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京のパワースポット!古代豪族秦氏と聖徳太子ゆかりの地を訪ねて

記事投稿日:2022/01/11最終更新日:2022/01/11

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日本の古代史には謎が多く、その中でも古代豪族である秦氏と聖徳太子との関係や渡来人の影響などロマンが尽きません。

京都盆地の西北方は、「嵯峨野」と呼ばれています。昭和の初期までは葛野(かどの)群といわれていたこのエリアは、広隆寺を中心としており、現在の北野白梅町付近まで古代豪族の秦氏の生活圏だったと言われています。秦氏は平安京が遷都される前に、山城国として開拓した先住民たちで、朝鮮半島の新羅からの渡来人であるとも言われており、農耕、土木、養蚕、機織りなどの技術を日本に伝え、大陸文化を広めたとされています。

名勝である嵐山に「葛野大堰」を築いたのも秦氏。水の量を調整し、農業を開発した秦氏の高度な技術に驚かされます。

秦氏のルーツには様々な憶測が飛び交い、都市伝説界隈でも頻繁に名前が挙がるのですが、太秦には謎とされる遺跡が多くあります。それらの遺跡や秦氏について、また聖徳太子との関係などを嵯峨野にある太秦という地から紐解いていきたく思います。

目次

天塚古墳と蛇塚古墳

天塚古墳

天塚古墳は地下鉄・太秦天神川駅から徒歩10分以内の住宅街に突如あらわれる古墳です。

数ある古墳の中でも位の高い人物の墓と考えられる前方後円墳で、6世紀初頭(古墳時代後半)にできたものと言われています。全長は約71m、死者を埋葬するトンネル上の横穴式石室が二つあります。

最初の調査が行われた明治20年には、銅鏡、鉄剣、馬具、玉類、須恵器などの副商品、そして埴輪などが出てきました。白清稲荷大神の祭壇もあります。

蛇塚古墳

蛇塚古墳は、全長約75mの前方後円墳で、横穴式石室の構造などから7世紀ごろのものだと考えられています。横穴式石室でも、蛇塚古墳のように巨石を用いて石室を構築する方法は、古墳時代では新しいとされます。

6世紀以後、嵯峨野の開発が進み、国内有数の有力者の墓が作られたことから、この地域の豪族であった秦氏の関係ではないかと言われていますが遠い古代の謎解きはまだ続きます。

聖徳太子と秦氏

広隆寺前

聖徳太子と秦氏は密接な仲にありました。特に秦河勝は、6世紀末から7世紀前半にかけて活躍した厩戸皇子(聖徳太子)の側近でした。

『上宮聖徳太子伝補闕記』には用明2(587)年の物部守屋の追討戦に「軍政人」として従軍、厩戸皇子を守護して守屋の首を斬るなどの活躍が記され、秦氏の軍事力が上宮王家の私兵として用いられたことが伝えられています。

推古18(610)年には来日した新羅・任那使人らの導者にもなりました。

日本書紀によると、秦河勝が聖徳太子より賜った仏像をご本尊とする寺として建立されたのが「広隆寺」と言われています。嵐電の広隆寺前の駅で降りるとすぐに、広大な広隆寺の門が見えてきました。

アルカイックスマイルで有名な国宝彫刻第一号「弥勒菩薩」がある広隆寺

広隆寺

603年に建立され、古くは蜂岡寺や太秦寺、葛野の秦寺とも呼ばれた広隆寺。京都市右京区太秦にある真言宗系単立の寺院で、山号を蜂岡山と称します。

日本書紀によると、秦河勝が聖徳太子より賜った仏像をご本尊とする寺として建立されたと伝わっていますが、聖徳太子の供養のために622年に創建されたという説や、京都市北区平野神社付近にあったものが移転された説などもあり、真実はわかっていません。聖徳太子が建てた7つの寺院『太子建立七大寺』の一つとも伝わります。とにかく、秦河勝が建立した「秦氏の氏寺」であることは確かです。

