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日本唯一の江戸趣味小玩具店、仲見世「助六」で ここでしか買えない、縁起と質の良い浅草土産を買おう

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記事投稿日:2018/10/28
最終更新日:2018/10/28

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<浅草仲見世「助六」の木村吉隆(よしたか)さん。1937年浅草生まれ。 18年間商社に勤めた後、1977年、42歳のときに店を継いだ。洒落た服装で店頭に立ち、小玩具の由縁を小気味良い口調で語る姿が格好いい!>

浅草仲見世、観音さま(浅草寺)の宝蔵門そばで商いをしている「助六」には江戸時代から浅草に伝承されている豆おもちゃがずらりと揃います。精巧な細工に見入り、ひとつひとつにこめられた意味を聞く眼福・耳福のひととき。江戸町民の豊かな創造性と、粋で自由な遊び心になごめる、魅惑の世界に引きこまれていきました。

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<間口一間(いっけん)の小さな店に、職人たちが作る小玩具が3,000点以上並ぶ>

目次

江戸趣味小玩具を護り、広める

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助六の屋号は浅草寺の辰巳の方角という縁起の良い場所で商売を始めるとき、観音さまの五臓六腑を門前でお助けしたいという想いから(健康を助ける)と、自宅が浅草・花川戸にあったため、歌舞伎十八番の芝居『助六由縁江戸桜』に登場する花川戸の助六にちなむ。侠客の助六は男気が名高かったと伝えられ、歌舞伎では江戸町人の理想像とされる

雷門をくぐって商店街の仲見世(なかみせ)に入り、外国人観光客でごった返す賑わいに驚きながら浅草寺に向かうと、本堂手前の宝蔵門から数えて2番目に「助六」の店舗がありました。隣の角地は人形焼の「木村家本店」。「助六」の五代目の苗字も木村さんということで、両者に関係があるのかなと5代目の吉隆さんに尋ねると、隣は母親の実家とのこと。江戸末期の慶応2年(1866年)に商いを始め、「助六」は絵草紙などの販売から始まり、江戸趣味小玩具を扱うようになっていきます。食べるものにも困った戦後、仲見世は闇市となり、長靴や七輪などが並び、飛ぶように物が売れましたが、4代目の木村卯三郎(うさぶろう)さんはかたくなに小玩具を販売し続けたといいます。「父親は融通がきかなかったから、闇市はできなかったんですよ。当然、小玩具は戦後7年間まったく売れなかった。兄貴なんかはね『どうなってるんだろうねぇ、親父は』って言っていました」と述懐する木村吉隆さんも最初は兄と同じように戸惑ったそう。

ほかに「武蔵屋」「伊勢勘」など仲見世に3軒あった江戸趣味小玩具の店も戦後に商売を畳み、「助六」のみに。「あまり儲かりませんし、商品の種類が多くて小さい物ばかりで管理が大変だから、辞めてしまったのでは」と木村さん。大変な時期だったけれど、闇市に転じていたら、小玩具を作る職人はみんないなくなっていたでしょうと、木村さんは振り返ります。その後、流通が盛んになると、卯三郎さんは百貨店など全国への卸しは辞め、この店だけで売ろうと決断します。「今は北海道から沖縄まで同じ物が売っていますよね? うちはせめて、もう一回行きたいと思ってもらえる店にしたかった」。何度も足を運びたくなるほど良い物が多様にあり、しかもそれらはここでしか買えない。そんな個性的で日本唯一の小玩具専門店となった「助六」。その商いの姿勢や方向は一貫とぶれず、手間がかかる精緻な職人の仕事と、江戸以来の小玩具文化を護り、広めています。

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<浅草文化観光センターの8階展望テラスから俯瞰した仲見世。手前が雷門、最奥が宝蔵門>

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<宝蔵門の手前にある「助六」。角は「木村家本店」。アジア各地や欧米など外国人観光客が客層の7割ほどを占める。単に「かわいい」だけではない。日本人の職人による細やかな手仕事の見事さも彼らの心をとらえているのだろう>

