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フランス人の好きな村2023 1位に輝いたエスケルベックってどんなところ?
<TOP画像:庭園側から見たエスケルベック城 ©Kanmuri Yuki>
今日ご紹介するのは、フランス北部のフランドル地方にある小さな町エスケルベックです。フランドルと聞いてピンとこない方も、英語名のフランダースと聞くと、ああ!と思うのではないでしょうか。高い山がなくどこまでも続くかのような平原に、風車と鐘楼が点在するのどかなフランドル地方。石が手に入りにくい地域だったため、建物の多くはレンガ造りです。目立って大きな町もなく、エスケルベックの人口も約2,000人にすぎません。
<なだらかな平原が続くフランドル地方©Kanmuri Yuki>
そんな目立たないエスケルベックの魅力を知ってもらいたくてこの記事を書き始めたのですが、なんとその最中に、エスケルベックが『フランス人の好きな村2023』1位に輝く!という大ニュースが舞い込みました。
『フランス人の好きな村』というのは、2012年に始まった人気テレビ番組です。歴史・文化に詳しいステファン・ベルヌの司会で、毎年フランスの各地方から選んだ候補の村を紹介し、視聴者投票で順位を決めるという内容。その1位に選出されるのは相当な栄誉なのです!前置きが長くなりましたが、そういうわけでさらに自信をもってご紹介いたします。
目次
9世紀に遡る起源をもつお城
エスケルベックは、北海に面する北の港町ダンケルクから、約20km内陸に位置する自治体です。町の中心アルフォンス・ベルジュロ広場を囲む赤レンガの家々のファサードはほとんどが17~18世紀に建てられたもの。この広場については後述することにして、まずは広場に隣接する赤レンガ造りのエスケルベック城についてお話ししましょう。
<濠を渡って入るエスケルベック城©Kanmuri Yuki>
エスケルベックについては9世紀から文書にその名が残っていますが、今ある場所に最初の城が築かれたのは1470年と見られています。その後、時代を追って幾たびかの増改築がなされたものの、四角い中庭を囲んで建つ城と、その城をさらに濠が囲むという形は、そのまま受け継がれてきました。ちなみに、エスケルベックという地名の語源は「オーク(楢の木)の小川」という意味だそうです。
歴史に揉まれながらも存続
長く時の領主たちが居住してきたこの城を革命後の1821年に購入したのは、織物実業家であったルイ・コロンビエ=バッター氏です。同氏は、フランス革命を経てひどく傷んだ城の修復と、敷地周りの庭園造成に専念し、エスケルベックの村長も務めます。エスケルベックに国鉄駅を設けることに成功したのも同氏です。
1941年までは同氏の娘婿であるベルジュロ家が城を所有管理しましたが、その間二度の大戦においては、負傷者のホスピスとして使われたり、仏軍、独軍に徴発されたりもしました。特にナチス・ドイツには1940年から44年まで占領され、その時代の爪痕のように今も敷地にはコンクリートの塊のブンケルが残っています。
住民の心のよりどころだったお城
戦後1946年、北部の実業家ジャン・モラエル氏がベルジュロ家から城を購入します。同家は、1980年代の終わりまで城と敷地を管理・維持しました。当時を知る村民たちの回想によれば、村のお祭りや行事はいつもお城で行われ、庭園は村の子供たちの遊び場でもあったのだそうです。敷地内にあったエスケルベック唯一のテニスコートに学生が練習に通う例もあったそうで、エスケルベック城は、個人の所有物でありながらも、村民たちにとって村の象徴ともいえる大切な存在であり続けました。
そのため、1984年に城のドンジョンが老朽化で崩落した時は、村の誰もが大きなショックを受けました。126段の階段を備えるドンジョンはお城の中庭側に建っていましたが、その崩落は住居部分にも大きな被害を与えます。建築の安全性が認められず、城内の居住は禁止となり、結果として、その後約35年も城は放置されてしまいます。
<城内にはドンジョンが崩落したあとの城の様子も ©Kanmuri Yuki>
それでも、1987年には国の歴史的建造物の指定を受けました。また、モラエル家の縁者や、城の復興を願う人々が発足した「友の会」の尽力により、今世紀に入ってからこつこつと修復が進められ、やっと公開にこぎつけたのが約5年前のことです。
ルネッサンス期のフランドル風庭園
現在は、修復を終えた城の一部分と庭園と森林公園の見学が可能となっています。庭園は1ha、森林公園は5haで、お濠に囲まれた城を見守るように広がっています。
1600年~1640年の間に造園されたと考えられるこの庭園は、生垣で幾何学的に仕切られた土地に、梨やリンゴのほか、野菜や薬草などが植えられています。5haの森林公園の方には遊歩道が整備され、現代アートの展示などにも使われています。
城も庭園も完全な修復まではまだ時間がかかりそうですが、だんだんに輝きを取り戻している様子がうかがえます。なお、前庭に残る鳩舎は1606年のもの。こちらもどうぞお見逃しなく。
エスケルベック城と庭園
- 庭園開園日:5月半ば~10月末 木~日 12:00~18:00
- お城開館日:6月~9月 日曜 15:00~18:00
- 庭園入場料:5ユーロ(12歳未満は無料)
- お城入館料:5ユーロ(12歳未満は無料)
- 公式サイト:エスケルベック城
二色のレンガ模様が印象的な聖フォルカン教会
アルフォンス・ベルジュロ広場を挟んで、エスケルベック城と対面するように建つ聖フォルカン教会もこの村の歴史を背負う存在です。
<印象的なファサードの聖フォルカン教会 ©Kanmuri Yuki>
この教会の前に立って最初に目を奪われるのは、二色のレンガを使った独特なファサードでしょう。これは、1610年、当時のエスケルベック男爵フィリップ・ド・ゲルノンヴァルがエスケルベック城の外見に合わせて造らせたものです。
教会自体は9世紀からありますが、最初は今の教会の身廊にあたる部分だけの小さなもので、レンガではなくカッセルの石を使って建てられていました。その後、少しずつ拡張され、赤レンガを用いて今のサイズになったのは16世紀のことです。
1976年には大火事の被害
聖フォルカン教会は、エスケルベック城よりも早く1945年には歴史的建造物の指定を受けますが、1976年4月火災に遭い、内部のほとんどを焼失してしまいます。それでもファサードは焼け残り、2年半かけて修復され、1978年のクリスマスに再びその扉を開きました。今も教会内部には、この時の火災で丸焦げとなった像を見ることができます。
<1976年の火災被害に遭った彫像たち ©Kanmuri Yuki>
ちなみに、聖フォルカンというのは、780年に生まれ、9世紀にテルアンヌの司教を40年間務めた人物です。855年エスケルベック村で亡くなったため、今もこの教会には同聖人の聖遺物の一部が残っています。
【聖フォルカン教会】
- 年中無休、見学無料
※観光局(アルフォンス・ベルジュロ広場9番地)に申し込めば、ガイド付き見学も可能
フランドルののどかな村エスケルベック。都会の観光に疲れた時には、ぜひ思い出してみてください。
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冠ゆき
- 山田流箏曲名取。1994年より海外在住。多様な文化に囲まれることで培った視点を生かして、フランスと世界のあれこれを日本に紹介中。