日光街道の宿場町「幸手」を感じる旅

あなたは埼玉県の幸手(さって)という街(市)をご存じでしょうか?

日光東照宮へ続く日光街道沿いに「聖福寺」という浄土宗のお寺があります。

徳川八代将軍吉宗公が江戸から日光東照宮へお墓詣りに向かう途中、立ち寄って昼食を召しあがったこともある600年も続く由緒あるお寺の今井ご住職がこうおっしゃっていました。

「幸手の街は予算が潤沢でない為、旅行者のみなさんに親切な標識とか、観光地として充分に整備を行うというところまで手が回らないんですよ。市民レベルでできることは取り組んでいるんですがそれもなかなか思い通りにはいきません。でも私はそんな風に思う一方で「幸手はこのままでもいいんじゃないか」とも思ってるんですよ。幸手の街は今から400年前の道がそのままの道幅で残っていたりするんですよ。そんな街を歩くとやはり感じてくるものがあります。宿場町でもあり、城下町でもあった幸手という土地は歴史の宝庫なんです。春にはこの街で有名な「権現堂堤の桜並木」をご覧いただいた帰りに、日光街道の辺りをブラブラと歩いてみてください。それだけで歴史を感じられることでしょう。」

こちらが聖福寺の今井ご住職です。

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優しそうなお顔をなさっています。今井ご住職のこのお言葉で「幸手という街の魅力」が少しわかったような気がしました。

お金をかけて飾りつけた観光施設を建てたり、広告費をじゃぶじゃぶ使ったりしなくったってその街の良さを伝えることは出来る、次の時代へ引き継いでいくことはできる。

今回「幸手を感じる旅」としてバスツアーが企画され、同行取材してきました。

幸手には確かに豪華絢爛な施設も、お土産用の有名なスイーツも、華々しいイベントもありませんでした。でも、この街には地元の人々の、幸手を大好きだという思いが、旅人を温かくもてなそうという気持ちが溢れていました。

幸手には「日光街道幸手を感じる会」というNPO法人があります。ここに所属するボランティアガイドさん達がこの街を熱く丁寧に語ります。

今回幸手について私が知ったこと、感じたことをお伝えしたいと思います。

目次

幸手の基本情報

まずその前に幸手にまつわる基本情報から押さえて参りましょう。(以下基本情報は幸手市建築経済部商工観光課発行マップより引用)

日光街道とは

江戸幕府によって整備された五街道のひとつで江戸期には日光道中、日光道と呼ばれていた。江戸日本橋を起点として日光東照宮まで総延長は約142kmに及ぶ。日光街道は、日本橋から宇都宮宿まで奥州道との共用区間であった為、東北方面の大名の参勤交代に用いられた他、日航社参(東照大権現への参拝)の道として庶民にも多く利用されていた。日光街道には21の宿場が設けられ、人馬の継立、助郷差配などの業務を行う問屋場、大名が宿泊、休憩をした本陣、脇本陣などが置かれたほか、旅籠、木賃、茶屋など商店が建ち並び、町場を形成し賑わいを見せていた。

幸手の始まり

幸手の地名は諸説あり、アイヌ語で「乾いている」を表す「さッ」あるいは水が涸れた流れを表す「さッテク」を語源とするアイヌ語説、また倭健命(ヤマトタケルノミコト)が東国下向のおり訪れた島が「薩天ヶ島(さってがしま)」と言われるようになった説など諸説ある。幸手は古くは下総の国に属し、後に大半は武蔵国に編入された。

幸手宿のなりたち

日光道が整備される以前より、幸手は利根川水系による河川舟運と鎌倉街道中道の人の往来で、交通の要衝として栄えていたとされる。特に中世では、古河公方の重臣・幸手一色氏との縁が深く、政治的・軍事的にも重要な場所であったことが伺われる。江戸時代になり日光道が整備されると、1616(元和2)年に幕府より人馬継立を命ぜられ幸手宿となった。幸手宿は日光街道のみならず、将軍家による日光社参の道である日光御成道との結節点でもあり、重要な地だったと考えられる。現在もその当時の道幅のままで約1km続いています。江戸時代、幸手は天領でした。そのことからも幕府が幸手を重要な土地と捉えていたことがわかります。

