たびこふれ

朝ドラヒロインのモデルと言われる陶芸家「神山清子さん」単独インタビュー

記事投稿日:2020/02/04最終更新日:2020/02/07

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今回の朝ドラは滋賀県信楽を舞台に、男社会である陶芸の世界を自らの手で道を切り開いていく女性陶芸家の物語。物語の主人公 川原喜美子さんというキャラクターのヒントになったと言われているのが神山清子(こうやまきよこ)さんです。

焼き物の里「信楽」で大量生産を可能にした「登り窯」や効率的な電気釜ではなく「穴窯」と言われる古来の窯を築き、釉薬(うわぐすり)を使わずに光沢ある陶器を焼く古来の製法「自然釉」を信楽焼きに復活させた方で、今も現役で作品を作られています。今回、神山さんにインタビューする機会をいただきました。

目次

信楽焼きとは

まずは信楽焼きとはどんな陶器なのかを見てみましょう。
信楽焼きは日本六古窯(常滑、瀬戸、越前、備前、丹波、信楽)のひとつです。(日本六古窯は鎌倉時代以前に陶器産地として始まり、現代まで続いている代表的な6つの窯の総称。)信楽焼きは今から約750年前の13世紀半ばに始まったと考えられています。信楽という土地が焼き物で栄えた要因としては、焼き物づくりに適した陶土が採れたこと、焼き物を焼く燃料となる薪や山の傾斜地が多くあったこと、焼き物を必要とする人々が住む都市に近かったことなどが挙げられます。信楽焼きの特徴は陶土の粘度が高く火に強い為、"大物"(火鉢、壺など)が多いこと、土に含まれる鉄分が焼く時酸化することで、素地が赤褐色に発色し、火のように美しいことから緋色と言われています。
現在の信楽焼きは釉薬を用いていますが、中世から受け継がれてきた信楽焼きは釉薬を施さず、窯で数日間にわたって高温で焼き、素地を固く焼き締める「焼締陶器」でした。焼締陶器の魅力は、小石混じりのざっくりとした肌合い、焼きの過程で素地が変化し作り出される印象深い「景色」にあります。(甲賀市信楽伝統産業会館資料/陶芸の森資料より抜粋)

信楽焼きと言えば"たぬきの置物"が有名ですが、室町時代の末頃までは壺、甕(かめ)、すり鉢などが盛んに作られていたようです。その後、侘茶(わびちゃ)の流行とともに、素朴で温かみのある信楽焼は茶道具として愛されるようになり、明治~昭和にかけて信楽焼きは火鉢で栄えましたが、金属製品の台頭によって火鉢需要が激減し、植木鉢や花瓶などに注力するようになりました。現在では工業用タイル(建物の壁などに使われる)が信楽焼き生産の50%以上を占めています。

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日本全国の火鉢の80%以上を信楽で作っていた時代もあったそうです。(明治~昭和30年代頃) 

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町の中心にある信楽伝統産業会館の壁のタイルも信楽焼きが使用されています。

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今でも"たぬき"は信楽のトレードマークとして町のあちこちで見られます。

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神山清子さんの略歴

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1936年 長崎県佐世保市で金場 繁の長女として誕生。(神山は夫の姓)。父は炭鉱の現場監督で情に厚い人だったが、酒と博打が好きで金使いが荒くいつも借金に追われていた。清子は子どもの頃から母に替わって家事や家計をやっていた。
1944年 父は、労働に耐えられず炭鉱を脱走した朝鮮人を手助けした為、警察から目をつけられ、一家ともども佐世保を離れ、滋賀県日野市に流れてきた。
1947年 滋賀県日野から信楽へ移る。(清子小学3年生)。学力優秀、スポーツも万能だった清子は級長にも選ばれていた。負けん気が強く、いじめられても泣き寝入りせず相手の親のところに文句を言いに行ったり、校長室にかけこんで対策を訴えたりしていた。なりたい職業は婦人警官で柔道も習っていた。中学生の時、絵の才能を教師に認められて絵を学び始め、県の絵画コンクールで金賞を取った。町は奨学金を出すからと美大への進学を勧めたが、父は「女には勉強は必要ない。裁縫と料理ができたらええ」と有無を言わさず和裁・洋裁学校へ入れられた。
1954年 信楽の「近江化学陶器」に"絵付け工"として入社。
1957年 結婚(清子21歳)
1961年 長男賢一生まれる。
1963年 「近江化学陶器」から独立し、本格的な陶芸の世界に入る。
1970年 信楽古来の穴窯(寸越窯)を自宅に築く。
1984年 離婚(清子38歳)。賢一が古代の窯跡で陶器の破片を見つけてきた。深い緑色の光沢を持つその破片は釉薬を使っていなかった。「これこそが私の作りたかった本物の信楽焼き、自然釉や」ここから清子は自然釉の研究に没頭していく。
1990年 賢一が慢性骨髄性白血病発症(その後急性へ転化)。当時なかった「骨髄バンク」の設立運動を起こす。
1991年 骨髄バンク設立
1992年 賢一が31歳で死去(清子56歳)
2004年 映画「火火(ひび)」が制作された

神山清子さん単独インタビュー

清子さんのお父さんはどんな人でしたか?

