ジョージア生まれのスターリンの生家と、取り消された世界遺産

あまり知られていませんが、世界史の教科書にも載っている旧ソ連の指導者スターリンは、現在のジョージアの「ゴリ」出身です(ロシア出身ではないのですね)。さらにその先の「クタイシ」は中世ジョージアには首都でしたが、世界にも珍しい「登録が取り消された」世界遺産があります(数々の世界遺産がありますが)。

スターリンの生家と、取り消された世界遺産。どちらも気になっていたので、訪れてみました。

目次

ジョージア 首都から西部の中心都市へ トビリシ~ゴリ~クタイシ 

ジョージア 首都トビリシ~ゴリ~西部中心のクタイシ

ジョージア西部の世界遺産に登録された塔の家「上スワネティ」地方に行く途中、いくつかの面白い都市に立ち寄りました。トビリシから西に80kmの人口5万人弱の「ゴリ」と、さらに150km離れた、ジョージア第2の都市で西部の中心都市でもある「クタイシ」です。

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首都トビリシの平和橋 現在と過去の交差

1924年から1953年にかけて、ソ連の最高指導者として君臨したヨシフ・スターリン。スターリンは当時のロシア帝国支配下であった現在のジョージアのゴリで1878年に生まれ、1883年まで過ごしていました。
地元のひとからは「(スターリンが生まれた町)ゴリには、彼の生家を模した建物しかないが、本当に大丈夫か?」との貴重な助言(?)をいただいたのですが、「またまたぁ...。何かはあるでしょ」と思い、せっかくなので立ち寄ってみることにしました。

ゴリにあるスターリンの生家を訪ねて

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<スターリンが4歳まで住んでいた生家>

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コンクリート製の神殿風の建物に覆われています

スターリンは1945年2月に、第二次世界大戦後の枠組みを決めた「ヤルタ会談」でイギリスのチャーチル、アメリカのルーズヴェルトと共に、3人で会談に参加している写真でも有名ですね。
「当時の最高指導者の生家だから、さぞかしの大きさでは...」と思ったのですが、実際に見てみると「これが生家?」と驚いてしまうほどの、木材とレンガで作られた小さな建物は、スターリンの神格化が進んだ1930年代に復元したものでした。


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スターリンが利用した専用列車

今回は入館ができなかったのですが、付属して「スターリン博物館」があり、足跡をたどることができます。他に屋外展示では飛行機嫌いのスターリンのために作られ、ヤルタ会談に出席する際に利用された、当時としての最新技術であるエアコンも完備された、スタブ付きの豪華な鉄道車両が保存されています。
また忘れてならないのは、「世界で唯一公的な場所に現存する現存する」と実しやかに伝えられる、「スターリン像」があります。

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世界で唯一とされるスターリン像

スターリンが亡くなってから3年後の1956年に、当時の指導者であったフルシチョフ(懐かしいですね)がスターリンを批判し、各地にあったスターリン像は撤去されてしまったので、今でもこのような像があるのは珍しいそうです。
ゴリ周辺には洞窟住居で知られる「ウプリスツィヘ遺跡」もあり、ゴリと合わせて訪れてみるのも良いかも知れません

ジョージアの世界遺産は現在3件ですが、そのうちの1件を訪ねます

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現在も世界遺産に登録「ゲラティ修道院」

ジョージアの世界遺産は1994年に「ムツヘタの歴史的建造物群」と「ゲラティ修道院」の2件、1996年に「上スヴァネティ」の1件の、合計3件が登録されています(2020年5月現在)。
そのなかで登録されている「ゲラティ修道院」は、かつてはもう一ヶ所「バグラティ大聖堂」と合わせて「ゲラティ修道院とバグラティ大聖堂」として世界遺産に登録されていました。

しかし2017年にバグラティ大聖堂は登録を取り消されて、ゲラティ修道院だけの登録となりました
ゴリに続いて、世界的にも珍しい(?)取り消された「元」世界遺産の、バグラティ大聖堂があるジョージア西部のクタイシを訪ねてみました。

写真7-1(可能ならばこちらを使用).png

ゲラティ修道院内に残る数々の遺物

現在も世界遺産に登録されている「ゲラティ修道院」があるクタイシは、ジョージア西部にある人口15万弱の第二の都市で、中世においては数々の王国の首都として機能していました。

ゲラティ修道院は1106年に「建設王」と呼ばれるバグラト朝のダヴィド4世が建造し、敷地内には歴代の王の墓があり、12世紀初頭には研究施設も附設されました。
大きな建物である聖マリア大聖堂と、3階建ての鐘楼が目を惹きますが、同時期に世界遺産の登録されていたバグラト大聖堂が登録を取り消されたことから、現在はEUの指導下で建物を修復していました。

世界遺産が取り消された「バグラト大聖堂」の内部へ

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若草色の屋根が美し過ぎる「バグラト大聖堂」

さてその次は世界文化遺産への登録を取り消された、バグラト大聖堂を訪ねてみました。

バクラト修道院はクタイシ市街を見下ろすウキメオリニの丘の上にあり、1003年にバグラト朝のバグラト3世の手によって建造され、大聖堂の名は建造者であるバグラト3世の名にちなみます。
17世紀末にオスマン帝国の砲撃にさらされ、大聖堂の半分である屋根や丸天井が破壊されますが、1952年には大聖堂の保存と修復が進められ、ジョージアのなかでも中世の宗教建築の歴史的な価値が評価され、1994年に「ゲラティ修道院」と共に世界遺産に登録されました。

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大規模に修復され過ぎた、バグラト大聖堂内部 

2001年にジョージア正教会の大聖堂(カテドラル)に列せられたことを契機に、2009年から始まった大聖堂の修復計画が現状を維持する以上のものであるとユネスコに判断され、2010年に危機遺産に指定リストされました。バグラト大聖堂の修復自体は継続されたため、ゲラティ修道院とバグラト大聖堂の2ヶ所で登録された世界遺産は2017年に登録が取り消され、ゲラティ修道院のみの登録となりました。


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大聖堂から修復され過ぎた部分が見えています

修復されたバグラト大聖堂を訪れましたが、建物外観の緑色に塗られた屋根は真新しく、大聖堂内部を支えるために取り付けられた黒い鋼鉄の骨組みが印象的でした。
既にバグラト大聖堂は世界遺産から外されていますが、訪問日が日曜日であったため、大聖堂内は祈りを捧げる多くのひとで賑わっていたのが印象的でした。
世界遺産には登録されていませんが、クタイシ市内を望む大聖堂への訪問は、ジョージアの人びとの信仰心を垣間見えた良い機会でした。

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