川から江戸にさかのぼる舟旅「神田川クルーズ」

日本橋のたもとから日本橋川をさかのぼり、神田川、隅田川、
そして再び日本橋川に戻る90分間の「神田川クルーズ」に乗船。
屋根なしボートで、江戸城の外堀となった水域を、たくさんの橋をくぐりながらめぐります。


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ボートが発着する日本橋たもとの桟橋。
川や橋の歴史に詳しいガイドさんが乗船。


前回は日本橋川、隅田川、東京湾をめぐる「日本橋クルーズ」に乗船しましたが、
「神田川クルーズ」のルートはよりスリリング。
橋の多くは水面との距離が近く、頭上すれすれの高さ。
テーマパークのアトラクション以上のリアルな興奮に、テンションが高まりました。


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日本銀行本店そばの一石橋をくぐる。
ガイドさんも思わず身をかがめます。


日本橋川の上流、江戸城(現・皇居)付近にボートがさしかかると、
水辺に江戸時代の痕跡が目に入ってきます。


徳川家康は、1603年江戸に幕府を開き、大名屋敷が集まる城下町を囲む外堀工事を全国の大名に命じました。
その外堀跡を日本橋川では見られるのです。


気象庁本庁の建物を過ぎて、錦橋から日本武道館近くの宝田橋の区間には
伊豆の安山岩をくさび状態に打ち込んだ石垣が続きます。
どの藩が工事を担当したのかわかるよう、岩の表面には家紋が。
たとえば福井・前田藩、鹿児島・島津藩の家紋がボート上から視認できます。
その水辺には公園や省庁の建物が立つのですが、ゆったりと土地を確保できているのは、もとは大名屋敷だったから。
天下統一を果たし、日本各地の藩が江戸城のまわりに拠点を置いていた。
江戸に権力を集結させた400年以上前の風景が目に浮かぶようです。


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400年以上前の石組みが続く。
間近に見たいのなら、進行方向の左側に座るとよいでしょう。


日本橋川の上流はすべて首都高速に覆われ、水面は常に日陰となります。
ところが水道橋駅近くを過ぎて神田川に合流すると、
寒さと狭い視界からいっきに解放されじつに劇的な変化です。


神田川は都心を流れながら、常に空を仰げる稀な川なのです。
この川も江戸時代に重要な役割を果たしました。


徳川家康が江戸に入府した当時、海辺の江戸では真水を確保できなかったため、
神田川の旧名である平川を改修し、現・三鷹市井の頭公園内の池から真水を引きこむ神田上水を整備させます。
水道橋をくぐり、御茶ノ水橋に向かう途中には神田上水の水を通すための水道の橋がかつて懸けられていました。
この懸桶が現在のJR駅名になっている水道橋の由来だそうです。


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神田川は暴れ川でもあり、しばしば氾濫。
過剰な水を逃すために暗渠が設けられています


御茶ノ水付近にさしかかると、川の脇や前方に地下鉄やJRの電車が走るのが目に入り、
同時に水辺は切り立っていきます。
この地形は、1620年徳川秀忠が仙台藩・伊達正宗に命じ、手掘りで開削させたもの。
仙台藩は、工事により財政が疲弊し力が弱まっていったそう。
雄大な風景を前に、江戸幕府が強大な権力を維持しつつ、
現在の東京の母体となる都を整えていったのか、狡猾かつ広い視野を肌で感じます。


水面ならではの視点で、リアルなタイムトリップへと誘う神田川クルーズ。
水の確保と制御を重視し、200年にわたる安泰の世を築いた江戸を楽しく感じ、学べる。
小さくも雄大な旅の方法ではないでしょうか。


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人工渓谷が今も地形となって残る。御茶ノ水橋を越えると、右手にJR御茶ノ水駅がある


*神田川クルーズ(運営/株式会社 東京湾クルージング)
http://ss3.jp/nihonbashi-cruise/index.html /

(記者/ ヤスヒロ・ワールド)

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東京佃島生まれ育ちの江戸っ子。旅行ガイドの編集者。
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