伊勢神宮にお参りするなら、歴史から忘れ去られた「斎宮」も併せて訪れることをお薦めします

「日本を代表する神社はどこ?」と訊かれたら、多くの人が「伊勢神宮」と答えるでしょう。

その伊勢神宮のそばに、太古の昔、天皇の代理として神宮にお参りしていた斎王という存在がいたことをご存じでしょうか?

歴史の教科書にも載っていない学校でも習っていない、歴史から一時忘れ去られた存在「斎王」。

しかしこの斎王制度は飛鳥時代から鎌倉時代末期まで660年以上も続き、60人以上もの斎王が存在したのです。

斎王が住んでいた場所は斎宮(さいくう)と呼ばれています。

そこには500人以上もの人々が居住する宮があり、九州の大宰府に次ぐ規模を誇っていました。

斎宮は紛れもなく天皇の一部ともいえる機関でした。伊勢神宮とも深いつながりを持っていました。

知られざる斎王、斎宮を知ることで、お伊勢参りをもっと深く理解することができるでしょう。

この記事では、斎王、斎宮とはどういったものだったのかを紐解き、現在では斎王、斎宮を体感できる文化体験ルートが整備されていますので、それらの情報をご紹介していきます。

目次

斎王・斎宮とは

斎王とは、天皇に代わって伊勢神宮に仕えるため、天皇の代替わりごとに皇族女性(未婚)の中から選ばれて都から伊勢に派遣された人です。その斎王が住む宮殿が斎宮(さいくう)と呼ばれました(宮とは皇族の居所)。

斎王は「卜定(ぼくじょう)」と言われる占いで選ばれました。

※卜定とは亀の甲羅を焼いてその割れ具合で吉凶を占い物事を定めるという方法です。

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<卜定に使われる亀の甲羅(亀卜)レプリカ>

選ばれた斎王は、京の都から伊勢までの約130kmの道のりを5泊6日かけて赴きました。斎王の赴任は群行といい、最盛期には500人余に及ぶ人数で行われていました。

伝承の時代もありますが史実としては、天武天皇の娘の大来皇女(おおくのこうじょ)が斎王の始まりで、飛鳥時代から鎌倉時代末期(南北朝)まで約660年続き、60数人の斎王が存在し、後醍醐天皇の祥子内親王を最後に斎王制度は廃絶しました。

斎王は1年に3度伊勢神宮に赴く以外は1年のほとんどを斎宮で過ごし、神々を祀る日々を送りました。

斎王は歴史的事件や政治に絡まない無名の存在でしたが、それぞれの斎王やその時代には物語があったことでしょう。

神に仕える身ゆえに自由に恋をすることも許されず、伝説に語られる斎王の中には自らの命を絶って身の潔白を証明した哀れな斎王や、恋ゆえに斎王を解任されたり、恋人と引き裂かれた悲劇の斎王もいたようです。

斎宮寮とは

斎宮は宗教施設ではなく、斎王の生活のために置かれたシステムであり、斎宮寮は国の行政機関であり、斎王のマネジメント機関、宮廷内の業務一切を取り仕切った、今で言う宮内省に相当するような組織でした。

斎宮寮は100棟以上の建物が立ち並ぶ都市で約120名の役人を始めその家族関係者を含め500人以上が住んでおり、まるで京の都を思わせるような繁華な空間だったと考えられています。

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<さいくう平安の杜にある斎宮寮1/10の模型>

斎宮跡は東西2km、南北700mで東京ドーム30個分の広さに相当します。

当時「遠の朝廷(とおのみかど)」と呼ばれた九州の大宰府に次ぐ規模を誇っており、斎宮の財政は諸国から貢納される調や庸などの税物で維持されていました。

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<1/10模型の門から除いた斎宮寮の内部>

斎王の役割とは

斎王は、1年に3回伊勢参り(6,12月の月次祭(つきなみのまつり)と9月の神嘗祭で三節祭と呼ぶ)を役目としていました。

それ以外の時は、斎宮で神に国家の安寧を祈る日々を送っていました。

斎王が都に戻れるのは斎王の任が解かれる時で、当代天皇の譲位、崩御、肉親の不幸、本人の過失などの際にも解任されました。

斎王と伊勢神宮との関係

伊勢神宮が祀る神として天照大神の地位が確立したのは壬申の乱の頃と考えられています。

壬申の乱に勝利した天武天皇が、祈願した天照大神に感謝し、娘の大来皇女を神に仕える御杖代(みつえしろ)として遣わしたと考えられています。天武天皇が日本を律令国家体制の成立を体現する神として天照大神を必要としました。斎王は日本という国家の法(律令)を動かす天皇の神聖さを保証するための存在でもあったのです。