粋な旦那

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<英語の日常会話も淀みない木村さん。父親と同じく慶応大学の出身。人前に出るのに服装を気遣わなくなったら一気に老いますよ。それと、ボケないには趣味を持つことが大事と諭してくれた。気風の良い語りが耳に心地いい>

「助六」は独自の商品構成も魅力ですが、木村さんとのおしゃべりも楽しく、目当ての物を手に入れたあとも、しばらく店に長居したくなります(小さな空間なので、ほどほどに)。生まれ育った浅草や江戸小玩具の歴史に詳しいだけでなく、多方面への関心の高さを伺わせる豊富な話題の引き出し。姿勢が良く、服装もモダンで、とても私の父親と同世代とは思えぬほど若々しいのです。その溌剌とした様子にたくさんの元気をもらえました。「老人はなおさら身なりや清潔感が大事」といった心にしみいる助言の数々。店には朝9時半に来て、11時くらいまで店番してから友人と昼ごはんを楽しみ、週2回は銀座での長唄の稽古と食事会に参加。ゴルフや旅行が趣味という木村さんのように、健やかに、純粋な好奇心をずっと失わずに歳を重ねたいと憧れたのでした。

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<右は木村さんの著書『江戸の縁起物』(亜紀書房)、美しい小玩具の写真と、江戸の粋を伝える洒脱なテキストが良い。左は木村さんの人脈をもとに編集者・ライターの藤井恵子さんが著した『浅草 老舗旦那のランチ』(小学館)>

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<創業時から変わらぬデザインの包装紙。テキパキと商品を包む木村さんの手の運びにも見とれてしまう>

小さくて意味がある

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<豆粒大の独楽。右端のが「助六」で扱う独楽ではいちばん大きいサイズ。左側の小さい独楽はひょうたんに5つ入っていて6,000円(税込、以下同じ)>

江戸の享保年間(1716~1736年)は武士より町民が経済的豊かになった時代。8代将軍徳川吉宗の時代に発令された奢侈(贅沢)禁止令により、裕福な町民層が楽しんでいたお雛様や五月人形などの豪華に飾る大きな玩具はご法度に。そのため、できるだけ小さくて精巧な細工をほどこした玩具や、幕府に対しての風刺や洒落をきかせた江戸趣味の小玩具が作られるようになりました。お上からの圧力をユーモアたっぷりにかわし、新たな楽しみを生み、心の拠りどころを見出していく江戸町民の強さ、しなやかさには崇敬の念を抱きます。こうして誕生した江戸の小玩具には、小さな物を慈しむ心と、願いや祈りが託されていると木村さん。

たとえばと、手のひらに載せた小さな独楽(こま)は豆粒状のサイズなのに、大きな物と変わらぬ姿をしているうえ、いちど極細の軸をひねれば、くるくるとよく(まめに)回ります。その滑らかな動きには「こまめに健康に」という願いがこめられているのだそうです。「健康と成長、厄除け、五穀豊穣、商売繁盛など、小さくてなおかつ意味があるというのが江戸小玩具の良いところ」と話す木村さん。しかし、小さくて良い物は大きい物を作るより苦労するし、その割に高く売れない。大変さを心底理解しているから発注にも気を遣う。職人を懸命におだてて、説得するのも木村さんの仕事なのです。

「大きいのは誰でもできるけれど、小さい物は君しかできないって作っていただいてます」。僕は批評家みたいに、ただ言うだけだから楽なんですと謙遜しながら、職人との信頼関係が必須のやりとり。職人を育て、護り、細やかな仕事の素晴らしさを伝え広める。「助六」の店主はこうして江戸特有の文化と町民の心を今に継いできたのだと感じ入りました。

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<昭和2年(1927年)出版の『江都二色(えどにしき)』(米山堂)は江戸小玩具を紹介。右は玩具「ネズミと猫」>

