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「南アフリカ」で人種差別の歴史を知ろう
みなさんこんにちは。歴旅ライターまえてぃーです。
今回は、私がここ南アフリカで出会った人種差別の歴史について、みなさんにお伝えしたいと思います。
目次
アパルトヘイトとアパルトヘイトミュージアム
このアパルトヘイトミュージアムは、旅を始めるずっと前からまえてぃーが行ってみたかった場所です。その名の通り「アパルトヘイト」がどのようにもたらされ、人間を分断していたのかを知ることができる場所です。
※アパルトヘイト...アフリカ大陸の国々はずっと昔から近代までヨーロッパ諸国の植民地でした。土地や財産だけでなく、人間も奴隷として売買されてきた歴史があります。アパルトヘイトとは1948年に南アフリカで制度化された白人層による非白人に対する人種差別・隔離を主とする政策です。つまり、差別を法的に認めていた歴史があるということです。
>>>アパルトヘイトについて更に詳しくはこちら(外務省公式HP)
1960年代以降、国内の差別撤廃闘争の激化とともに国際的非難を浴び、91年、法的には廃止されました。
長く制度化されたアパルトヘイトの歴史と内容、そして非白人の人々が自由と権利を勝ち取るまでの戦いの様子をその目で見ることができる、それがこのアパルトヘイトミュージアムなのです。
ミュージアムの入り口は差別の入り口
チケット売り場を出て、入り口へ向かいます。そしてその入り口は二つに分かれています。
それは、「WHITES」or「NON-WHITES」。つまり「白人」か「非白人」かです。観光客は自分の肌の色に関係なく、どちらから入るかを選ぶことができます。みんな面白半分で「どっちから入ろうかな~」とw笑いながら中へ吸い込まれていきます。
あなたはどちらから入りますか?
しかし、入ったら最後、私たちは一気に人種差別の持つ闇と歴史の重みを感じずにはいられませんでした。それは、博物館の入り口ではなく、"差別"への入り口だったのです。
なんと、中に入るとそのまま白人と非白人のコースに分かれ、お互いの顔は鉄格子で阻まれ、姿こそ見えるけれど行き来が出来ないようになっているのです!
たとえ友達同士でも、入る入口が違えば共に進むことはできません。鉄格子は、、、絶対なのです。戸惑いまくる観光客たち。鉄格子の道には、この道がいつまで続くのかなど書かれていません。事前にも告知されません。あるのは白人とそれ以外を分けるために使われていた標識と、黒人たちに配られる「黒人証明書」の展示のみでした。
重々しい鉄格子が私たちに無言で"差別"の空気に引き込んできます。黒人(差別されるべき人)を証明するカードは日夜いつでも携帯しなければならなかった。赤字で記載されているのはその人物の"人種"です。
1つの曲がり角を終えて進むと外に出ることができ、また一緒に進むことができるのですが、このたった数十メートルの間に、たった数分の間に訪れた突然の"理不尽"な状況。これが"人種差別"。
生まれた瞬間、その存在が否定され、差別のある人生の中を歩んでいかなければならない。。それを現実世界で一生受けること。果たして"耐えられるだろうか⁇"
入り口からたった数分の出来事に、まえてぃー、そして観光客のメンタルが打ち付けられました。
ミュージアムの展示物
アパルトヘイトミュージアムでは、この前半部分しか写真撮影は許されていません。
しかし、中盤・後半にかけて出会うことができる資料や映像、非白人たちの想いは、今を自由に生きる私たちに忘れていた自由の大切さと偉大さを教えてくれます。
住む場所を決められ、街の中心には住めず、川の近くや土壌がしっかりしていない場所に居住地として閉じ込められる。少数の白人に、圧倒的大多数の非白人は"自由"の意味さえ分からず生まれ、自分たちの存在を否定され生きていかなければならなかった。反抗したら容赦なく逮捕・暴行の対象となり処刑された人々もいました。
展示物に足枷、そして処刑場の模型がありました。展示物の映像に差別される子どもたちがいました。展示物の映像に声を上げ差別と闘う姿がありました。そして引きずられ、殴られ、蹴られ、血を流す姿がありました。展示物の映像に自由を勝ち取る姿がありました。白人と黒人が手を握り合う姿がありました。
時間を忘れて食い入るように見つめ続けた時間でした。
ネルソン・マンデラという人物
アパルトヘイトについて話すとき、絶対に知っておきたい人がいます。それが、"ネルソン・マンデラ"。南アフリカの全てのお札の肖像画です。アパルトヘイト撤廃を訴え続け、1962年に国家反逆罪として逮捕、終身刑となり絶海の孤島、ロベン島の刑務所に収監されます。
それから実に28年もの間を刑務所で過ごし、それでも差別と闘い続け、希望を持ち続け、釈放後、南アフリカの大統領となった人物です。
絶海の孤島で28年。。。
「生まれた時から、肌の色や育ち、宗教で他人を憎む人などいない。人は憎むことを学ぶのだ。もし憎しみを学べるのなら、愛を教えることもできる。愛は、憎しみに比べ、より自然に人間の心に届く」
彼の残した言葉です。
憎しみは学ぶもので、愛は教えるもの。学んでしまった憎しみを、また差別することに抵抗がなくなってしまったことも、愛に変えていけることができる。そして、それができるのは、今を生きる大人たちだとと言われている気がします。
<当時の収容者の人達がガイドをしてくれます(英語)>
人種の前に一人の人間として
南アフリカの国旗の意味は「黒:黒人、赤:独立と平等のために流れた血、緑:農業、青:空、黄:鉱物資源、白:白人」を意味しています。
"許そう。しかし忘れまい"。
マンデラの言葉は、人種を超えて一人の人間として生きるヒントであり、道しるべのような気がします。
「優越感に浸りたい。自分より弱者がいることで安心する。自分たちと違う人間は間違っている。」もしこれらが人間の持つ本質なら、「弱者を労わりたい、仲良くなりたい、学びあい支えあいたい。」というような共存も、きっと人間のもつ本質かもしれません。違いは間違いじゃない。肌の色の違いは、私たちが共存への努力をするためのカモフラージュなのかもしれないですね。
忘れず、かつ憎まず、新しい道を模索する、南アフリカを旅することは、「一人の人間としてどう生きるか」を考える旅にもなるでしょう。
今は白人じゃなくても座れるよ!
アパルトヘイト博物館 基本情報
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まえてぃー
- 元ノリノリ世界史教師。教科書に載ってたり載ってなかったりする世界の歴史ポイントをご紹介。旅のついでにそのロマン溢れた世界をご堪能ください。