幸手を感じる旅ツアーの観光コース

バスツアーは以下のスケジュールで催行されました。

都心各地発 → 農産物直売所さくらファームでお買い物 → 幸手駅から幸手宿歩き → 昼食 → 聖福寺 → 都心各地へ

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JAさくらファーム

幸手屈指の観光地 桜並木が続く「権現堂堤(ごんげんどうつつみ)」沿いに立つJAさくらファームでショッピングです。

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新鮮な産地直送野菜や果物、特産品が並んでいました。

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バスが到着するまでさくらファームは静かでしたがあっという間に大盛況になりました。

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今回ツアーとしては初めての試みということで現地受け入れ側として自治体の方々もお出迎えされていました。

左から幸手市商工会の長岡事務局長と岡野経営指導員、埼玉県中小企業団体中央会の櫛笥調査役です。

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今回ご参加のお客様にはJAさくらファーム 田口副店長さんからほうれん草がプレゼントされました。

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幸手駅から日光街道 幸手宿歩きスタート

JAさくらファームからバスで幸手駅まで移動し、いよいよ幸手宿歩きが始まります。

幸手市商工会の梨本会長より幸手にお越しいただいたお礼とご挨拶がバス内で行われました。

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NPO法人日光街道幸手を感じる会のガイドさんたちの案内の下、3つのチーム(1チーム10~15名)に分かれて街歩きが始まります。

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いきなり懐かしさに溢れた建物に出くわしました。

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<老舗旅館あさよろず>

1819年(文政2年)開業で今に歴史を伝える老舗旅館「あさよろず」。宿泊者には明治の元勲、伊藤博文、板垣退助、大久保利通などそうそうたる方々が名を連ねます。

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今は建物はモダンな造りになっていますが、宿泊者の宿札がロビーに残されています。(写真ではちょっと見えにくいのが残念です)

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こちらが「あさよろず」の裏門です。歴史を感じますね。ちなみにこちらのガイドさんはこの旅館あさよろずのご主人でもあり、NPO日光街道幸手を感じる会の新井会長です。

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旅館あさよろずの向かい側からパンが焼ける香ばしい匂いがしてきます。

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<老舗パン屋「東城屋」>

こちらは90年も続いているパン屋さんです。

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奇をてらわず、流行に惑わされず、90年間誠実に作り続けてきた地元に愛されるパン屋さんという印象を受けました。この貼り紙もいい感じですね。

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<明治天皇幸手行在所(あんざいしょ)跡>

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天皇が行幸でお泊りになった場所が「行在所」。立ち寄るだけでは行在所とは言わないそうです。こちらは1881年(明治14年)と1896年(明治29年)の2度明治天皇の行在所となった中村家があった場所です。

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街道沿いは間口は狭くても奥行きが長いお店が多いのに気がつきました。その理由は表の間口の長さにより税金が決められていたからだそうです。奥行きが長い為、仕事をするのにこんなしくみが今も残っていました。

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この老舗酒屋「永文商店」には今も現役のトロッコ(横丁鉄道)が活躍してます。

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昔から続く酒屋さんという風情が漂っています。

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<岸本家住宅主屋>

国登録有形文化財。昔は醤油醸造を営み1900年(明治33年)にはパリ万博で銅賞を受賞。現在残るのは主屋のみですが、古民家カフェやイベント会場として開放されています。

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内部は落ち着けるカフェとなっており、美味しいカフェオレをいただきました。

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街道の道幅は江戸時代と同じだそうです。

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いい感じの建物が続きます。

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歩き始めて約1時間そろそろお腹も空いてきた頃です。

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<料亭「ときわや」さんで昼食>

今回のツアーのメインでもあるそのメニューとは・・・

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徳川8代将軍吉宗公が日光東照宮へ墓参りに向かわれる途中、幸手宿で召し上がった昼食を再現した「吉宗弁当」です。

ん?あれ?将軍が召し上がった料理?・・・にしては少々質素のような気が・・・(笑)

当時と今の食材や食に対する感覚は随分と違うと思いますが、正直ちょっと意外でした。

吉宗弁当の献立は以下の通りです。(献立解説:幸手商工会)