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<左は配色が美しい『ネズミ風車』。息をかけると、くるくる回る。5,300円。右は『ネズミと猫』。猫が追いかけるとネズミが隠れる仕掛け。4,800円。「江戸の町民は動くっていうのが楽しかったんでしょうね」と木村さんは昔の資料をもとに玩具を再現することもある。そのアイデアと注文に対して、付き合いのある職人は細部を省略せずに作ってくれる。数多く手がけても顔やかたちは同じ。同じ質でたくさん作ることができる作り手を木村さんは真のプロフェッショナルと認める>

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<今年の年賀切手の題材になった『笊(ざる)かぶり犬』は「助六」の定番玩具のひとつ。3,800円。小さな子どもが病気や怪我で亡くなることが多かった江戸時代に、親が子どもにお守りとして与えた玩具の最たる物。風邪をひいても「鼻づまりしないように」水の通りの良い笊をかぶせ、「できもの瘡(かさ)が小さくなりますように」とすぼめた傘を笊に載せた。また、犬という文字に竹かんむりをかぶせると「笑」という字に似ることから、「子どもには、いつも笑顔で元気に育って欲しい」という願いもこめられている>

シンプル・イズ・ベスト

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<稚気に満ちた動きで観る者をワクワクさせる軽妙な玩具『とんだりはねたり』。3,300円。右は「しめこの兎(うさぎ)」。兎を締める(殺す)ことで食べものをいただけると、「締める」と「しめた!」両方の意味と勢いが、簡素な構造と姿にこめられている。天明年間(1781~1789年)には雷門に定店が設けられるほど人気の浅草名物となった>

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<兎とスズメは最初期に誕生した『とんだりはねたり』。この助六人形のように、ピョンとひるがえると、かぶり物が飛んで、なかの顔が現れる仕組みはのちに考え出された>

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<助六人形がひるがえって傘が飛び、顔がさらされる>

江戸小玩具には腕の優れた職人仕事による物もあるけれど、全部自分で作れて、自分で直せる玩具もあると木村さんが教えてくれました。『とんだりはねたり』は江戸の町で大人気になった絡繰り(からくり)玩具。割竹の上に小さな張り子の人形が載り、割竹裏側の中心には糸を巻き付けた細い竹が留められています。この細い竹を反対側に引くと、バネの仕掛けで細い竹が跳ね上がり、人形が飛んだり、跳ねたりする躍動感あふれる動きを楽しめるというわけです。これは江戸の安永年間(1772~1781年)に浅草の人が発案。雷門のそばで売り出されたのが、この小玩具のはじめだとか。

「シンプル・イズ・ベスト」と木村さんが讃え、最も好きというのが紙製の玩具『ずぼんぼ』。発案は『とんだりはねたり』と同時期の安永年間。雷門近くの定店で一緒に売られていたそうです。現在、「助六」で売る虎と獅子は当時からある2種。小屏風をめぐらし、団扇(うちわ)で風を送り、踊らせて遊びます。4つの蹄(ひづめ)には、昔は隅田川で採れたしじみ貝が付き、腹側は落下傘のように風を受ける立体構造。このかたちと貝の重さから、さかさまに落としても、くるりと反転して足からふわりと着地します。仕組みには大人の知恵が働いていますが、玩具じたいは身近な素材で子供でも作れる単純なもの。その着想と玩具の動きにときめいた江戸町民の興奮を想像しつつ、私も1つ購入しました。

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<明治時代に入り中絶したが、明治10年(1878年)頃、好事家の要望で「助六」が復刻させた『すぼんぼ』2種。各2,000円。名称は後世の好事家が命名した>

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<蹄にしじみ貝が付く。風を受ける腹部は内側に折り畳んで運ぶこともできる>

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<宙返りしても元通りに着地。「怪我なく、ますます元気」。この絡繰りにも健康への願いがこめられている>

さりげなく手間をかけている

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<『丸〆猫』。3,800円。頭が黒く、あぶちゃん(よだれかけ)をして、後ろの尾に「〇に〆」の刻印があるのが特徴>

