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イタリア中部にある天空の街 チビタ・ディ・バニョレッジョ
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先住民族エトゥルリア人の天空の街 チビタ
ローマがあるラッツィオ州内に天空の城があります。と言っても、宮崎駿さんのラピュタではありません。宮崎さんは、絵コンテで英国のウェールズに行かれています。この街がラピュタの舞台になったという説がありますが、それは違うと思います。
古代ローマ以前の先住民に、エトゥルリア人という人たちがいます。エトゥルリア人は、丘など小高いところに街を造りました。その種の街で有名なのは、オルビエトです。
そのオルビエトから30分ほど西に走ったところに、エトゥルリアの街チビタ・ディ・バニョレッジョという街があります。この街をご存知なら、相当なイタリアオタク。綾瀬はるかさん主演で人気を博したドラマ『ホタルノヒカリ』をご覧になっていたら、あの凝灰岩の丘の上の街をご存知だと思います。
紀元前、エトゥルリア人たちは、山や丘の上に街を建設しました。それは、ひとつには防衛上の問題、もうひとつには衛生の問題。このあたりの低地は、湿地が多く、病気などが広がりやすいと信じられていたからと言われていますが、真意のほどは分かりません。まさに、空中の楼閣といった印象を受けます。
この街は、孤立した台地の上にあり、街には一本の細い橋が架かっており、ここを登っていかないと街には到達しません。この台地は、時間とともに崩れており、 崩壊の運命にあります。チビタというのは滅び行くという意味になります。今、この街には、15世帯が暮らしており、B&Bもあり、レストランも数軒あります。
世捨て人になって、静かに過ごしたい方には最適、不動産も売りに出ていますので、買われたらいかがですか。しかし、観光客はわんさかいます。
<街の観光案内所であり、お土産物屋さん>
<開店前のレストラン>
<手打ちの生麺。うどんではありません、生麺パスタです>
<この地域の地ビールです。ラベルがユニーク>
日本にも過疎の村はありますが、ここもイタリアの典型的な過疎の村。といっても、ここはこの景観がユニークです。
小さいころ砂遊びをして、回りの砂を取っていって、最後に棒を倒したほうが負けというようなゲームをしませんでしたか?この街は、巨人が砂遊びをして、最後に残った台地に街を造ったようなところです。これでも紀元前1世紀には、ローマにたてついて住民はこの街に立てこもって、最後にはローマ軍に陥落させられました。立派に歴史に登場する街です。
<街のメイン通り、赤い夾竹桃の影で涼んでいるお婆さん>
<昔使われていた井戸、今は花で蓋をされている>
天空の街の紫陽花
この街が不思議なのは、紫陽花の花が春から夏にかけてたくさん見られることです。それも見事な大輪の紫陽花です。
ご存知だと思いますが、紫陽花の原産国は日本です。江戸末期、日本から国外追放になったシーボ ルトがヨーロッパに持って帰りました。紫陽花の学名は『オタクサ』と言います。ドイツ人なのにオランダ海軍の軍医として江戸末期に来日したシーボルトは、長崎でお滝さんという女性を心から愛し、イネという女の子まで授かりました。シーボルトは江戸幕府から国外追放の身になって、二度と日本には行けないことを知っていました。オランダに帰国後、シーボルトは遠く離れ離れになり、もう二度と会うことのできないお滝への想いをひとつの名称にこめました。
それが紫陽花の学名、『オタクサ』です。
いつもの余談です
余談ですが、イタリアで離婚することは、とても面倒くさいということをご存知でしょうか。恋やアバンチュールが大好きで、人生をそれにかけている人が多い国ですが、実は世界でも有数の「離婚が難しい国」なのです。
そもそも、国民の大多数が信じるカソリックは、離婚を未だに認めていません。教会で結婚するということは、神に2人が生涯添い遂げると誓うことに他なりません。これは2人だけの誓いということではなく、神との契約だということです。原則的には、神との契約は破ることはできませんよね。
そして一度結婚をしてしまうと離婚は簡単ではなく、離婚するには必ず裁判所で審理され、次に宗教離婚という面倒な手続きもひかえています。昔、離婚には5年の別居期間が必要とされていましたが、近年になってやっと半年に縮められました...。とにかく別居期間無しでの離婚は認めてもらえません。
トレビの泉に背を向けて、願いを込めてコインを投げる習慣は有名ですが、
- コインを1回投げたら、ローマにもう一度来られる
- コインを2回投げたら、愛が実る
- コインを3回投げたら、なんと離婚ができる!!
といっても、配偶者の前でコインを3回投げたらダメですよ。
<街を囲む荒々しい自然>
<対岸のポンツァーノという街が見える>
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ドルチェビータ
- 2003年より2011年までイタリア、2014年から2017年まで英国にいました。