たびこふれ

こんな今だからこそ。~アンネ・フランクに学ぶ自分を幸せにする方法~

記事投稿日:2020/06/19最終更新日:2020/06/19

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こんにちは。旅する元世界史教師のまえてぃーです。

新型コロナ感染拡大防止の昨今。「旅」が、できない世の中になってしまいましたね。

それどころか、やりたいことができなかったり、大好きな人たちと会うことが難しかったり、今まで出来ていた「当たり前」が急に消えてしまいました。

「やりたいことができない」「会いたい人に会えない」「行きたい場所に行けない」というストレスは、人間にある程度の適応能力があるとはいえ、思った以上にストレスを感じている人も多いのではないでしょうか。もちろん私もその中の一人です。

「いつかできるから頑張ろう」「楽しいことを考えよう」、なんて前向きな言葉や想いを抱いたとしても、ふと悲しくなる瞬間もありますよね。

今日はそんなみなさんに送る、アンネ・フランクの心の持ち方です。読んだ後みなさんの心がちょっと軽くなってたらいいなと思います。

目次

アンネ・フランクの生涯

アンネ・フランクは1929年にドイツで生まれました。アンネの両親はユダヤ人であり、その娘のアンネももちろんユダヤ人でした。

第二次世界大戦勃発前、ヒトラー率いるナチス政権がドイツの政権を握りました。ヒトラーの政策により、ユダヤ人は迫害を受け始めます。住む場所を決められ隔離され、自由を制限され仕事も制限されました。そしてそれだけでは終わらず、ここから悲劇は始まります。一言に「迫害」と言っても、自国であるドイツからただ追い出されるわけではなく、ヨーロッパ各地に建設された強制収容所に送られ、過酷な環境での労働や人体実験、そして数えきれないほど多くのユダヤ人がガス室へ送り込まれ、殺害(処分)されました。

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ドイツにいては危険ということで、アンネ一家はオランダへ向かいます。束の間の平穏でした。

しかし、第二次世界大戦が勃発。1940年、ドイツがオランダへ侵攻し、オランダは陥落(降伏)しました。オランダはナチス政権のものとなり、ユダヤ人に対する風当たりは強くなりました。監視され、あらゆるものを制限され、差別をされ、自由はどこにもありませんでした。

アンネ・フランクの隠れ家生活

1942年、アンネ一家はオランダのアムステルダムのとある家に隠れ暮らします。父親の会社の同僚が手を差し伸べてくれたのです。アンネ11歳の頃でした。

そこにはアンネ一家のほかに数名のユダヤ人も暮らしていました。見つからないように、昼でも夜でも家の中でも物音をたててはいけない。見つかれば収容所へ送られてしまいます。「自分の存在を消すこと」でしか、生きることには繋がらない過酷な状況が続きました。

そんな状況が2年を過ぎた頃、1944年8月、ついにアンネ一家は警察にみつかりアウシュビッツ・ビルケナウ絶滅収容所へ強制移動させられてしまいます。そしてそこからさらにアンネと姉はベルケン・ベルセン絶滅収容所へと移動させられます。当然ながら劣悪な環境で、食事はほぼありません。寒くても上着なんてありませんし、暖かいスープもありません。あるのは「死」を待つ順番のみ、でした。

そしてアンネ姉妹は収容所内で蔓延していたチフスにかかり、1945年2月、2人一緒に天国へと旅立ちました。ドイツが戦争に破れ、イギリスの連合軍により収容所が解放されるたった2ヶ月前のことでした。

アンネ・フランクが残した言葉

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アンネは2年を超える隠れ家生活の中で日記を書いていました。日々の出来事、日々の中で感じたこと、悲しみも喜びも、アンネは毎日書き続けていたのです。家から一歩も出ることが出来ない中で、何を感じることが出来るのか?と疑問に思う人もいるかもしれません。ですが、彼女の想い、言葉は、隠れ家生活とは思えないほど、鮮やかな日常でした。

13歳の少女が紡いだ言葉に、私達は勇気を与えられることに疑う余地はありません。少し、紹介させていただきます。

「希望があるところに人生もあるのです」

「薬を10錠飲むよりも、心から笑った方がずっと効果があるはず」

「私の想像力は、どれだけ閉じ込められても羽ばたくのよ」

どうでしょうか。私たちが思う自由のある日常ではないはずなのに、生きることに希望を持っている様子が想像できます。

これらは家族で唯一生き残った父親により「本」となり、50か国を超えるほど多くの国で翻訳され、実に多くの人に希望を与えた一冊となりました。

2年です!2年の隠れ生活。見つかったら「死」の隠れ生活は、おそらく私たちの「自粛生活」とは訳が違います。もちろんコロナウイルスにより健康状態を害されたり、お店を開店することが出来ず、厳しい経営状態で困難な状況を抱えている方も大勢いらっしゃると思います。私達の今置かれている状況も決して楽ではなく不安なものです。

でも、アンネは「家の中でも数えきれないほどの幸せがある」ということに気が付かせてくれます。窓を開け、顔を出し、空の青さを、太陽の光を感じることが出来ます。好きな本や映画を選んでは没頭することが出来ます。食べ物が無くなることもなければ、水道が止まることもありません。電話やインターネットを使えば誰とでも繋がり、その絆を確かめられ、笑顔になることが出来ます。そして何より、外に出ていることが誰かに見られても、「収容所」に送られることはありません。「ガス室」に送られることもないのです。

そう、新型コロナウイルス感染拡大が収まれば、この状況を乗り越えることが出来たら、あの頃の「日常」が必ず戻ってくるのです。

"いつか"を信じて

極限状態のアンネが、なぜ明るい気持ちを持ち続けることが出来たのかは分かりませんが、アンネは「たとえ外に出ることができなくても、幸せはいくつもここにある」ということを私に教えてくれました。だから私は、この状況を"絶対明るく前向きに!"と、まではいかなくても、この状況を打破するために、支えるために頑張ってくれている人に思いを馳せたり、家の中での生活を楽しもうとしたり、誰かを励ましたりできるのかなと思うのです。

今ではアンネたちが隠れ住んでいた「隠れ家」は博物館となり、私たちはアンネの暮らしたその空気に実際に触れることが出来ます。

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自由が再び私たちのもとに戻った時、私が再び訪れたい場所です。そして「アンネのおかげで自粛生活も悪くなかったわ」とお礼が言えるように、今あるものを大切に、この日々を生きていきたいと思っています。

みなさんも一緒にいかがですか??

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「あなたのまわりに残されている美しいもののことを考え、楽しい気持ちでいましょう」

アンネ・フランクの家 基本情報

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