斎宮跡を核とした文化体験モデルプラン

鎌倉時代末期に姿を消した斎宮。しかし1970年に偶然遺跡が発見され、発掘調査が始まりました。

現在も遺跡の発掘調査が進められていますが、斎宮の様子を再現した施設も作られ、現代の私たちは斎王、斎宮がどんなものであったかを感じることができるようになりました。

平安貴族の一日体験、斎王の舞、平安遊び(書き初め、すごろく)祭祀舞、雅楽を楽しめる文化体験等もあります。それらをご紹介しましょう。

斎宮歴史博物館

斎王・斎宮をめぐる歴史や文学、そして斎宮跡の発掘調査の成果を展示・映像を通して紹介する三重県立の博物館で必見です。

ここでは、斎王の群行の再現映像が上映されており、とてもわかりやすく斎王の全体像を掴むことができるので最初に訪れることをおすすめします。

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<斎宮歴史博物館>

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斎宮制度が一番華やかだった平安時代の様子が伝わります。

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NHK大河ドラマ「光る君へ」の世界も感じられました。

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ボランティアガイドさんの説明を聞きながら回ると面白く、さらに理解が深まります。

>>斎宮歴史博物館の公式サイトはこちら

さいくう平安の杜

斎宮があったと考えられる地に平安時代の建物「斎宮寮庁」が2015年に復元され、いにしえの斎宮の姿を再現している歴史公園です。

これにより、かつて地表には何も残っておらず「幻の宮」と言われた斎宮を現代の私たちは体感できます。

斎宮の役所「斎宮寮(さいくうりょう)」の儀式や饗宴に使用されたと考えられる三棟の建物(本殿、西脇殿、東脇殿)があります。

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<左から正殿、東脇殿、西脇殿>

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<正殿>

平安時代の古代建築の世界が感じられます。

取材時には、西脇殿でイベントが行われており、舞を見ることができました。

舞を披露していただいたのは、神社などに奉納する祭祀舞を研鑽する舞の会「千の会」のみなさん。

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<五節の舞(ごせちのまい)>

天女舞ともいわれ、天武天皇が吉野宮で弾琴のとき、天女が出現して袖を五度翻して舞ったのが始まりといわれています。

現在伝わるものは大正天皇即位の折に新たに復活されたものだそうです。

伝統の舞の一部を動画でもご覧ください。

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当時の伊勢街道(再現)の道幅は15m。かなり広い道だったようです。

斎宮から伊勢神宮の外宮までは約12km、内宮までは約15kmの距離にありました。この道を通って斎王は伊勢神宮へお参りしたのです。

>>斎宮へいあんの杜の観光情報はこちら

いつきのみや歴史体験館

斎宮は「いつきのみや」とも呼ばれていました。

斎(いつく)とは、けがれを除き、身を清めて神に仕えること。

斎宮とは伊勢神宮に「斎(いつく)」皇族女性の住む宮殿という意味です。

「いつきのみや歴史体験館」は、平安時代の歴史や文化、技術を体験するプログラムに参加できる場所です。 

 建物は、平安時代の貴族の住まいであった「寝殿造」を模したガイダンス棟と、古代の役所の建物をモデルとした体験学習棟から構成されています。木造の平屋造りで、三重県産の杉・檜を使用し、古代の建築技法を取り入れ、木材の組み立に釘・金物等を用いない伝統的な工法で建てられています。

こちらでは

(取材時は舞イベントに合わせて「へいあんの杜西脇殿」にて体験プログラムが行われていました。)

