公開日:
最終更新日:
地球の走り方、サンマリノ共和国編(ローマから日帰り)
目次
1. 思い立ったが吉日
2008年の8月、車でローマからサンマリノ共和国に日帰りで行こうと思い立った。距離にして片道365km、約4時間で着くだろうと計算した。旧式だが、カーナビもあるし、迷うことはない。
ローマを朝8時にでて、12時半にはサンマリノ共和国の城門のそばの駐車場に車を入れた。予定どおり計算どおりに着いた。
イタリアはAが付く高速道路(例えば、A-1=ミラノーナポリ間など)はよく整備されているが、地方の準高速道路はアスファルトがはげていたりして、お世辞にも整備されているとは言えない。だから、準高速道路では、決して居眠り運転などは、車の震動でできないことになっている。ある意味、安全ではあるが、車の寿命は短くなる。
サンマリノには、3か所の山頂にそれぞれの砦を築いていて、有事の際には、砦に籠城する。
2. サンマリノ共和国とは
サンマリノ共和国は、イタリア内にあるが、立派な独立国である。
国連の調べでは、国土の面積は61平方km、世界第191位、水平面積は、資料には極僅とある。ほとんど無いといっていい。人口は3万2人で、世界第190位。
人口も面積も、順位は後ろから数えたほうが早い。たぶん、世界一はバチカン市国、世界第5位が、サンマリノ共和国だそうだ。
現存する世界最古の共和国だが、EUには加盟していない。サンマリノ共和国のイタリア語での正式名称は、Serenissima Repubblica di San Marino(最も穏やかな共和国、サンマリノ)と言う。
<共和国の政治の中心、自由広場と共和国宮殿>
宮殿は儀仗兵(ぎじょうへい)が守っている。
3. サンマリノ共和国の歴史
この国は、紀元4世紀、時ローマ帝国皇帝ディオクレティアヌスによるキリスト教迫害を逃れるために、石工のマリヌス(聖マリノ)仲間と共にチタン山(現サンマリノのティターノ山)に潜伏したのが始まりらしい。
要するに、岩山の頂上に町を作ってしまったということらしい。国際的に独立国として初めて認められたのが、1815年ナポレオン戦争後のウィーン会議。サンマリノの独立が再確認された。イタリアからの正式な独立は、1862年イタリア統一戦争の功労によって、イタリアと友好善隣条約が結ばれ、独立が再確認される。
イタリア政府としても、岩山の上にある平地のないような地方は、どうぞご勝手にという感じだったんだろう。統一戦争にも、中世の鎧を着たおっちゃんたちが手伝ってくれことにも感謝しないといけない都合もあった。
最大の功労は、オーストリア軍に追われていて、イタリア統一を目指していたジュゼッペ・ガリバルディを国の中に匿ったことだ。日本で言えば、幕末に幕府に追われていた長州藩の桂小五郎を匿った、京都の芸者の幾松ねえさんみたいなものか。
<山頂の砦の内部。花壇で飾られている>
4. サンマリノ共和国の切手と裁判官事情
この国の切手は有名。頂上の郵便局から、観光客が自分の家族に、サンマリノ共和国のスタンプを押してだす。残念ながら、イタリアを経るので、そう簡単にははがきは届かない。夏出したのが、クリスマスに届いたというようなこともある。
面白いのは、この国の裁判官は全員外国人。国中がほとんど顔見知り(人口30,002人だけ)なので、裁判官がサンマリノの人だと、情が入って公平な裁判ができないらしい。残念なのは、F1の開催が2007年から、一国1か所のルールのため、サンマリノGRの開催がなくなったこと。本当に残念。
<山頂から見た共和国の国土。赤みかかった屋根に統一されている>
5. サンマリノ共和国にある日本の神社
サンマリノ共和国に日本の神社がある。大抵の方は嘘だろうと思われるかも知れないが、本当にある。
駐日サンマリノ大使であったマンリオ・カデロ氏が神社本庁と計画し、日本サンマリノ友好記念金貨の販売で資金を作った。主祭神は天照大神で、本殿の様式は伊勢神宮と同じ神明造で、伊勢神宮の建築材の一部が使われている。
この神社は2011年の東日本大震災の犠牲者を追悼するために創建されたもので、2014年に鎮座式が行われ、神社本庁の長官、安倍元首相の母を含む150人が参列した。日本語でサンマリノ神社、イタリア語ではSantuario di San Marinoという。なんとヨーロッパ初の神社本庁が承認した神社である。
6. いつもの余談
ここでいつもの余談です。
昨年11月に大阪の我が家の修復をしました。屋根瓦をサンマリノ瓦(そういう名前の瓦で、赤みがかかった瓦が実際に大工さんのパンフレットにあった)にしたいと思いました。しかし、日本家屋の我が家には不釣り合いだという理由で、家族全員の反対で断念しましたが、下の写真のような色の瓦が商品として存在します。洋風の家屋をお持ちの方には、ぜひサンマリノ瓦をおすすめします。日本製軽量、大変丈夫で台風が来ても飛ばないそうです。
関連記事
Rankingイタリア記事ランキング
-
ドルチェビータ
- 2003年より2011年までイタリア、2014年から2017年まで英国にいました。