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【ドイツ】世界で2番目に行きたかったメルセデス・ベンツ博物館!黄金時代のレースカーに感動しました!
私は自動車が好きですが自動車博物館というものに殆ど行ったことが無く、興味はかなり有るものの今まで行った事のある場所は石川県にある"日本自動車博物館"のみ。そこで今回のドイツ旅行は、以前から一度見てみたかった自動車博物館訪問だけを目的に計画しました。
世界に数ある自動車博物館で2番目に行きたかったのが、今回訪れた「メルセデス・ベンツ博物館」です。世界で最も歴史のある自動車メーカー「ダイムラー・ベンツ」。120年以上歴史あるメーカーですので歴史が詰まっており、非常に見ごたえがあり駐車場もすぐに解りましたので安心してゆっくり見ることが出来ました。
ということで、ドイツ・レンタカーの旅第4弾は、「メルセデス・ベンツ博物館」を訪れたお話です。
目次
- メルセデス・ベンツ博物館へいざ潜入!
- マニアックですが、、、歴史的な車を一挙にご紹介
- メルセデスベンツSSK(1929年)
- 1930年代の高級車だったか
- メルセデスベンツ300(1951年)
- メルセデスベンツ300SEL-6.3(1968年)
- メルセデスベンツC1-11Ⅱ(1970年)
- メルセデスベンツのレースの歴史
- トランスポーター
- メルセデスベンツW125レコードワーゲン(1937年)
- W196 ストリームライナー
- 300SLR(1955年)
- メルセデスベンツ300SLプロトタイプ(1952年)
- 300SLRクーペ
- "世界で2番目に行きたかった"メルセデスベンツ博物館を訪れて
メルセデス・ベンツ博物館へいざ潜入!
最初の計画ではフェルディナント・ポルシェ博士が起業する前に働いていたダイムラーベンツ社の車を見てポルシェ博物館を訪れる予定でしたが(歴史の順番通りに回った方が面白そうだったから)、予定外にポルシェ博物館に着くことになり、めぐる順番が逆になってしまいました。
このメルセデス・ベンツ博物館はシュトゥットガルト駅近く市内中心部にあります。因みにここもナビではなく聞きながら自力で来ました。VOLVOのナビはとっても難しかったです。
中に入ると中古車の販売コーナーや新車の展示場等がありました。W126型の300SE極上物を気にしつつ、博物館へ向かいます。入場料は10ユーロ(約1,250円/2019年2月現在)。
屋内は吹き抜けになっており、日本語のパンフレットとオーディオガイドの貸し出しも有ります。ナレーションは、あの池井戸潤さん原作の人気ドラマのナレーションでおなじみ、山根基世さんです。
マニアックですが、、、歴史的な車を一挙にご紹介
ここからは、またマニアックな車を中心に紹介します。一般受けするような内容ではありませんので興味がある方はご覧ください。
カール・ベンツが発明したベンツ1号車。今から130年以上前の自動車です。
こちらは1920~30年代の車。"エミール・イエルネック"が名付けたメルセデスとベンツの合併前の車が展示してあります。まだ馬車の名残が残る自動車が展示してあります。
メルセデスベンツSSK(1929年)
"メルセデスベンツSSK(1929年)"
1920年代を代表するスポーツカー。S、SSと連綿と続くSシリーズの最終形がこのSSK。
7L直列6気筒エンジン過給機付きエンジンは最終的に225馬力、最高速200㎞/h。
1930年代の高級車だったか
これは車名忘れましたが・・・、ヴィルヘルム・マイバッハの名がついた1930年代の高級車だったかと思います。故障が少なくアルプス越えをできて名前に旅行を意味するような車名だったかと思います。
メルセデスベンツ300(1951年)
"メルセデスベンツ300(1951年)"
戦後初のメルセデスの高級車。形式は3L直列6気筒150馬力。これはカブリオレの300S。現在のS600クーペ・カブリオレ(R217)よりもエレガントに見えます。
