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ウィーン旧市街、西側の教会探索~騎士団の礼拝堂からイリュージョン天井まで~
世界遺産にも登録されている、ウィーン旧市街。端から端まで歩けるコンパクトなサイズですが、その歴史的な街並みに溶け込んだ教会は、なんと20か所以上。それぞれ役割や宗派などによって棲み分けがされ、一つとして同じものはありません。
前回は、ウィーン旧市街南側の五つの教会を見ていきましたが、今回はモーツァルトゆかりの建物や、パステルカラーの柱とだまし絵天井画の教会、異国情緒のある変わった建築など、個性豊かな教会をご紹介します。
>>前回の記事:ウィーン旧市街、南側の教会探索~シュテファン大聖堂からウィーン最古のパイプオルガン~
目次
ドイツ騎士団の礼拝堂
シュテファン大聖堂のすぐ横には、「ドイツ騎士団の館」と呼ばれる建物があり、小さな礼拝堂が付属しています。
騎士団とは、十字軍の時代にキリスト教世界を守るという名目で結成された騎士の団体で、実際の戦いへの参加だけでなく、巡礼者の宿泊や保護、交通手段の提供など、様々な役割を担っていました。
オーストリア公レオポルト5世も参戦したことで知られる、十字軍のアッコンの戦いは、フランスやイタリアなど多くの欧州の君主が参加しました。その際に創設された野戦病院が、ドイツ騎士団の起源となっています。その後ウィーンにも拠点が作られ、13世紀ごろにはドイツ騎士団の館が建てられます。
<ドイツ騎士団の館>
内部にあるこの礼拝堂は、ハンガリー出身の女王でドイツに嫁ぎ、病院を建設して貧民や病人のために尽くした聖エリザベト(エルジェーベト)を記念しています。壁には数々の紋章が飾られていますが、これは騎士団団員の騎士の紋章です。
<ドイツ騎士団の館、礼拝堂の内部>
このドイツ騎士団の館には、1781年にモーツァルトが数か月滞在していたことがあり、礼拝堂の入り口横の史跡パネルが物語っています。
<モーツァルトがこの建物に住んでいたことを示すパネル>
イエズス会教会(大学教会)
細い小路が入り組み、タイムトリップしてしまったかと思うような区域に「旧大学」があります。現在はリンク大通りに立派な姿を見せるウィーン大学ですが、移転前は旧市街にありました。その大学のそばに建てられたことから、「大学教会」と呼ばれることが多いのが、この教会です。
<イエズス会教会ファサード>
外観からは想像できませんが、一歩中に入ると、その内装と色使いに圧倒されます。ピンクや緑色のパステルカラーで、らせん状に渦巻く柱や、金色に輝く天井。ウィーンの静かな街並みに、こんな派手な教会が隠されていたことに驚きます。
<イエズス会教会内部>
16世紀半ばにイエズス会の教会として建てられたころは、シンプルな建物でしたが、1703年、バロック皇帝レオポルト1世(マリア・テレジアの祖父)がローマから有名な内装建築家アンドレア・ポッツォを呼び寄せ、改装を依頼しました。この内部の建築は、後のウィーンのバロック建築に大きな影響と与えました。
錯覚やイリュージョンを得意としたポッツォは、天井のフレスコ画で本領発揮します。平らな天井に、絵画で本物そっくりのクーポラを再現してしまったのですから、当時のウィーン人の度肝を抜いたことでしょう。
<このクーポラは建築ではなくだまし絵です。教会入り口から見るとドーム状に見えますが、他の場所から見ると錯覚が崩れ、歪んだ形に見えます>
ドミニコ会教会
13世紀に建設されてから二度火事で焼失し、更に第一次ウィーン包囲でも壊され、建材が市壁の補強に使われたほど、何度も苦難を乗り越えてきたドミニコ会教会。17世紀前半にようやく、現在の姿に建て替えられました。当時は、シュテファン大聖堂に次いで大きな教会でした。
<ドミニコ会教会ファサード>
その後、19世紀初頭に、ウィーン旧市街を取り囲む市壁の大部分とその上の建物が取り壊されましたが、この部分はこの教会が建っていたため、市壁の破壊は免れました。ドミニコ会教会が周りより少し高い位置にあるのは、壁の上に建っていた名残です。
教会内部は初期のバロック様式です。同じバロック様式とはいっても白とグレーを基調としていて、100年ほど後に建てられた上記のイエズス会教会とはかなり雰囲気も異なります。
<ドミニコ会教会の内部>
バーバラ教会とギリシャ正教会
ウィーン最古のレストラン「グリーヒェンバイスル」のある辺りは、15世紀ごろからオリエント貿易商人が多く住み、店を構えた、ギリシャ人と所縁の深い地区です。
この地域には、16世紀からバーバラ教会という教会がありましたが、オーストリアはカトリックの国でしたので、この教会は「カトリック教徒のギリシャ人」のための教会でした。
<聖バーバラ教会>
18世紀後半になって、ヨーゼフ二世が寛容令を発し、宗教の多様性を認めたことで、この区画にバーバラ教会とは別のギリシャ正教会が建設されました。この地に住むギリシャ人が、アテネでビザンチン芸術を学んだテオフィル・フォン・ハンセンという建築家に依頼し、19世紀中ごろに大々的に改装されて完成したのが、現在のギリシャ正教会です。
ウィーンの他の教会と明らかに異なる外観の建築はビザンツ風。レンガ造りで、塔とドームも作られました。
<ギリシャ正教会ファサード>
内部の構造もカトリックの教会とは全く異なり、南方風の異国情緒を味わうことができます。
<カトリックの教会にはあまり見られない装飾の、玄関ホールと通路>
<祭壇>
この教会の建築家テオフィル・フォン・ハンセンは、他にもオーストリアの国会議事堂や証券取引所、軍事史博物館だけでなく、ウィーンフィルのニューイヤーコンサートでおなじみの楽友協会などの設計も手掛けています。
聖ウルスラ教会
ウィーン国立音大のすぐそばにひっそりと建つ、聖ウルスラ教会。前回ご紹介した聖アンナ教会の裏手、ウィーン旧市街南部に含まれる教会です。大学や学生の守護聖人である、聖ウルスラを記念した教会で、女子修道院が運営する学校がありました。
現在は、音大のすぐそばにあることから、そのパイプオルガンは、音大の学生の練習やコンサートに使われています。
<聖ウルスラ教会ファサード>
まとめ
ウィーン旧市街西地区は、前回ご紹介した南地区に比べて、目玉になる観光スポットも少なく静かな地域ですが、教会を一つ一つ取り上げてみると、どれも個性豊かで、それぞれの建築にもこだわりが見られます。
こうやって教会巡りがてら、古い建物や細い小路を辿って街歩きするのも、また楽しいものですね。
ウィーン旧市街教会巡りシリーズ
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ひょろ
- オーストリア、ウィーン在住。10年以上暮らしてもまだ新しい発見の連続のウィーンの魅力を、記事執筆、現地調査、ネットショップなどを通じてお届けしています。国際機関勤務を経て、バイリンガル育児の傍ら、ミュージカル観劇が趣味。