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<ひらがな書き体験>

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<部首を合わせて漢字を完成させる"偏つぎ">

斎宮跡があった明和町のキャラクター"めい姫"ちゃんと一緒に。

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<貝合わせ>

この日は平安時代のスイーツなるものを味わえました。

その名も「粉熟(ふずく)」

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<粉熟>

粉熟は米・麦・豆・胡麻などの粉を餠にし、ゆでて甘葛をかけ、こね合わせて、細い竹筒の中に押し入れてかためた菓子。

筒から突き出し、切って食べます。平安時代の姫たちの団らんの中にも出てきたスイーツだそうです。

当時は砂糖がなかったため、甘みははちみつなどでつけていたようで、ほんのり甘い優しい味で意外に(?)美味しかったです。

>>いつきのみや歴史体験館の情報はこちら

竹神社

昔、斎王の宮殿があったとされる歴史ある神社。

当時は、現在の斎宮歴史博物館の近くにあったようですが、明治時代に周辺にあった25の神を合祀して現在の場所(さいくう平安の杜のそば)に移され、現在まで地元の神社として厚く信仰されています。

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<竹神社の本殿>

本殿は伊勢神宮を思わせる清廉な社です。

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竹神社は、花手水の社としても人気の神社です。

>>竹神社の情報はこちら

斎宮跡周辺の観光情報

伊勢神宮 内宮

正式名は、皇大神宮。

今から約2000年前、皇位のしるしとして受け継がれる三種の神器の一つである八咫鏡をご神体として伊勢の地にお祀りし、国家の守護神として崇める伊勢信仰は平安末期より全国に広がっていきました。現在でも全国の神社の本宗です。

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<宇治橋>

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<皇大神宮(正宮)>

伊勢神宮 外宮

正式名称は、豊受大神宮(とようけだいじんぐう)。豊受大御神(とようけおおみかみ)を祀っています。

豊受大御神は内宮の天照大御神のお食事を司る御饌都神であり、衣食住の守り神としても崇敬されています。

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二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)

伊勢神宮には14の別宮と109の摂社、末社、所管社の125社から成っています。

その125社には含まれませんが、伊勢神宮と深い関わりがあり、お伊勢参りの際には合わせてお参りするのが良いとされているのが二見興玉神社です。

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二見興玉神社の夫婦岩は江戸時代から日の出の名所として、また富士山を遙拝できる場所として知られていました。

毎年、夏至の頃になると夫婦岩の間から昇る太陽を拝むことができます。

江戸時代の旅人は伊勢両宮への参拝を終えた後、この二見浦へも足を伸ばしていました。

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二見興玉神社に祀られている猿田彦大神の使いとされているのがカエル。

「無事に帰る」「貸したものが返る」「若返る」などの良い意味が込められています。

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伊勢神宮と二見興玉神社とのつながりをガイドさんから聞くと感慨もひとしおです。

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名勝「二見の浦」の海岸沿いに建っています。

伊勢神宮にお参りする時には合わせてぜひ訪れたい場所です。

明治15年、二見の立石浜が日本で最初の海水浴場として国指定されました。

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<二見の立石浜>

>>二見興玉神社の公式サイトはこちら

賓日館(ひんじつかん)

賓日館は明治20年、伊勢神宮に参拝する賓客の休憩・宿泊施設として建設されました。

明治天皇の母にあたる英照皇太后のご宿泊に間に合うようにと、明治19年12月着工、翌年2月19日に竣工するという驚異的なスピードで作られました。国指定の重要文化財です。

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明治24年、ご幼少時の大正天皇(明宮嘉仁親王)が避暑や療養、水泳訓練などを兼ねて滞在されたのをはじめ、歴代諸皇族、各界要人が数多く宿泊されています。
明治44年隣接していた旅館二見館に払い下げられ、二見館の別館として平成11年まで宿泊所とされてきました。
二見館の廃業後、平成15年に二見町に寄贈され、現在資料館として一般公開されています。

賓日館では、建物だけでなく庭園も含めて当時一流の建築家による品格のある洗練されたデザイン、選び抜かれた材料やそれに応える職人たちの技など、日本の伝統建築の粋を見ることができます。

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庭園も素晴らしい風景を作り出しています。

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この建物がたった3か月で作られたとはとても信じられない立派な建物です。

>>賓日館の公式サイトはこちら

まちかど博物館三忠(擬革紙展示)