さらに浅草らしい物と木村さんが手にしたのは、浅草今戸焼の招き猫「丸〆猫」でした。良質の粘土が採れる浅草今戸の一帯で江戸時代初期から瓦や素焼きの土鍋「焙烙(ほうろく)」などを作っていた職人が生業のかたわら手がけたのが今戸人形。当時は大変な人気を博したようです。そのひとつが招き猫の元祖という説もある丸〆猫。嘉永5年(1852年)には「助六」と近くの三社権現(浅草神社)の鳥居脇で老婆が売り、大流行になった記録もあるとか。「助六」にはさまざまな職人による多様な招き猫が並びますが、木村さんが見せてくれたのは、なかでも職人の特別な想いから生まれた丸〆猫。今戸の工事現場でもらった土で焼き、江戸時代と同じ岩絵の具で彩色された招き猫は今戸人形の古いお手本や資料を頼りに、できるだけ昔の姿を再現できるよう心がけたもの。職人の追究心がさりげなく表れる江戸小玩具ですが、とりわけ「万事うまく納まるように」という願いがこめられた丸〆猫には情念が宿り、ひときわ強い存在感を放っているよう私の眼には映りました。

「これがおもしろいのは(底を)割っていないところで、土鈴(内部に鈴が閉じこめられている)になっているんです。普通はみんな割れていて、その方が簡単に作れるんですけど、割らない。隠れたところに手間をかけているのが江戸なんです」。

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<底が割れていない>

作り手を探すのが仕事

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<張り子の『赤梟(あかふくろう)』。4,000円。底に重りが付き、倒れても常に起き上がる細工がほどこされ、回復を祈る気持ちがこめられている。赤は江戸時代に流行った感染症で到死率が高い疱瘡(ほうそう)除けの色と信じられ、「赤物」という郷土玩具が広まった。この赤梟は無病息災のご利益を期待されて作られた>

浅草の名物といえば河童(隅田川の河童たちが、現・合羽橋の水はけの悪い低地で水路を造成する難儀な工事を手伝ったという伝説があります)とたぬき(昔、浅草にはたぬきが多く生息し、「浅草たぬき通り商店街」の由来に)。そのため、「助六」は河童とたぬきの小玩具を定番商品として販売しています。そのほか、昔から人気の動物は犬と猫でしたが、戦後は進駐軍の影響で、カエルやふくろう、豚の玩具が売れるようになったとか。それで、これらの動物を題材にした、新たな小玩具を開発しようと考えた木村さん。

「どこにでもあるものではつまらない」と思案していたとき、たまたま東京国立博物館に行ったら、赤いミミズクを抱えた金太郎の錦絵(勝川春英の作『金太郎』)を目にしました。「北海道の人に言わせれば、赤いふくろうなんて居ないし、普通じゃないからとこれだ!」と商品化に行き着いたのです。

「僕の仕事は作り手を探すこと」と話す木村さん。以前は浅草周辺に職人がいたけれど、それぞれの事情で遠方へ転居。新たな職人も地方に出かけて探すようになりました。「なかにはね、儲かるものではなく、自分な好きなものをやりたいっていう者もいます。そこは日本人。文化っていうのはたいしたもんです。一朝一夕のものではないですから」。職人はだんだん少なくなると思いますよと、表情を少し曇らせたあと、力強く明言しました。「本物をやっていれば絶対に続くと思う」と。

取材を終えようとしたとき、木村さんの息子さん、光良(みつよし)さんが店番の交代で登場しました。三越を辞めて6代目となった光良さんは、穏和な雰囲気の吉隆さんよりも、きりっとした印象。ショーケースに撮影禁止の札を貼っているのに、ことわりなくカメラを向ける外国人観光客には「NO PHOTO!」と注意します。しかし、それは礼儀をたいせつにしているからで、きちんと伺いをたててくる人には撮影を許しているようです。筋が通った言動を好ましく感じ、江戸の文化を次代へ伝える「助六」は安泰だなぁと嬉しくなり、浅草を後にしました。

江戸趣味小玩具「助六」

住所:東京都台東区浅草2-3-1
電話:03-3844-0577
営業時間:10:00~18:00 
HP(仲見世):http://www.asakusa-nakamise.jp/store/pop.php?sid=95 

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