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イタリアの中にエジプト!? ピラミッドにナイル川...ローマに眠るエジプトの謎

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記事投稿日:2016/07/20
最終更新日:2018/01/18

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イタリア各地にはオベリスクやエジプトにまつわるコレクションが現在でも保管されています。その理由をご存じですか?そこには、古代ローマ時代から続く「憧れ」があったそうです。

※写真はイメージです。クリエイティブコモンズライセンスに基づき掲載しています。

参考:クリエイティブコモンズ公式サイト(外部サイトに遷移します)

なぜ?イタリアに「エジプト」にまつわるものが多い理由

Museo Egizio di Torino-631 o
「Egyptian Museum, Torino, Italy - World-class collection of Egyptian artifacts.」
Photo by Tim Adams
CC BY-SA 3.0

イタリアを観光していて、時々古代エジプトにまつわる遺跡やコレクションを展示する博物館などに出会ったことはありませんか?

広場に立っているオベリスクや、世界で2番目のコレクションを誇るトリノエジプト博物館など、イタリアにはよく見るとエジプトを匂わせるものが沢山あるのです。

なぜ、イタリアの中にエジプトが!?今回は、その謎に迫ってみることにしましょう。

イタリアとエジプトの知られざる関係

一見すると歴史的な接点があるようには見えない国同士ですが...。

一見すると歴史的な接点があるようには見えない国同士ですが...。

Pixabay(CC0 Public Domain)

イタリアとエジプト。ヨーロッパと北アフリカにある2つの国は、全く関係ないように見えて実は古代から深い繋がりがあります。

それはまだ古代ローマが生まれる前のこと。イタリア半島の北に住んでいたエトルリア人は紀元前13世紀、古代エジプトを襲った「海の民」と呼ばれる民族の一部でした。彼らはその時、標的だった古代エジプト文明に衝撃と感銘を受け、その文化をイタリア半島へ持ち帰ってきたのです。

その時に伝わった古代エジプト文明の名残が今でも北イタリアのエトルリア起源の街に沢山見られます。

ジャン=レオン・ジェローム作「Cleopatra and Caesar」

ジャン=レオン・ジェローム作「Cleopatra and Caesar」

Alternate version of the painting Cleopatra and Caesar.
Jean-Leon Gerome (1824 - 1904)
Public domain

また、領土拡大のためエジプト遠征を行った歴代のローマ皇帝たちも、ピラミッドを始め古代エジプト文明の神秘性やパワーに強く影響を受けました。ローマの英雄カエサルはエジプトでクレオパトラに魅せられローマに連れ帰って愛人にした、というのも有名な話ですね。

その後中世、ルネサンス期にはエジプトのパワーに憧れたメディチ家によって古代エジプト研究が行われ、その庇護を受ける芸術家たちが古代エジプトの神々をモチーフとした芸術作品を残しました。近代イタリアに至っても、名貴族サヴォイア家は膨大な古代エジプトコレクションを収集していました。

つまり、なんと2000年以上昔に2つの国が接触した時から、イタリアにとって神秘的な古代エジプトは常に憧れの対象であり続けてきたのです。

ローマにもピラミッド?「ガイウス・ケスティウスの墓」

ローマの街には、イタリアのエジプトに対する憧れを感じられるものが沢山眠っています。「ガイウス・ケスティウスの墓」がそのひとつ。

古代ローマの権力者であり、美術、芸術を愛した彼はエジプト遠征で見たピラミッドの形、パワーに魅了され、とうとう自分の墓をピラミッド型にしてしまったのです。ピラミッドの形には底知れぬパワーが宿るとされ、古代ローマの人々に絶大な人気を得ていました。

