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ベルリンに残る美しい廃線。ヴァンゼー・シュターンスドルフ線
ドイツの首都であるベルリンには東西陣営の対立により「ベルリンの壁」が築かれ、壁によって街は2つに引き裂かれていました。1989年に「ベルリンの壁」は崩れ落ち、ドイツは再び一つの国に戻ります。今ベルリンを訪れれば、壁があったことが信じられないほど、その名残を感じることはありません。ですが、今でも東西ドイツの分裂を強く感じさせる場所があります。それは「ベルリンの壁」によって廃線となった鉄道の路線です。
今回はドイツ分裂の影響を受けたヴァンゼー・シュターンスドルフ線の紹介をしたいと思います。
目次
- わずか4kmだったヴァンゼー・シュターンスドルフ路線
- ベルリンの壁によって廃線となった路線
- ドライリンデン駅に残るプラットホーム
- アーチ型の橋と今も残る線路
- 自然に埋もれた終着駅
- 多くの人を惹きつけるヴァンゼー・シュターンスドルフ路線
わずか4kmだったヴァンゼー・シュターンスドルフ路線
ベルリンの南西部には広大な湖ヴァンゼーが広がっています。ベルリンでは保養地として知られる湖ですが、その南側には「ズードゥヴェストキルへホフ・シュターンスドルフ(Südwestkirchhof Stahnsdorf)」と呼ばれる非常に広大な墓地があります。
ヴァンゼーには多くの列車が停車する駅があり、そこと墓地を結ぶ形で敷かれたのが、ヴァンゼー・シュターンスドルフ路線でした。延伸計画があったとはいえ、1913年に開通した路線は距離にして僅か4km、始発駅と終着駅の間には一つの駅しかない非常に短い路線だったのです。
ベルリンの壁によって廃線となった路線
1945年に第二次世界大戦が終わると、この短い路線は墓地と主要な駅を結ぶだけではなくなり、それ以外のものを繋ぐことになります。墓地は東ドイツの領域に、そしてヴァンゼー駅は西ドイツの領域となり、西ドイツと東ドイツを繋ぐ路線となったのです。
東西ドイツ分裂後も国境検査を行うことで運行されていた路線でしたが、1961年にその歴史にピリオドが打たれます。1961年8月13日に「ベルリンの壁」が築かれると共に列車の運行が停止されたのです。そして2度と列車は走ることなく廃線となったのです。
ドライリンデン駅に残るプラットホーム
廃線となったヴァンゼー・シュターンスドルフ路線ですが、多くの遺構が残されており、かつての姿を思い起こすことができるでしょう。
その一つが短い路線の中間に設置されてたドライリンデン駅です。こちらには駅のホーム部分とそこへと繋がる階段が残されています。線路は既に取り外されており、そこには木々が枝葉を伸ばしています。ですが、線路の下に敷かれていた砕石が残されており、ここに線路が敷かれて、その上を列車が走っていたことに気付かされるでしょう。
アーチ型の橋と今も残る線路
こちらの廃線のハイライトとも言えるのが、東西ドイツ境界近くにあるケーニッヒスヴェッグにかかる橋周辺の遺構です。こちらの橋の下には今も数十mにわたって線路が残されており、列車が走っていた当時のことを簡単に思い起こすことができるのです。
このような残された線路とアーチ型の橋は他の廃線では見られないような絵になる風景を生み出しています。それはベルリンで最も美しい廃線が生み出す風景と言えるかもしれません。
自然に埋もれた終着駅
終着駅であるシュターンスドルフ駅にも往時の姿を感じさせるものが幾つか残されています。こちらではプラットホームの姿を確認することができるでしょう。ホーム上に伸びる木々を見ると、その大きさから運行されなくなってどれほどの年月が経ったかを感じることができます。人々の営みの痕跡がゆっくりと自然の中に埋もれていくのを見てとることができるのです。
また往時のものだけでなく記念碑として鉄道の信号が設置されており、今も鉄道との繋がりを強く感じさせてくれるでしょう。
多くの人を惹きつけるヴァンゼー・シュターンスドルフ路線
ヴァンゼー・シュターンスドルフ線は街の中心部から離れており、ほとんど整備されていない廃線です。公共交通機関で簡単に訪れることができず、訪れるには時間がかかります。そのため一般的な観光地では全くありません。ですが、東西ドイツの分裂という歴史との繋がり、そしてロマンを感じさせる多くの遺構は今も多くの人を惹きつけています。鉄道が好きでベルリンを訪れるのであれば、ぜひ訪問をおすすめしたい場所です。
>>ヴァンゼー・シュターンスドルフ線関連サイト(ベルリン市のハイキング案内)はこちら
※整備されていない廃線です。ハイキングができる服装で訪れてください。また立ち入り禁止箇所もありますので、ルールに従って訪問してください。
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K.Hayashi
- 大学卒業後に渡独。フリーランスライターとしてドイツの文化について多くの記事を執筆中。