メルセデスベンツ300SEL-6.3(1968年)
"メルセデスベンツ300SEL-6.3(1968年)"
W108ボディーに600用6.3L V型8気筒SOHCエンジンを搭載したスーパーセダン。最高出力250馬力、最大トルク51mkgで最高速は220㎞/h。最終的には排気量が6.9Lまで拡大されて"450SEL-6.9"まで発展しました。高級車で現在主流になっているエアサスペンションも装備しています。
メルセデスベンツC1-11Ⅱ(1970年)
"メルセデスベンツC1-11Ⅱ(1970年)"
4ローターヴァンゲルローターリーエンジンを搭載したコンセプトカー。これは現存する1台のⅡ型。70年代、ヴァンケルロータリーエンジンは各社開発しており最終的に日本のマツダのみとなりました。
ローターリーエンジン搭載のこの車、市販はされることは有りませんでした。 エンジンはミッドシップ4ローター2.4Lで300馬力、最高速300㎞/h。十数年前のカーグラフィックTVで走行シーンが放送されていました。
メルセデスベンツのレースの歴史
ここからがこの博物館最大のハイライト。ここが見たいがためにリスクをしょってわざわざ日本からやって来ました。
メルセデスベンツが誇る、レースの歴史の展示です。19世紀からレース活動を続けていただけの事はあり歴史が詰まっています。
私の好きな黄金時代を築いた1930年代、1950年代のクルマを中心に御紹介します。
トランスポーター
まず、レーシングカーの前に紹介したいのが1955年に制作されたこの"トランスポーター"。レース場にいち早く運ぶためだけに開発された快速トラック。当時のスポーツカー"300SL"をベースに最高巡航速度170㎞/h出るように設計されています。
20年位前、雑誌で初めてこの車の存在を知って役目を終えた後、解体されたとのことでしたが、この車は当時の設計図で忠実に再現されたレプリカだそうです。
自分の部屋に飾ってあるミニカーと同じものが現車で見れて感動しました。
メルセデスベンツW125レコードワーゲン(1937年)
ここで一番見たかった車、"メルセデスベンツW125レコードワーゲン(1937年)"
ベースとなった車は1930年代、史上最強と言われたW125グランプリカー。5.7L直列8気筒DOHC2段スーパーチャージャー付きで592馬力(グランプリカー)
総統の提案による高速道路網"アウトバーン"が完成した1930年代、この道を使って速度記録が行われていました。大変クルマ好きだった総統は自動車レースをオリンピックやサッカーのワールドカップの様に国威発揚の場として西ドイツの自動車メーカーに多大なる補助金を出します。
無制限クラスで先鞭を切ったのはライバル、アウトウニオン(現Audi社)TypeC(6L V型16気筒)に乗る"ベルント・ローゼマイヤー"で1937年10月、406.3㎞/hの世界速度記録を樹立。翌1938年1月28日に行われた速度記録大会。メルセデスベンツは必勝態勢で参加。1930年代のチャンピオンドライバー"ルドルフ・カラッチオラ"によって往復平均432.692㎞/hというとんでもない新記録を樹立したクルマです。片道では437㎞/h出ていたといわれ、80年たった今でも公道上の記録はまだ破られていません。
破られたライバル"ベルント・ローゼマイヤー"は再び記録を取り返すべく、カラッチオラにお祝いを言うとアウトウニオンType-Cスペシャルにいそいそと乗り込み、設計者のポルシェ博士やカラッチオラが風が吹いて危険だという忠告を聞かず挑戦。片道449km/hを出しておきながら、復路9.2㎞地点で衝突。1km以上吹き飛ばされローゼマイヤーは不運にも事故死。享年28歳。記録達成にはなりませんでした。
1937、1938年ヨーロッパチャンピオンシップ(現在のF1)を獲得した"ルドルフ・カラッチオラ"がドライブしたW125グランプリカー。当時のレギュレーションは750㎏以下とされ、フロントエンジン、リアドライブのレイアウト。ブレーキは4輪ドラム。当時のライバルアウトウニオンType‐CはV型16気筒をミッドシップに搭載して強力な出力を路面に伝えるべく後輪はWタイヤになっていました。当時の映像なんかを見ると豪快にドリフトしながらコーナーを駆け抜ける"ベルント・ローゼマイヤー"が映っておりかなり運転が難しかった事が想像されます。