後世になってからも、そのパワーにあやかりたいと様々な芸術家や著名人がこの墓を訪れたといいます。中には、あの巨匠ジョルジョ・ヴァザーリもいたのだとか。

ナイル川を再現!?「ヴィッラ・アドリアーナ」

ローマ近郊、ティボリにはなんとナイル川があるのをご存じでしょうか。その正体は、ローマ皇帝ハドリアヌス帝が建てた別荘ヴィッラ・アドリアーナ内に再現された運河です。ハドリアヌス帝とは、古代ローマ時代をモチーフとした有名漫画および映画にも登場した皇帝です。

古代ローマ史上最も平和だったといわれる時代を治めた5賢帝の一人であり、エジプトを始め広大な領土を巡察し帝国の防備と安定に努めました。芸術、そして建築にも造詣が深かったハドリアヌス帝が各国巡察中に魅せられたのがエジプトの都市カノープス。

その美しい都市をなんとかしてローマに再現しようと、自身の別荘内に街を模倣して造らせたのです。その中には、ナイル川を再現した運河も造られました。

今は朽ち果てたヴィッラ・アドリアーナですが、ハドリアヌス帝が憧れた美しいカノープスの面影を辿ることができます。

ローマの広場各地に立つ、巨大な「オベリスク」

そして、ローマで最も多くの人が目にしたことがあるのが「オベリスク」ではないでしょうか。オベリスクとは、古代エジプトの神殿前に建てられたモニュメントで、ファラオの権力を示すもの。側面にはファラオや神々の名が刻まれています。

これらはローマ皇帝がエジプトに侵攻した際に勝利の象徴として格好の戦利品となり、多くが持ち帰られました。現存する古代のオベリスクは30本、うち13本がローマの街に立っています。

ポポロ広場のオベリスク

中心にそびえるのがオベリスクです。

中心にそびえるのがオベリスクです。

Roma Piazza del Popolo, Santa Maria di Monte Santo und Santa Maria dei Miracoli
Photo by Berthold Werner
21 May 2007
Public domain

サンタ・マリア・デル・ポポロ教会前の広場に立っているオベリスクは、初代ローマ皇帝アウグストゥス(=オクタヴィアヌス)がエジプト遠征時に持ち帰ったもの。

養父カエサルの愛人であり、カエサル亡き後副官であったアントニウスまでもを骨抜きにしてローマを危機に追いやった、クレオパトラを倒した戦いの時です。270年続いたプトレマイオス朝を終焉させた記念すべき戦いの勝利記念として、彼はローマの地にこのオベリスクを持ち帰りました。

サン・ジョヴァンニ広場のオベリスク

Obelisk-Lateran.jpg
CC BY-SA 3.0, Link

世界最大のオベリスクと言われているのが、サン・ジョヴァンニ広場に立つ高さ32.18mのオベリスク。実は上記アウグストゥス帝が本当に持ち帰りたかったのはこちらの大物。

けれど、当時はあまりの大きさに運ぶのを断念したのです。その300年後、キリスト教を公認したコンスタンティヌス帝によってカルナック神殿からローマへと運ばれてきました。

当時これらのオベリスクは、ローマのチルコ・マッシモに置かれていましたが、後に教皇シクストゥス5世によっててっぺんに十字架が付けられ、教会前の広場に移されたのです。

なぜ異教徒のシンボルを教会の前に?という問いに、教皇は「信者の道しるべに」と答えたそうです。異教徒であるキリスト教信者にさえ受け入れられる古代エジプトパワー、恐るべしです。

さて、今回はローマの街に眠る古代エジプトの面影を辿りながら、イタリアとエジプトとの関係を紐解いてきました。こうして見ると、あの地中海の覇者ローマ帝国、そして時代を超えてイタリア全般を虜にし続けてきた古代エジプトのパワーに驚きます。

イタリアから遠く離れたエジプトの遺産が、時空を越えて今こうして私たちにも見ることができるなんて、なんだかロマンを感じますね。イタリアでエジプトのコレクションを見たら、ぜひそういったことも思い浮かべながら観光をしてみると面白いでしょう。

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Italyii(イタリィ)編集部
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