【埼玉県】故郷に錦を飾った遠山邸の美学

実業家の住んだ家シリーズ、今回はちょっと関東に目を向けてみましょう。

場所は、埼玉県比企郡川島町。日興證券の創業者である遠山元一が1936年(昭和11年)に建てた屋敷と庭園、また同敷地内に1970年(昭和45年)建てられた美術館で成る遠山記念館のご紹介です。このうち旧遠山邸は2018年(平成30年)国の重要文化財の指定を受けています。

目次

武蔵野の田園に囲まれて

のどかな田園の中にある遠山記念館の敷地は3,000坪。濠に囲まれ堂々たる長屋門が、その入り口です。

遠山記念館長屋門
<遠山記念館長屋門 ©Kanmuri Yuki>

長屋門からアプローチを進むと、右手に鉄筋コンクリート造の美術館、左手に旧遠山邸の表玄関が現れます。さらに、左手の塀には庭園への入り口もあります。入場券を購入した後は、自由な順序で見学が可能です。邸宅も庭園も美術館もそれぞれにおすすめですが、一番見どころが多いのは、やはり旧遠山家住宅の主屋でしょう。

旧遠山邸東棟表玄関
<旧遠山邸東棟表玄関 ©Kanmuri Yuki>

なんといっても総建坪212坪、「主な部屋数は14室。(中略)畳の枚数が計250枚、畳廊下の延長100m、雨戸170枚、照明の電球100個」(『遠山記念館だより』第55号より引用)という規模なのです。

それほどの豪邸でありながら、表玄関には威圧的な気配はなく、茅葺き屋根のせいかむしろ温かな印象を与えます。

異なる趣の3棟で構成

旧遠山邸は、東棟・中棟・西棟の三棟で構成されており、東から西に向かって蛇行する長い廊下がこれを繋ぐ構成になっています。ただし内塀に遮られて、表玄関からは庭も屋敷の全容も見えません。

旧遠山邸東棟居間
<旧遠山邸東棟居間 ©Kanmuri Yuki>

東棟の居間は、豪農風というのにふさわしく高い天井と縁のない坊主畳の床に囲炉裏を備えています。続く中棟は、「書院造の大広間がある接客対応」、そのさらに奥の西棟は「京間風の数寄屋造り」と、3棟はそれぞれ異なる様式で建てられていますが、下に見て行くように違和感なくひとつの住空間を生み出しています。

ルーツを表に出した東棟

ところで、この住宅を建設した当時、施主の元一は46歳の働き盛り。26の年に設立した川島屋商店も大発展中とあり、元一自身の生活の基盤は都内にありました。そういうわけで、この邸宅は西棟が母美以の安住の住まい、また中棟は元一が貴顕の来客をもてなす場として設計されています。

では、なぜ表玄関が中棟ではなく、豪農風な東棟にあるのでしょうか?

その理由は、遠山元一のそれまでの人生に関わってきます。

もとより、遠山家は埼玉県比企郡川島郷きっての豪農でした。しかしながら元一は、この広大な土地を難なく受け継いだわけではありませんでした。のちに元一自身が記しているように(遠山元一「私の履歴書」(昭和31年6月))、元一の父親の道楽で、元一が高等小学校を出る14歳のときには、「田畑も山林も屋敷も人手に」渡ってしまっていました。それどころか、「(元一の)学資として、曾祖父が残しておいたものさえ」父親がきれいに使い果たしてしまったため、紆余曲折の末、元一は15の年に兜町の株屋に丁稚奉公することになります。ここで6年、さらに盲腸による入院手術をきっかけに転職した先の売買仲介店でもさらに6年ほど働きに働き、1917年(大正6年)ようやくお金の工面がついて買い戻したのが、この郷里の屋敷跡だったのです。

旧遠山邸
<庭から見た旧遠山邸中棟(左)と東棟(右) ©Kanmuri Yuki>

遠山家は郷里でも慕われていたようで、このおり所有者らは「「結構なことだ」「めでたい」とばかりに喜んで格安で譲ってくれたし、昭和八年から三年にわたった本宅の再建にも近郷近在こぞって協力してくれた」と、元一は語っています。(「私の履歴書」)

つまり、この「生家の再興」を象徴するのが、豪農風に建てられた東棟と表玄関なのです。

吟味された本物の贅沢

東棟に続く中棟も西棟もこだわりの建築材と細かな意匠が丁寧に施され、どこを切り取っても凛とした佇まいで見飽きることがありません。

旧遠山邸
<旧遠山邸大広間ガーネットを用いた壁 ©Kanmuri Yuki>

接客に使われた中棟で目を引くのは、何と言っても十八畳の大広間と十畳の次の間でしょう。上品な紫色の壁は、柘榴石(ガーネット)を砕いた砂を塗った「本霞(ほんがすみ)」と呼ばれるもの。東南西の畳廊下には、当時としては貴重なゆがみのない大型ガラスがめぐらされ、大きな一枚絵のような庭園を一望できます。