普段はおとなしいけど、酒を飲むと気が大きくなり、家族に暴力を振るうこともあった。お金が手に入ると大盤振る舞いしたくなる性格で、宴会に全然知らない人が紛れこんでいたりして・・・そんで支払いは全部父にツケられていたので借金は膨れ上がっていった。(つい最近まで信楽はツケ(売掛け)が当たり前でお金を持っていなくても買い物や飲み食いが出来た。)

子どもの頃、絵が上手と評判だったそうですね

似顔絵を書いてくれと頼まれることがようあった。書いたげるお礼に鉛筆や消しゴムをもらえるからな、書いてあげてん(笑)

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絵付け工として働くも給料が安かったので家計を助ける為に本業以外でも働いていたそうですね。どんなことをしていたのですか?

庭に花を植えて、咲いたのを売りに歩いたり、茄子やじゃがいも等野菜を育てて自転車で売りに行ったりしてたな。

ご自宅に築いた穴窯に「寸越窯(ずんごえがま)」と名づけられましたが、その由来は?

寸越(ずんごえ)は土地の名前なんです。

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寸越窯は何度も作り直されています。

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傾斜地を利用して作る登り窯(遺跡)と穴窯とでは形態が大きく異なります。

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一度に大量の焼き物を焼くことができる登り窯は当時画期的だった。

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信楽焼きは3~4日で焼くのが一般的だそうですが、16日間火を焚き続けてやっと自分の理想とする作品が出来たと伺いました。16日間も火を焚き続けたのはなぜですか?

昔の信楽焼きの色と風合い(自然釉)を出す為にそれはもう失敗ばっかりやった。そのたくさんの失敗の中で長い時間火を焚けば思ったのが焼けるんやないかという気持ち(仮説)はあった。半ばやけっぱちになって焚いたんやけどな(笑)陶芸は「土」と「焼き」、これなんや。

長く焚き続けることで良い物が焼けることがわかってから、周りの人に「長く焚いたらええよ」と薦めたんよ。でも実際にやった人は少なかった。

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神山さんが思う信楽焼きの魅力とは何でしょうか?

(信楽の)土がいいんです。土に粘りがあって火に負けない。そしてこれほどいろんな色が出せるのは他の焼き物ではないんと違うかな。信楽焼きは日本一、いや世界一やと私は思うてる。でも自然釉焼成に必要な純粋な土は今は無くなっているとの事。長時間焼成は困難になっており、松の木は枯れ始めた。電気、ガス、石油窯になり、信楽の火色は、新しい信楽焼きの火色へと変化し、形も変え、これからの信楽焼きはどこへ向かうのでしょうか。。。

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取材後の感想

陶芸という完璧な男社会の中で、数々の困難や障壁に負けず、自分の力で道を切り開いてきた神山清子さん。今回2時間以上に及ぶ長いインタビューにお応えいただき、いろいろなお話を伺いましたが、それでも口には出せない辛いこと、悲しいこと、苦しいことがたくさんあったことだろうと思います。当時のムラ社会では「女のくせに生意気な」とか「協調性がない」などと仲間外れにされたこともあったようです。しかし神山さんは人からどう思われようと、自分の思うこと、言いたいことをはっきり言う芯の強い方でした。(インタビューにお応えいただく口調は穏やかでしたが)自分を信じて、失敗しても失敗しても諦めず、自分の理想とする陶芸の姿を求めて愚直に「土」と「火」に、そして自分自身に向き合ってきた神山さん。ひとつのことに没頭(集中)する力はすごいと思います。神山さんのお宅に上げていただき、作品が飾ってあるお部屋に入った時、その作品から発せられる"力強さ"に圧倒されました。

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神山さんの作品は"お寺の人"に人気があるそうです。仏教の世界観と響きあう部分があるのかもしれません。

神山さんが実名で登場する映画「火火」(2004年公開)の中でこう言うシーンがあります。(神山清子さんを演じるのは田中裕子さん)

「(作品を作る時)カッコつけて形ばっかり気にしてるうちはあかん。自分を捨てきれてこそ自分が出せるんや。見栄とかプライドとかに惑わされてるようではいかん。」と。

映画「火火(ひび)」TSUTAYAサイトはこちら

神山さんはインタビュー時、こうも仰いました。

「有名になるいうのも考えもんや。有名になったら近寄ってくる人がようけ出てくる。足引っ張ったろういう人、うまい話持ってきて自分だけ儲けようとする人「スポンサー付けてもっと大きくやりましょう」とか。そんなんロクなことない。私は今回話題になったからゆうて商売とか個展とかやる気はない。」

私がやりたいんは「本当に焼き物が好きな人に伝えていきたい」いうことや。

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神山清子さんが今も闘い続けている仕事場です。

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シンジーノ
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