロスリン礼拝堂
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Sachiko
- 名古屋市出身、海外滞在歴30年、38カ国490以上の都市を訪れました。多趣味で、アート系のクラッシック鑑賞、バレエ・ダンス鑑賞、美術鑑賞、アンティーク収集から、スポーツ系のテニス・ダイビング、グルメまで色々なことが好きですので、様々な視点で皆様に旅の楽しさがお伝えできればと思っています。捨て猫2匹をインドネシアで拾い、日本まで連れてきました。