城址から望むウィーンの絶景、レオポルズベルクの今と昔

目次

はじめに

ハイキング好きなウィーン人にとって、町の北西に位置する二つの山・カーレンベルクとレオポルズベルクは、最も身近なお出かけ先です。「ウィーンの森」の一部でもあり、頂上まで登ると絶景を一望できることから、市民の週末の憩いの場になっています。

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<ドナウタワーから見たカーレンベルク(中央、標高484メートル)とレオポルズベルク(右、標高425メートル)>

ウィーンから近い方に位置するカーレンベルクは、その展望テラスからの景色を楽しみに、多くの観光客が訪れます。その奥のレオポルズベルクは、カーレンベルクほどの知名度はないものの、実はウィーンで最も美しい景色が眺められるポイントと言われ、現地人に人気の絶景スポットです。

17世紀の第二次ウィーン包囲の際は、トルコ軍に取り囲まれたウィーンを救うため、ポーランドをはじめとする救援軍がここから山を駆け下り、敵軍を蹴散らしたことで知られています。

以前の記事では、カーレンベルクの見どころと歴史をご紹介しましたので、今回はまた違った魅力のあるレオポルズベルクをご紹介します。

>>以前の記事「ウィーンを一望するカーレンベルクの今と昔」はこちらから

レオポルズベルクの歴史

レオポルズベルクの歴史は古く、紀元前9世紀ごろには、骨壺墓地文化の遺跡が発掘されており、紀元前5世紀~1世紀には、ケルト人のオッピドゥムと呼ばれる集落跡が見つかっています。また、ローマ時代には、ここから連絡用の狼煙が上げられていました。

カーレンベルクとレオポルズベルクには、奇妙な名前の歴史があります。元々は、ウィーンから近い方の山(現カーレンベルク)は「ブタ山」を意味する「サウベルク(Sauberg)」、ウィーンから遠いほうの山(現レオポルズベルク)は、「ハゲ山」を意味する「カーレンベルク(Kahlenberg)」と呼ばれていました。

当初本当にハゲ山だった、現レオポルズベルクが最初に書物に登場するのは、12世紀。のちに列聖されるバーベンベルク家のレオポルト三世(レオポルト辺境伯)がこの地に城を建設し、妻アグネスの結婚式のベールをこの地でなくしたという有名なエピソードの現場とされていますし、その城で辺境伯が亡くなったという説もあります。

実際にレオポルト三世は、この山のふもとのクロスターノイブルクに城を構えて首都としたことからも、ドナウ川沿いの見晴らしの良い山、というこの地の戦略的重要性を見抜いていたことがわかります。その後も、チェコから攻め込んだオトカー・プシェミスルがこの城に宿泊した他、ハプスブルク家のアルブレヒト一世(神聖ローマ皇帝ルドルフ一世の息子)がウィーン市民と対立し、ここに逃げ込んだこともあり、ウィーン近郊にありながら、ウィーンからの絶妙な距離と立地や、ドナウ川からの近さから、歴史にしばしば登場します。

山上の城と教会は荒廃と再建を繰り返した後、第一次ウィーン包囲(1529年)の際、ハプスブルク家によって戦略上意図的に破壊されます。

第二次ウィーン包囲(1638年)の際、この二つの山は重要な役割を果たします。当時のウィーンは、トルコ軍に取り囲まれ、籠城を強いられていました。オーストリア大公のレオポルト一世は、ポーランドをはじめとするキリスト教国連合軍を結成し、このレオポルズベルクと隣のカーレンベルクに集結します。その総攻撃の前夜、レオポルズベルクの山上では、必勝祈願のミサが執り行われました。

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<石板に刻まれた、城壁のある当時のウィーンと、眼下に広がる現在のウィーン>

ちょうどこの場所には、ハプスブルク家大公レオポルト一世が、15世紀に列聖されたバーベンベルク家のレオポルト三世(辺境伯)を記念した教会を建設途中でした。無事にトルコ軍撃退が成功し、ウィーンが解放された10年後にこの教会は完成し、二人のレオポルトの所縁の地として、山の名前は「ハゲ山(カーレンベルク)」からレオポルズベルクに改名されます。一方、「ブタ山(サウベルク)」と呼ばれていたお隣の山は、使われなくなった「カーレンベルク」の名を受けつぎ、今に至ります。

その後この教会は、第二次世界大戦で再度激しく損傷した後再建され、市民のハイキングスポットとして人気を博しますが、2007年から11年間、改装と修復のために閉鎖されていました。2018年秋に、満を持して再オープンしたのが、現在の姿です。何度も破壊と再建を繰り返した山頂付近ですが、現在は城址と教会と資料館があり、夏季のみ入場できるようになっています。

レオポルズベルク散策

レオポルズベルクには、お隣のカーレンベルクから徒歩で、もしくはバスや車でのアクセスが可能ですが、多くのウィーン人は、ふもとからゆっくりと歩いて登って来ます。

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<城壁のすぐそばを通るハイキングコース>

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<入口の門>

山頂は城壁に囲まれていますが、門を入ると静かな木立が広がっていて、城跡の名残が見られます。

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<松の木立に、石組みが隠れるように建っています>

この敷地内には、教会と歴史資料館があります。教会は第二次世界大戦で爆撃されているので、手前の部分は戦後の再建によるものですが、奥の部分は18世紀のものが残されています。

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<レオポルズベルクの教会>

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<教会内部>

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<18世紀の建築が残る、教会の裏側>

教会の側壁には、美貌で知られたハプスブルク家の皇后エリザベートがここからドナウ河の絶景を眺めた、という記念碑も残されています。

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<皇后エリザベートが1896年に、ここから景色を眺めたという記念碑>

皇后も眺めたという、ウィーンとドナウ河の絶景がこちら。手前にはワイン畑が広がり、ドナウ河右岸にはウィーン旧市街があります。

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しかし、絶景はこれだけではありません。教会の裏に回ると、ウィーンとは反対側のドナウの絶景が目に飛び込んできます。


<レオポルズベルクの東を滔々と流れるドナウ河。左下にはクロスターノイブルクの町>

お隣のカーレンベルクからもウィーンを見下ろすことができますが、レオポルズベルクからは、ドナウ河の上流と下流両方を眺めることができ、カーレンベルクより広い角度の景色をゆったりと楽しむことができます。

こうやって、歴史あるレオポルズベルクの山頂に立ち、中世の古都クロスターノイブルクと、トルコ包囲から解放されたウィーンの両方を眼下に収めると、まさに歴史が大きく動いたその場所に立っていることを実感します。

まとめ

ウィーンの北の戦略上の要所、レオポルズベルク。現在は、地元民に愛される絶景お出かけ先として親しまれていますが、その場に立ってみると、ケルト時代の集落から、ローマ人の狼煙、ウィーン包囲突破前夜と、様々な歴史の舞台となった、この山の絶景の戦略的な意味を実感し、ウィーンと共に刻んで来た過去を、肌で感じることができるでしょう。

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ひょろ

オーストリア、ウィーン在住。10年以上暮らしてもまだ新しい発見の連続のウィーンの魅力を、記事執筆、現地調査、ネットショップなどを通じてお届けしています。国際機関勤務を経て、バイリンガル育児の傍ら、ミュージカル観劇が趣味。

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