◆煮しめ:焼き豆腐 切りとうがらし

当時、江戸の豆腐は京・大坂のものより数段固く、今日の「木綿ごし」の食感であったかもしれません。また唐辛子は、当時から広く食用に用いられていたようです。

◆煮しめ:ひじき、色付きくわい

ひじきは庶民も、煮物や和え物に多用していました。武州名産のくわいは、大根・山芋などと同じく、辛いものを加えるか、酢を加えて、煮て食するのが良とされていました。当時のくわいの色付けには、何を使っていたのかを考えながら食するのも、楽しいのではないでしょうか。

◆塩煮の山芋、煮しめの蓮

◆酒ひねりひしお、香の物、干ししょうが、塩山椒、小梅干し

大豆の発酵食品である「ひしお」に貴重品の酒をからませたものです。香の物は、当時から庶民の食卓には欠かすことのできないものでありました。この土地「幸手」も大消費地江戸の食を支えたかもしれません。干ししょうが、塩山椒、など今日では聞きなれない食品もあります。

◆ごはん、砂糖、胡椒、紙包み

当時、白米が多くの庶民に食されていたかは疑問です。吉宗自らは「玄米食」を食していたとのことです。聖人は食にあった醤(あえしお)がないと召し上がらなかったといいます。醤(あえしお)はひしお(もろみ)のことではなく、食物に加える「調味料」のことで、塩・しょうゆ・酢・胡椒・山椒などがそれに当たるとされています。

◆くだき豆腐、こまごま菜

くだいた豆腐と菜のすまし味噌汁です。今日のにごった汁ではなく「お吸い物仕立て」のような見栄えです。当時の菜は畑菜・水菜の類であったでしょうか?今回は吉宗命名の「小松菜」を使用しました。

※この日のメニューにある刺身は実際は出なかったそうです。

玄米に砂糖をかけて食べるというのが面白いですね。今の日本人の味覚と当時とは違っていたのかもしれません。どの品もあっさりとしていて美味しかったそうですよ。

<将軍家の休憩所 聖福寺>
600年続く浄土宗のお寺。本堂の「将軍の間」の彫刻は日光東照宮のあの「眠り猫」を作った左甚五郎と伝わる。その他、運慶作と言われる阿弥陀如来がある。山門は唐破風の四脚門で勅使門と呼ばれ将軍の通行のみ許された。勅使門は幸手市の指定文化財となっている。(幸手市建築経済部商工観光課発行マップより引用)

こちらが勅使門です。

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本堂の左は幼稚園です。

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本堂で今井ご住職の講話を伺いました。

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講話の終わりに、今井ご住職が作られた「幸手の歌」を拝聴しました。この「幸手の歌」なんとラップ調なんです!ええ~っ!

鐘楼で説明される今井ご住職。

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ツアーは聖福寺からバスで帰路につきます。

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バスに乗る前にお土産としてお豆腐屋さんが作った揚げたて熱々のおからドーナツとおかきがプレゼントされました。

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取材を終えて

初めての場所なのにどこか懐かしい。昔から同じ味を守っているパン屋の香ばしい匂い、今も現役で動いている商店のトロッコ(横丁鉄道)、常識や慣習に縛られず、ラップ調の「幸手の歌」を作られた600年続くお寺のご住職。「この街、とっても住みやすそうだな」と感じました。それはここに住む人たちが幸手を語る時の表情が物語っていると感じました。
次の週末あたり、居心地よく、こころ和む街、幸手を感じに出かけませんか?

幸手へのアクセス

東武日光線「幸手駅」

浅草駅から約60分(急行、区間急行、区間準急「南栗橋行き」利用)

北千住から約45分(急行、区間急行、区間準急「南栗橋行き」利用)

>>詳しくはこちらから

最後にツアーのお客さまを幸手の街をあげておもてなしいただいた方々で記念写真を撮りました。ありがとうございました!

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日光街道 幸手宿の詳しい観光情報はこちらから

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シンジーノ

3人娘の父で、最近は山歩きにハマっているシンジーノです。私は「お客さまが”笑顔”で買いに来られる商品」を扱う仕事がしたいと思い、旅行会社に入って二十数年。今はその経験を元にできるだけ多くの人に旅の魅力を伝えたいと“たびこふれ”の編集局にいます。旅はカタチには残りませんが、生涯忘れられない宝物を心の中に残してくれます。このブログを通じて、人生を豊かに彩るパワーを秘めた旅の素晴らしさをお伝えしていきたいと思います。

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