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ジョージア西部・上スワネティに「血の掟」の塔の家を見に行く
こんにちは!山田タラです。
旧約聖書の「バベルの塔」ではありませんが、「紀元前から人々は高い建物に対してあこがれがあるなぁ...」と、地元の駅前にそびえるタワーマンションを見上げるたびに、高所恐怖症の身ながら思います(笑)。
コーカサス三ヶ国のジョージア西部にも1996年に世界文化遺産に登録された、高い建物である「塔」が林立する風景が広がる「上スワネティ」地方があります。上スワネティ地方を訪れてみました。
目次
- 世界のあちこちには高い建物がそびえる場所があります
- ジョージア西部にある世界遺産「上スワネティ」地方を目指して
- 上スワネティ地方の中心都市スワネティは最低でも1泊2日
- ヨーロッパ最高所にあるウシュグリ村までは、丸1日がかり
- 気になる塔の内部と、ちょっと怖い「血の掟」
- メスティアの眼下に広がる風景を眺めながら
世界のあちこちには高い建物がそびえる場所があります
<ジョージア西部に広がる塔の家>
現在のタワーマンションはユネスコの世界文化遺産に登録はされないでしょうが、世界のあちこちには周りの風景には調和しない、不思議な高い建物が世界文化遺産に登録されています。
アラビア半島の南端にある砂漠の中に突如と現れ「砂漠の摩天楼」と称される、イエメンのシバームは実際に見に行きましたし、同様に中国広東省の開平の畑や田んぼのなかには、中世ヨーロッパを思わせるような高い建物が1,800楼以上残っています。
ジョージア西部にも1996年に世界文化遺産に登録された、高い建物である「塔」が林立する風景が広がる「上スワネティ」地方があります。「血の掟」と呼ばれるちょっと怖いルールがあるそうなのですが...。
ジョージア西部にある世界遺産「上スワネティ」地方を目指して
<上スワネティまでの道のり>
ジョージア西部には標高5,000m級のコーカサス山脈の山並みを背に、高い塔が林立している不思議な光景が広がる上スワネティ。場所自体は十数年前から知っていたので、今回初めて高い塔を見る機会がありましたので、トビリシから向かってみます。
短い時間で移動するには、首都トビリシから上スワネティの中心都市である、メスティアまでは軽飛行機を利用するのがベストなのですが座席も少なく、メスティアの空港が高所にある山岳路線のためフライトスケジュールが安定しておらず、あまりにも不明な点も多いので、長時間の移動となりましたが陸路で向かうことになりました。
今回はトビリシから西に約230km離れた、ジョージア第二の都市であり古都であるクタイシに宿泊し、さらに約220kmを移動して上スワネティ地方のメスティアに向かいます。片道で450km、往復で900kmを数日で移動し、高い塔が広がる光景を(ちょっと大変ですが)見に行きます。
上スワネティ地方の中心都市スワネティは最低でも1泊2日
<5,000m級のコーカサス山脈の麓へ>
トビリシからクタイシまでは高速道路が整備されているので、比較的快適に移動ができますが、その後クタイシからメスティアまでの道路状況は一部で舗装がなっておらず、道路も陥没があるなどあまりいい道ではありませんでした。
メスティアまでの途中ではコーカサス山脈の雪をいただいた、4,000m超級の山頂が現れて適宜、写真ストップを取りながら北上を重ね、やっとこさではありますが日がだいぶ西に傾いた時間に、上メスティアの中心都市であるメスティアに到着しました。
早速ではありますが、ホテルの部屋のベランダから、石造りの高い塔が既に数塔見渡せます。
<メスティアにはあちこちに塔の家>
スワネティとは「スワン人の地」と言う意味で、スワン人たちは峻険な山岳地帯で暮らしを営み、他のジョージアの地域とは異なる独自の文化を育んでいました。そのなかでも上スワネティ地方には、200もの塔の家が残っていると言われています。
塔の家はスワン人が外敵からの襲来に備えて作られたのですが、塔のなかに立て籠もることで、自らの身を守ることにしました。先述したイエメンや中国で作られた塔の家は、親族や部族単位で作られていますが、ジョージアのメスティアにある塔の家は、驚くべきことに家族単位で作られたものです。