お伊勢参りのお土産として、江戸時代から昭和初期にかけて大流行したのが「煙草入れ」です。

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<煙草入れ>

上の筒状の入れ物に煙管(キセル)を入れ、下の財布状のものに煙草を入れました。

一見、革に見えますが、実はこれは擬革紙(ぎかくし)と言われる紙なのです。

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<擬革紙>

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<当時の擬革紙作りの風景>

明治時代に、煙草入れの和紙加工技術は日本の和紙産業に大きな影響を与えました。

海外への代表的な輸出品としてヨーロッパの宮殿等を飾り、パリ万博では金賞を受賞しました。

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<パリ万博の金賞>

ふるさと博物館三忠では金唐紙と擬革紙の資料を展示しています。

擬革紙の特徴は、軽くて丈夫なこと。

昭和以降、煙草入れの需要が減り、擬革紙の製造量も次第に減少していきました。

近年、擬革紙作りを復活させようと三忠の堀木さんが試行錯誤を重ね、その優れた技術を伝承されています。

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時代に合わせて、財布、名刺入れ、スマートフォンケースなどを作られています。

手ざわりは皮とそっくりですが、その軽さに驚きました。

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<まちかど博物館三忠と館長の堀木 茂さん>

>>まちかど博物館三忠の情報はこちら

斎宮周辺のおすすめ宿泊施設

伊勢参り、斎宮訪問の際の宿泊のおすすめがこちらの麻野館(あさのかん)です。

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<麻野館の外観>

二見興玉神社や賓日館からもほど近い二見浦海岸沿いに建つ明治26年創業の麻野館。国指定の登録有形文化財。

賓日館と同じ建築家によって建てられました。

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木造3階建てで廊下は床板から音がするうぐいす張りです。

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古き良き時代の日本を感じさせる趣ある館内です。こういう宿に泊まれるのは貴重な体験です。

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今回宿泊した本館2階の海が見えるお部屋(6畳)

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部屋から見える朝の二見海岸(伊勢湾)の風景です。散歩している人を見かけました。

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夕食御膳。伊勢海老付きです。これにカキフライが付きます。伊勢の海鮮料理を堪能しました。

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<カキフライ>

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<麻野館の朝食>

麻野館は、天然温泉ではありませんが、人工ラドン泉で24時間入浴可能です。温度も熱すぎずぬるすぎず、適温でゆっくり浸かることができ気持ちよかったです。

>>麻野館の公式サイトはこちら

グルメ

今回、斎王にちなんだ料理をいただきました。そのいくつかをご紹介しましょう。

斎王宝箱弁当

斎宮歴史博物館でいただいた斎王宝箱弁当(仕出しのため要予約。1,900円)

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蓋を開けると、3段のお重になっています。

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平安時代の位の高い人々が食べていた食事を基にアレンジされた食べ物が詰められています。

サメのたれ(サメの肉を干して焼いたもの)を始め地元でとれる魚、肉、野菜などを塩、味噌、酢のみで味付けされています。

肉も食べられていたようですが、四つ足はだめということで鴨などが食べられていたようです。

宝箱弁当に入っている斎宮黒米おこわは伊勢神宮の稲を国史跡斎宮跡内で育てた古代黒米を使っています。

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<国史跡斎宮跡内で古代黒米を作っている田圃>

五色彩膳弁当(オーガニック)

斎宮では陰陽五行による占いが行われ、吉凶により様々な行事が執り行われていたと言われています。

斎宮に訪れた人から生年月日から運勢を占い、地場食材を中心にした食事を楽しむという目的から生まれたのが「運勢トトノイ 五色彩膳弁当」プランです。

食事を通して得られる効果は、心身のバランスを整えます。五行のバランスを整えることで心身の調和を促し、健康的な状態へと導きます。さらに占い結果に基づいた食事をすることで運気を高め、陰陽五行説という古代の知恵を食事を通して体験するということがコンセプトです。

五色彩膳弁当は、JAS認証有機野菜と特別栽培野菜を使って作られています。

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食品添加物、化学調味料、卵、乳製品不使用のビーガン料理です。