W196 ストリームライナー
1954年、約20年ぶりにF1グランプリに復活したメルセデスベンツのマシーンがこの"W196 ストリームライナー"です。このボディは主に高速サーキット用に使われ、ニュルブルクリンクで行われたドイツグランプリではオープンホイールボディの"W196タイプニュルブルク"が登場します。
このW196グランプリカー。アルゼンチン出身の"ファン・マヌエル・ファンジオ"により1954・1955年、圧倒的な強さで2年連続ワールドチャンピオンに輝いたマシーンです。当時のF1レギュレーションは過給無エンジン2,500㏄以下、走行距離500㎞で開催されていました。
エンジンは定評ある2.5L直列8気筒DOHC、290馬力。このエンジンのトピックスであるバルブスプリングを持たずカムで駆動する"デスモドローミック機構"です。サスペンションは前輪Wウィッシュボーン、後輪はド・ディオンの独立懸架、ブレーキは4輪ドラム。マセラティやアルファロメオ等イタリアのライバルを寄せ付けなかった50年代を代表する最強マシーンです。
300SLR(1955年)
こちらはスポーツカー選手権で活躍した"300SLR(1955年)"。カーナンバー"722"はイタリア半島を一周するレース"ミッレ・ミリア"のスタート時間を表す番号(7:22に出発)。この車は1955年のミッレ・ミリアでスターリング・モスが新記録で優勝した車そのもの。タルガフローリオでもモスは優勝しスポーツカー選手権で圧倒的に強かったマシーンです。因みにF1でのチャンピオン、ファンジオのカーナンバーは658。
エンジンはW196GPと殆ど同じ直列8気筒エンジンで排気量は3Lです。
メルセデスベンツ300SLプロトタイプ(1952年)
"メルセデスベンツ300SLプロトタイプ(1952年)"。後に続く300SLR、W196GPの流れを汲むスポーツカーです。生産型の300SLとは結構形が違います。エンジンは3L直列6気筒SOHC直噴で214馬力、メキシコの公道レース"カレラ・パナメリカーナメヒコ"で大活躍した車。
300SLRクーペ
これは先述の300SLRのクーペバージョン。300SLRクーペ。これ、ここに来るまで知りませんでした。元々300SLRはクーペで企画されていたものがドライバーの反対でオープンで制作されました。オープンボディを再設計されたものがこの車で設計者"ルドルフ・ウーレンハルト"が私用で使っていたことから、別名"ウーレンハルトクーペ"と呼ばれています。
"世界で2番目に行きたかった"メルセデスベンツ博物館を訪れて
この人が"シルバーアロー伝説"を作った立役者、"アルフレード・ノイバウワ―監督"。1920~50年代、メルセデスベンツのモータースポーツを率い、一時代を築きました。
ポルシェ博物館編からここまでご覧になった方は私の嗜好が大体お解りになったかと思います。
今は無くなってしまった公道レースを中心に活躍した車ばかりを紹介しています。
1930~50年代のレースシーンで圧倒的な強さで"シルバーアロー伝説"と呼ばれた当時のレースカーを見学できてとても感動しました。今までは白黒の映像でしか見ていなかった物の現物が見れるのはとても貴重な体験でした。現在のレーシングカーとは違い、スポンサーシップの無いナショナルカラーをまとったレーシングカーはとても美しく、クラッシックカー市場で投機の対象になっている事が良く分かりました。
世界で2番目に行きたかったこのメルセデスベンツ博物館、次に機会があれば世界で一番行って見たい博物館、イタリアにある"ムゼオ・スタンゲリー二"にレンタカーで行って見たいと思っています。
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ながさき
- 旅行業界27年目、国内旅行が得意です。