丹賀砲台園地

第二次世界大戦の敗戦まで軍拡を進めて来た日本には、全国の至る所に「負の遺産」とも言える戦争の傷跡が至る所にあります。関サバ・関アジで有名な豊後水道にあり、今では丹賀砲台園地となっているかつての丹賀砲台も、そんな歴史遺産の一つ。

豊後水道の防備のため設置された豊予要塞の一つとして設置された丹賀砲台。この砲台に深く関係するのが日本史でもおなじみの1921年(大正10年)のワシントン海軍軍縮条約。この条約において米・英・日の軍艦保有率が5・5・3に決定された関係で、軍部は廃艦等になる戦艦の主砲を陸上砲台で再利用することを決定したのです。

そしてこの丹賀砲台の砲塔井に据え付けられたのが1923年(大正12年)に老朽艦として廃艦となった鞍馬型一等巡洋艦「伊吹」の主砲。当時の技術ではかなり難工事だったそうです。

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砲台入口の迷彩色塗装は当時のものです。左端に忠霊塔があり、主砲弾が門柱として置かれていますが、その大きさに驚かされます。

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入口前面の海には小さな荷揚げ用と思われる桟橋があります。クレーンの基礎のような跡、何に使われていたのでしょうか・・・。

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砲塔井周辺部には、弾薬庫、水圧畜力機室、主動力室などがあります。ひんやりと感じる白壁の地下通路。戦時下の緊張感を感じます。

しかしながら、この丹賀砲台は1942年(昭和17年)1月の実弾射撃の際に右砲身の砲腔破裂事故が発生し、砲塔全体が吹き飛び16名の死者を出し再生不能となってしまいます。20キロ以上離れた敵艦へ弾は飛んでいく計画でしたが、この事故により1発の弾も発射することの無い幻の砲台として丹賀砲台は役割を終えることになったのです。

砲塔井を上部から覗いた写真です。

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砲塔井へ行くには斜坑を通るのですが、リフトだとおよそ3分。階段だと162段あり、すべて御影石(花崗岩)で作られています。幅は狭く、最大傾斜角度は45度全長80メートルの急階段です。

現在リフトがあるところにはベルトコンベアがあり当時は砲弾を運んでいました。中央の螺旋階段の周りのコンクリートはデコボコに破壊されて、爆発の威力のすさまじさを目の当たりにする事ができます。今は砕けたコンクリート壁しか残っていませんが、当時は主砲を動かすための金属プレートや歯車など多くの機械が設置されていたはずです。

ドーム外に出ると豊後水道を見渡す美しい景色が広がっています。

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地元の知る人ぞ知る公園ですが、豊後水道の美しい景色と悲劇の巨砲、丹賀砲台のコントラスト見比べながら、今一度日本の歴史について考えてみてはいかがでしょう?

丹賀砲台園地 データ:

住所: 大分県佐伯市鶴見丹賀浦
観覧日: 火・水曜日定休
観覧料: 大人 200円、小・中学生 100円
駐車場: 有り
トイレ: 有り(駐車場内)
TEL : 0972-34-8222
(情報参照:佐伯市観光大百科)

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