広隆寺

国宝彫刻第1号として指定された弥勒菩薩像(別名:宝冠弥勒)が有名ですね。宝物殿で秦河勝の像と共に拝見することが可能です。

アルカイックスマイルで知られる弥勒菩薩は、右手をそっと頬にあて、思索のポーズをとっています。アルカイックスマイルとは、アルカイク美術の彫刻に見られる幸せな微笑みをした表情のことで、古代ギリシャ彫刻に見られる特徴的なものです。ドイツの哲学者カール・ヤスパースが「人間実存の最高の姿」だと称し、世界でもその存在が知られるようになりました。

また、もう一つの国宝である彌勒菩薩像(通称:泣き弥勒)もあります。こちらの像は、聖徳太子が亡くなった際に供養として新羅から送られたものではないか、と言われています。

宝物殿の中は写真撮影できませんが、絵葉書セット(600円)を買うことができます。

国宝の鎌倉時代中期建築「桂宮院」は、今は入れませんが、広隆寺の奥の院とされています。単層、檜皮葺(ひわだぶき)の和様宮殿風八角円堂で、聖徳太子の楓野別宮のあった所と伝えられ聖徳太子半跏像(秘仏)が安置されており、毎年11月22日には、年に一度だけ拝観できる、聖徳太子御火焚祭(おひたきさい)が行われます。太子信仰の中心とされ、足利将軍家歴代の保護も続いたといいます。

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もともとは弥勒菩薩がご本尊でしたが平安京遷都前後で、薬師如来がご本尊となります。※現在は聖徳太子像(秘仏)がご本尊。現在、寺にある薬師如来立像(重要文化財、秘仏 818年)は吉祥天の姿に表された珍しい異形像と言われています。

広隆寺の南大門から入り、正面の赤堂の左側に地蔵堂があり、そこはには弘法太子空海や安産・子孫繁栄のために作ったと言われる腹帯地蔵が安置されています。

大酒神社と牛祭り

大酒神社,

広隆寺では京都三大奇祭の一つである「牛祭り」が10月12日の夜に行われていました(今は不定期)。広隆寺の境内社であった大酒神社の祭礼だったもので、ご祭神は秦の始皇帝、弓月王、秦酒公です。

大酒神社は356年建立といわれていますが、明治時代の神仏分離までは広隆寺の桂宮院(国宝)内に鎮座する神社で「災難除け」「悪疫退散」のご利益があると言われています。

大酒神社

大酒神社の由緒書きによると、『「牛祭り」では、摩多羅神など異形の面をかけ、風流の冠を着し、太刀を侃き、一人は幣を掲げて牛に乗り、四人は前後を囲み、従者は松明をふり立て行列をなし、祭分を読みあげ、五穀豊穣や悪魔退散を祈願します。』とあります。

「牛祭り」の面は富岡鉄斎がデザインを手がけたとされる不可思議な表情が特徴で、面から何やら不思議エネルギーが出ていました。

NHK「聖徳太子」番組制作の際に老舗会社である「高津商会」が小道具・装身具等を復元制作したと聞きました。聖徳太子は、何かしら不思議なご縁をいただけることでも知られています。太秦は「日本映画の街」としてもよく知られています。東映や松竹などの有名撮影所が数多く点在する太秦にある「広隆寺」の門や塀などは、ロケ地としても使われることがあるようで、必殺仕置屋稼業のオープニングでは、和尚姿の印玄の場面撮影が「広隆寺山門」で行われたり、北塀はたびたび時代劇で登場します。

京都最古のお寺で国宝や重要文化財を一度に見られる広隆寺は、大変なパワースポットとして、今でも多くの人々を魅了しています。

広隆寺

  • 所在地:京都府京都市右京区太秦蜂岡町32
  • 拝観時間:9:00~17:00(12月~2月 9:00~16:30)
  • 電話: 075-861-1461
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RICA NAKAJIMA
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