<ライトアップされた塔の家の夜景>
このような手間が掛かる建物が家族で作られたものは珍しく、その根底にはかつて上スワネティに住む人々の間には「血の掟」と呼ばれる、とても怖いルールが存在していたと言われています。その「血の掟」とは家族の一員が危害を加えられた場合には、危害を加えた相手かその家族に必ず復讐しないといけないとされるもので、その復讐から逃れるためにこれほど堅牢な建物を作ったそうです。
ヨーロッパ最高所にあるウシュグリ村までは、丸1日がかり
<ジョージア最高峰シュハラ山に抱かれたウシュグリ村>
メスティアから四輪駆動車でさらに南東に50km奥に進み、途中の悪路の挟みながら片道2時間の移動を経て、「塔の町」として知られる最奥にあるウシュグリ村へ向かいました。ウシュグリ村へは公共交通機関がなく、四輪駆動車の利用が一般的なので、観光で向かう場合にはスワネティで同行者を募ることも可能です。
到着したウシュグリ村はエングリ川沿いに20余の塔がそびえ立ち、奥にはジョージア最高峰の標高5,193mのシュハラ山が広がっています。塔の町として知られているウシュグリ村ですが標高は2,100mを有し、実はヨーロッパのなかで定住して人が住んでいるなかで、最高所にあると言われています。高所だからか日差しは強く、吹き降ろす風は冷たいものがあります
<ウシュグリ村内でのあちこちに塔の家>
10余年前から「塔の町」ウシュグリ村を知っていましたが、実際に訪れてみると5,000m級の山裾に抱かれた村に小さな村ですが、その塔の数の多さに圧倒されます。実際の村人口は300人にも満たないそうですが、かつては一年の半分以上は閉ざされていたそうで、厳しい環境のなか暮らしている人々に脱帽です。
気になる塔の内部と、ちょっと怖い「血の掟」
<石の塔の内部(煮炊きをする、かまどなどがある)>
<石の塔の最上部(途中階と違い、窓が大きい)>
塔は石灰岩の粗い石を積んで作られており、高さは20~25mにも達します。一番下の階からは中には入れず、梯子を使って2階にある窓と言わんばかりの、小さい入口から内部に入ります。塔の内部は建物によって異なりますが、通常は6階建てから7階建てになっており、各階の連絡は梯子で繋がっているだけです。また窓と呼べるものはなく、外に向けて銃を向けることができる「銃眼」を呼ばれる穴があり、内部に入るには懐中電灯が必須でした。またウシュグリ村ではジョージア正教の教会までも、他の塔の建築方法同様に堅牢に作らており、「血の掟」の怖さを垣間見ました。
残念ながら、ウシュグリ村では塔の内部に入ることができなかったのですが、メスティアでは晴天に恵まれて、塔の内部に入ることができました。「血の掟」が活きていた時代には安易に上ることができなかった、念願がかなって塔の屋上から見下ろしたメスティアの街並みはとても美しかったです。
メスティアの眼下に広がる風景を眺めながら
<塔の最上部から見たメスティアの眺め>
眼下に広がるメスティアの中心部から少しは慣れたところに目をやると、近年建設された大型ホテルが目につきます。地元の人によると、以前にはかろうじて民泊と言ったレベルの宿泊施設しかなかったメスティアですが、ここ数年で大型ホテルやレストランが続々とオープンし営業を始めている一方で、建築が途中で中断されていた施設もありました。
またウシュグリ村は今でも民泊のみで大型ホテルはありませんが、できたばかりの真新しい観光客向けのレストランが賑わっており、素朴な村も大きく変わって行くかも知れません。
さすがに世界文化遺産に登録された塔は生き続けるでしょうが、かつてスワン人たちを塔の建設に駆り立てた「血の掟」なき今、過度に開発をされないような「新しい掟」で、今後も美しい上スワネティの景観を守ってほしいところです。
<メスティアを訪れるヨーロッパからの旅行者>
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山田タラ
- 「今まで行った国のなかで、どこの国が良かったですか?」と聞かれて、今は行けなくなってしまった国を、ついついおすすめしてしまう…世代。