今、那覇に行ったら必ず訪れてほしいところ

それは対馬丸記念館です。

僕は学生の頃、広島市に住んでいました。当時8月になると毎年平和教育を受けていました。

その時に映画「対馬丸(アニメ)」を観て対馬丸の存在を知りました。

それから三十余年、ようやく訪問する機会に恵まれました。

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対馬丸に関しては知らない人が多いと思います。

しかし、戦争での沖縄を語る上で重要な事件なのです。

沖縄戦が徐々に近づいてきた昭和19年に老・幼・婦女子の県外へ疎開が始まりました。

8月21日、多くの学童集団疎開の子どもたちを乗せて那覇港より出港したのが対馬丸。

出港2日目の夜にアメリカの潜水艦の魚雷攻撃により、鹿児島県トカラ列島にある悪石島の近海に沈められてしまいました。

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学童834名を含む、1,661名の疎開乗船者のうち、約8割が犠牲になったと言われています。

しかし、この数字も確かなものではないと言われています。

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いま「対馬丸」を語ること(対馬丸記念館より引用)

私たちは考えました

いま「対馬丸」を語ること、それは何でしょう?

戦争のこと? それとも平和?

本当に語って欲しいこと、それはいまそこにある

それぞれの「夢」のことです

暗くつらい戦時でも「夢」は持っていました

でも、生きていればこその「夢」

犠牲になった彼らの無くしてしまった「夢」

彼らが持っていたであろう未来への「夢」

その「夢の未来」に私たちは生きています

この館に身をおいたら、感じてみて下さい

そして考えてみて下さい

この館には犠牲者の数と比較して

遺品など、「物」があまりありません

どうしてでしょう?

あまりにも長い時間がたったから?

思い出を残そうとしなかったから?

沖縄戦では多くが焼かれ破壊しつくされました

形あるものは失われました

しかし、人々の「想い」は決して失われません

人々の「想い」、それは平和への強い「希望」です

戦争を語るとき、悲しみと憎しみが生まれます

悲しみの大きさを、「希望」にかえる努力をしないと

憎しみが報復の連鎖をよびます

しかし、報復の連鎖で悲しみは癒されるでしょうか?

いま「対馬丸」を語ること、それはなんでしょう?

いまも世界では報復の連鎖が

子どもたちから新たな夢と希望を奪っています

この報復の連鎖を断ち切る努力を一人ひとりがすること

これこそが、対馬丸の子どもたちから指し示された

私たちへの「課題」ではないでしょうか

2004年8月22日 財団法人 対馬丸記念会

※引用ここまで

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沈没は昭和19年8月22日の22時過ぎ。

その時、生存していた子どもたちも過酷な漂流が待ち受けていました。

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館内映像(約11分)を観ることができます。

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犠牲になった子どもたちの名前が学校ごとに刻字されています。

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犠牲になった子どもたちが、その短い人生の中でも、多くの時間を過ごした教室を再現しています。

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犠牲になった遺影や遺品。

現在掲示されている遺影は、375人分(329枚)です。

犠牲者1,482人の4分の1にすぎません。

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船内は船倉で窓ひとつない蒸し風呂のような2段ベッドに、たくさんの子どもたちが詰め込まれていたそうです。

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対馬丸が撃沈してから49日後の昭和19年10月10日に南西諸島一帯は爆撃にさらされ、その後、地上戦へと突入しました。生き残った子どもたちも、家族も、厳重な箝口令が敷かれ、戦後まで対馬丸の詳細は極秘扱いされていました。

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対馬丸のこどもからあなたへ(対馬丸記念館より引用)

ときどきでいいのです

どうかわたしたちのことを思いだしてください

あなたは、海へ行くことがありますか?

海へ行って海の水にさわりますか

その水は、私たちの眠るあの悪石島の海へつながっているのです

真っ白い雪や大きな汽車

そして、真っ白いご飯にあこがれ

まるで修学旅行にでも行くように船に乗ったわたしたちは

アメリカの潜水艦の攻撃を受けて沈められました

炎と水

たくさんの子ども達のそして大人達の悲鳴

想像できますか?

なぜ

わたしたちは、そんな目にあわなければならなかったのでしょう

わたしたちは、生きたかった

おいしいものを食べたり

思いきり遊んだり

大人になって世の中で自分の力を試したり

すてきな相手にめぐり会ったり

わたしたちは、生きたかった

なぜそれが許されなかったのでしょう

なぜ

ああ、でも海の底にいるとよく聞こえるのです

今も世界中のあちこちで子ども達が悲鳴を上げています

なぜ なぜ なぜ

※引用ここまで

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小さな記念館ですが、子どもたちの訴えかけるものを感じ、涙が止まらず、動けず、しばらく出口に立ち止っていました。

対馬丸記念館の反対側に対馬丸犠牲者の慰霊碑「小桜の塔」が建っています。

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少しだけですが子どもたちと話ができたような気がします。

来て良かったです。また再訪します。

対馬丸記念館

HP:http://tsushimamaru.or.jp/
住所:沖縄県那覇市若狭1-25-37
TEL:098-941-3515

※当記事は2017年12月時点のものです。訪問の際は、必ず事前にご確認を。

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中尾勝

旅が大好き!国内海外を問わず飛び回っていますが、海外へは2011年に渡航して以来、出国していません。今は原点に戻り国内を旅しながら日本の良さを体感中。

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