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ブラジルの中の日本人たち 弓場農場
ブラジルサンパウロ市から高速道路で北西へ600kmほど進み、赤土の大地と木々の生い茂る中を進みアスファルトの道を離れると日系人が共同生活を営む集落が現れる。
そこは農場と呼ばれ70人弱の日本人とブラジル国籍を持つ日系人が暮らしている。戦前にサンパウロ州北西地方のミランドポリス市近郊に住む日系移民が開拓した村を農場と呼んでおり、彼の地には1930年ごろに多数の農場が開かれた。当時、巨大な原生林を切り開き道や畑を作り日本人開拓者が暮らすコロニーがいくつも作られた。しかし、現在その多くは都会への人口の移動に伴い姿を消した。
そんな中1935年に兵庫県出身の渡伯者弓場勇氏は土地を購入し養鶏業を主な生業とする「弓場農場/COMUNIDADE YUBA」設立した。
現在に至るまで外部からの移住者を受け入れつつ共同生活農場として存続している。
その生活は塩・砂糖・油は購入するものの味噌醤油といった調味料や自分たちで食べる肉・野菜類はほぼ自給自足でまかなわれており、他の果物等の収穫物を近隣の町へ出荷することで共同体の収入としている。個々人への給与という形での収入の分配は行われないが、施設や家具家電といった必要な物はその都度協議のうえで購入し、共同で管理しながら住む者皆が家族のように暮らしているという。
生活に関する言葉は全て日本語としており、そこに住む子供達は現地の学校に通うことでポルトガル語を覚える。
世代で言えば三代目となる今もこの農場は近年では新たな試みとしてバックパッカーやブラジル国内へ長期滞在する旅人の受け入れもしている。来訪者の出入り自由を謳うこの農場では、農作業の手伝いをすると宿泊場と食事が提供され、ブラジル滞在ビザの期限内であればいつまででもいることができる。
※ただし、長期滞在の際は事前の連絡が必要。見学希望者には施設内の案内をしてもらえるが前日までの連絡が必要。
一日の仕事の後には大浴場で汗を流しロビーでテレビを見たり趣味に勤しんだりと悠久なる大地の中で、世間の喧騒とは隔絶された野山の中でゆったりした日々を送る。
農場の運営に関して経済面で様々な困難に遭い戦後の混乱期には破産したこともあるが、近隣の土地を新たに購入し直して再起を図ろうとした。弓場農場のもとに集った仲間たちは互いに助け合い、新しい文化創造の実現へと活動を続けその思いは現在の弓場農場へと引き継がれている。
農場では「耕し、祈り、芸術する」を生活の理念とし、農業だけではなく芸術面でも真剣に取り組んでいる。昼間の労働が終わると、読書や映画鑑賞、楽器演奏、舞踊や芝居など文化活動に熱心である。現在はユババレエ団として練習を重ねブラジル国内の多くのセレモニーに招かれ舞台を披露している。
◇弓場農場公式ホームページ
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マンゲイラ靖子
- 2012年よりブラジル在住。 Samba命!リオ1回、サンパウロ6回、(浅草9回)のCarnaval出場経験を持つ。現在は夫と猫3匹とでSP州に暮らし、主に日系コミュニティでの仕事に携わる。 より深いブラジル情報を発信できるよう日々模索中。