【オーストラリア】ゴールドラッシュに栄えた町 Cue(キュー)の魅力に迫る!

オーストラリアというと海のイメージが強いかもしれませんが、オーストラリアの歴史を語るには内陸部は外せません。リラックス目的のバケーションよりも、肌で感じる学びの旅をしたい人へのおすすめの町 Cue(キュー)について紹介します。

目次

Cue(キュー)とは

ゴールドラッシュに栄えた町Cue(キュー)

西オーストラリア州の州都パースから北に約640km先にある、人口150人程度の小さな町です。

最も近い海はインド洋ですが海岸から約400km離れており、年間降水量197㎜という非常に乾燥した土地です。

ゴールドラッシュに栄えた町Cue(キュー)乾燥地帯

こんな小さな乾燥した町になんの魅力があるのか・・・それはゴールドラッシュで栄えた歴史があり、衰退した今でも歴史的の跡が見られるからです!

キューの歴史

オーストラリアで最初に発見された金塊は、1851年のニューサウスウェールズ州です。これを皮切りに、オーストラリアでは各地でゴールドラッシュが始まりました。

金塊 ゴールドラッシュに栄えた町Cue(キュー)

キューの歴史が始まるのは1892年のこと。当時この地には先住民がいるだけで建物もなにもなく、ただ乾燥した赤土の大地が広がるだけでした。そこで、州政府の人が先住民アボリジナルの助けを借りて、金を探し始めました。

金の在りかをある程度定めたのち、トム・キューという人物に金塊を掘り当てることを命じたのです。そしてトム・キューはたった一人で7kgの金塊を掘り当て、馬で80km北の役所まで届け出て鉱山権を取得しました。

ゴールドラッシュに栄えた町Cue(キュー) 金塊を求めて人たち

この知らせが掲示されてから数日のうちに400人以上が現場へかけつけ、翌年キューは町として認められ、1894年に独立した自治体となりました。ゴールドラッシュによって町は急速に発展し、人口は1万人いたと言われています。

20世紀初頭にはこのゴールドラッシュエリアが拡大していきますが、キューはその重要な町となり行政の中心となりました。

地理上この内陸部広域をMurchison(読み方:マーチソン、面積は北海道の1.3倍)と言いますが、キューの町は『Queen of the Murchison』と呼ばれるほど、輝かしい重要な存在でした。

ゴールドラッシュ

しかし、このゴールドラッシュは数十年で衰え始めます。第一次世界大戦後には急速に衰退し、1940年代には人口が1000人以下になり、その後も衰退を続けており、現在は150人なのです。

町に残る建造物

この一気に栄えて衰えていった歴史を想像するだけでもゾクゾクするのですが、それが目で見えるのがキューの魅力です。町のメインストリートには、当時のものがたくさん残っています。

ゴールドラッシュに栄えた町Cue(キュー)町に残る建造物

ほとんどのものは空っぽで、人口が少ないのに立派なメインストリート沿いに建物が多いというこのアンバランスさが、歴史の哀愁を感じさせます。

ゴールドラッシュに栄えた町Cue(キュー)町に残る建造物 店

日本でいうところの、シャッターの閉まった店の多い商店街に通ずるものがあるかもしれません。しかし、これがカラっと晴れた灼熱の太陽に晒された感じが、なんともたまりません。現役で商売している建物もありました。