大豆肉のカシューナッツ炒め、大根とみぶ菜でんがく味噌、車麩フライのからしマヨネーズソース、人参と水菜のサラダ、蓮根豆腐、無農薬はっさく。

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<大根のスープ>

野菜たっぷりでヘルシーなお弁当です。野菜中心ですが、大豆肉や車麩もあって食べごたえがありました。

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<占いシート例>

生年月日を事前に伝えることにより、鑑定士が占ってアドバイスをくださいます。

写真は大谷翔平選手のものですが、筆者の占い結果、けっこう当たっていました。

【運勢トトノイ 五行彩膳弁当プランへのお問い合わせ】

一般社団法人明和観桜商社

  • 電話:0596-67-6850
  • Email:info@hana-meiwa.jp
  • 受付:9:30~17:30

へんば餅

伊勢といえば赤福が有名ですが、伊勢街道沿いに建つ創業250年の「へんば餅」をご存じですか?

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<へんば餅本店>

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<へんば餅の由来>

「馬を返す」というのがその名の由来です。

「美味とは申しませんが~」と書いてありますが、とても美味でした。

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お餅が柔らかく、餡も甘さ控えめで舌触りなめらか。お餅と餡のバランスが絶妙でした。余計なものが入っていないので、賞味期限は2日間。こんなに美味しいものがあるのかと驚きました。

ちなみに伊勢街道は、別名「餅街道」とも呼ばれており、美味しいお餅のお菓子があちこちにあります。

>>へんば餅のへんば屋の公式サイトはこちら

斎宮へのアクセス

斎宮への旅の拠点は、近鉄山田線の斎宮駅です。

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斎宮駅は特急は止まりませんので、松阪駅や伊勢中川駅で各駅停車に乗り換えて向かいます。

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<近鉄線路線図>

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ホームからは斎宮跡が見え「斎宮へいあんの杜」「いつきのみや歴史体験館」まで歩いてすぐの立地です。

駅の史跡公園口から出ると便利です。

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取材を終えて

今回、斎王・斎宮のことを初めて知りました。

660年も続いたということは、室町時代や江戸時代の倍ほどの期間に亘り存在していたものであり、60人を超える斎王が居たことにも驚きました。

伊勢神宮や天照大神とのつながりも知りました。

伊勢神宮にお参りする際は、斎王も併せて訪れると、より感慨深い旅となることでしょう。

その意味からも斎宮は伊勢神宮参りのゲートウェイともいえます。

斎宮跡のある明和町に降り立った時に感じた空の広さが印象的でした。平らで広い台地です。古の昔、ここに斎宮が出来た意味のひとつがわかったような気がしました。

斎宮は「祈る皇女 斎宮のみやこ」として日本遺産に認定されています。

これまで斎宮はその痕跡がなかったため、知られていませんでした。

しかし近年、斎宮駅を中心に施設や博物館、文化体験館が復元されたりしています。

そのおかげで私たちは当時を体感することができるようになりました。

実際に訪れてみてその充実した姿に十分楽しめました。

斎王・斎宮の歴史や文化を伝えるガイドさんの育成にも力が入れられており、語り部さんが増えていっています。

斎宮の発掘調査は現在も進行中です。これからも斎宮に関する事実が明らかにされていくことでしょう。

進化する斎宮の姿と物語をぜひあなたも自分の目で見てみてください。

最後に、他の土地から三重に移住した方のお話を聞いたところ、三重県、特に伊勢エリアの人たちはおっとりしていて親切な人が多いと感じたそうです。

三重に訪れると、彼ら彼女らの旅人を迎える優しく温かいこころを感じられるかもしれません。

あなたもぜひ三重の伊勢路にいらしてください。

>>斎宮跡がある明和町の魅力を創造・発信する一般社団法人明和観光瀟洒の公式サイトはこちら

>>観光三重の斎宮関連の情報はこちら

三重」に興味わいてきた?あなたにおすすめの『三重』旅行はこちら

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シンジーノ

3人娘の父で、最近は山歩きにハマっているシンジーノです。私は「お客さまが”笑顔”で買いに来られる商品」を扱う仕事がしたいと思い、旅行会社に入って二十数年。今はその経験を元にできるだけ多くの人に旅の魅力を伝えたいと“たびこふれ”の編集局にいます。旅はカタチには残りませんが、生涯忘れられない宝物を心の中に残してくれます。このブログを通じて、人生を豊かに彩るパワーを秘めた旅の素晴らしさをお伝えしていきたいと思います。

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