ゴールドラッシュに栄えた町Cue(キュー)営業するお店
<Bells Emporiumは1904年にオープンし、現在でも右側の店舗は日用雑貨店として営業中>

1階がカフェ、2階がホテル ゴールドラッシュに栄えた町
<1階がカフェ、2階がホテル>

この他にも警察署や地方裁判所、旧郵便局は、現在でも当時の建物で業務が行われています。

旧郵便局の建物。現在は観光案内所や資料館
<旧郵便局の建物。現在は観光案内所や資料館として使われている>

こちらの観光案内所では、これから紹介する町のアトラクションや詳細が載った地図がもらえるので、要チェックです。

建物の中に入れるツアー

建物を外から眺めるだけでなく、中にも入れる無料ツアーがありました。

建物の中に入れるツアー 看板

駅舎と銀行と、なんとフリーメイソン集会所!!案内に示された時間に建物前に集合すると、入場できるというものでした。まずは駅舎から。

1898年に建てられた駅舎の中は改装され青少年センター

現在は廃線している(1978年に廃線)ので線路もありませんが、1898年に建てられた駅舎の中は改装されて青少年センターとして使われています。

1898年に建てられた駅舎の中は改装されて青少年センターの内観

つぎに銀行。

元銀行でカフェ改装中

こちらは現在カフェに改装中とのことで、中には入れず。しかし、こうやって古い建物が再利用されているのはとてもいいことです。そして、とても気になるフリーメイソン集会場。

フリーメイソン集会場 外観

こちらは1899年に建てられ、外壁も屋根も内壁も天井も亜鉛メッキのトタンでできています。

フリーメイソン集会場 跡地

フリーメイソン集会場 跡地 室内

フリーメイソン集会場 跡地 室内

今も昔も、この建物は周りの景色に馴染まずに異様な存在を放っています。1899年から定期的な会合が開かれていましたが次第に人数が減っていき、1979年に閉館。現在は西オ―ストラリア州の重要文化財として指定されています。

儚く消えたゴーストタウン

さて、ここまで見たのは町の中心部の行政や商業施設になりますが、実際に人々が住んでいた形跡が見られるところがります。それはキューの町の中心部から南西に約30km行ったところにあるBig Bell(ビッグベル)という町です。

儚く消えたゴーストタウン ビックベル

見て分かるように、ここは廃墟化したゴーストタウンです。

儚く消えたゴーストタウン 跡地

儚く消えたゴーストタウン 跡地

この近くにも鉱山があり1936年に町として制定され、キューからの電車も通っていました。人口は850人いたようですが、1955年に閉山してそこから廃墟化が進んでいます。

ほとんどの建物は残っていませんが、残された瓦礫や鉄屑などから当時を想像するのもいいものです。

儚く消えたゴーストタウン 跡地 ビックベル

この町には巨大なホテルがあることでも有名でした。

儚く消えたゴーストタウン ビックベル ホテル

こちらのホテルのバーカウンターは、当時オーストラリアで一番長かったそうです。現在は立ち入り禁止なので、外から眺めるだけになります。

儚く消えたゴーストタウン ビックベル ホテルの外観

ビック・ベル

  • 所在地:オーストラリア 〒6640 西オーストラリア州 ウェルド・レンジ

貴重な水資源

短期間とはいえ、これだけ栄えたキュー一帯ですがですが、気になるのが水の調達です。当時の降水量は分かりませんが、現在でも年間200ミリを切るこの地で、それだけたくさんの人がどうやって生活をしてきたのか。そう思っていたら、井戸があることが判明しました。

Milky soakという井戸

キューから北に16km離れたところにあるMilky soakという井戸です。人々はここまで水を買いに来ていたのだとか。

Milky soakという井戸 跡地

周辺は低木だらけなのに、ここの井戸の周りだけは木が高いことに気が付きました。現在、井戸は使われていませんが地下に水源がある証拠なのでしょう。

Milly Soak

  • 所在地:Reedy WA 6640 オーストラリア
  • 公式サイト:Milly Soak

さいごに

ゴールドラッシュは終わったものの、今でもキュー周辺には稼働している鉱山は存在しています。だから人口の少ない町のわりに施設が整い、経済も潤っているわけです。

キュー郊外にあった鉱山施設の一部
<キュー郊外にあった鉱山施設の一部>

自力で金を掘り起こしてお金にするだなんて夢物語の様ですが、実はこの現代においてもオーストラリアでは個人で金探索をして生計を立てている人もいます。

夫の友人はダイビングショップを経営していますが、冬にお店を開けておくより半年閉めて金探しに行く方が効率が良いと言って、もう何十年もその生活をしています。

私もいつか、オーストラリアンドリームを掴みたいものです!

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