庭園
<大広間の縁側から見た庭園 ©Kanmuri Yuki>

十畳の次の間には、毎年雛祭りには江戸時代中期から昭和中期までの雛人形が、端午の節句には武者人形や鎧などが、それぞれひと月ほど賑やかに並べられます。ちなみに2023年の雛飾りは2月11日~3月12日を予定しており、重要美術品「武陵桃源図絵巻」も同時に初の一挙公開となります。

宝探しのような発見の多い意匠

西棟玄関
<西棟玄関 那智黒玉石に鞍馬石の沓脱石 ©Kanmuri Yuki>

数寄屋造りの西棟は、上述したように、遠山元一が母美以の住居として作った棟です。比較的小ぶりな部屋でまとまっているように感じますが、よく見れば、多様な木材を活用し、欄間や天井、引手も変化に富む凝りようです。那智黒玉石を敷き詰めた品の良い西棟玄関もぜひご覧ください。

土蔵
<土蔵の入り口に見える遠山家の家紋 ©Kanmuri Yuki>

また、意匠の発見の一環として、ぜひ探してみてほしいのが遠山家の家紋「丸に二つ引き」です。皆さんのご想像通り、この家紋は室内外のさまざまな場所に意匠として用いられています。鬼瓦や門、襖絵、欄間、照明器具、仏壇などに、ぜひ注目してみてください。

邸宅を作り上げた3人

この邸宅の建設には2年7か月かかりました。設計は室岡惣七、大工棟梁は中村清次郎、総監督は元一の弟である遠山芳雄が務めました。同館によるのちの調査を読んでも、遠山家住宅はこの3人が集まることで形になり得たものだとわかります。

西棟12畳間
<西棟12畳間(手前)の欄間 桐材に踊り桐の透かし彫り ©Kanmuri Yuki>

中村清次郎は、年若いころから建築業を志し、宮内庁技師であった伊藤藤一に師事します。釘を使わない高度な組木を意匠的に用いる作風を特徴とし、多くの高級住宅を手掛けたと思われますが、残念なことにそのほとんどは関東大震災や戦火で失われました。(『遠山記念館だより』第61号

遠山邸のこだわりの建材は、主に中村棟梁と遠山芳雄が、東京木場はもとより、名古屋や大阪の銘木商まで回って調達したと言います。(『遠山記念館だより』第55号)遠山芳雄は美的センスに優れていたと見え、後に遠山元一もこの建築こそ芳雄の残した芸術品だという旨の一文を残しています。(『遠山記念館だより』第55号)

西棟七畳間
<西棟七畳間、黒い艶消し瓦を敷いた半土間が、枯山水の庭と室内をつなぐ ©Kanmuri Yuki>

また設計士であり現場監督も担当した室岡惣七は、東京帝国大学工科建築科出身。その知識を生かし、「耐震などの構造設計も精密に行って、間取りや衣装にも反映させた」ことが、数多く残る図面からうかがえます。(『遠山記念館だより』第62号

室岡は、現場への建材搬入にも腐心しました。当時は、まだ舗装されていない悪路がほとんどであったため、運搬経路上にある木造の橋が、重い庭石や振動に敏感な大型ガラスを積んだトラックの通行に耐えられるかなど確認することは多くありました。例えば、表玄関で目を引く「6、7tはあろう鞍馬産沓脱石は、東京から荒川を遡上して搬入した」と伝えられています。(『遠山記念館だより』第62号)

回遊式の庭園

庭園は回遊式で、「飛び石づたいに園を巡れば、春は梅、桜、躑躅、さつき、夏は花菖蒲と濠の蓮花、秋は紅葉が眼を楽しませてくれます」。(遠山記念館公式サイトより引用)庭をめぐる水は、組井筒から流れ出た井戸水で、最後は屋敷の外の濠へと流れ入るようにできています。

庭
<西棟8畳半の間から見える庭 ©Kanmuri Yuki>

面白いのは、中棟の大広間から広々と望んだ庭も別な部屋からだと丸っきり違う表情に見えること。各所に置かれた石灯籠や手水鉢がアクセントとなり、言うなれば、部屋ごとに異なる一幅の絵を見るような印象なのです。

小径
<辿りたくなる小径 ©Kanmuri Yuki>

この素晴らしい庭の作者は長らく不明でしたが、つい先ごろ2020年秋、新たに見つかった庭園設計図から、龍居松之助によるものだということが判明しました。龍居松之助は、「日本造園史の研究と教育における草分けとして活躍し、戦後も日本庭園の保存公開 に尽力した」(『遠山記念館だより』第60号)ことで知られる人物です。

必ず寄りたい美術館

鉄筋コンクリートの美術館の竣工に合わせ、遠山記念館が開館したのは、1970年(昭和45年)、遠山元一が81歳の時でした。美術 工芸品・建築物を「徒らに私有私蔵すべきではない」という強い意志を示しての設立でした。(『遠山記念館だより』第58号

遠山記念館
<美術館入り口 扉上には天使像、扉には遠山家の家紋を用いたシンボル ©Kanmuri Yuki>

現在同館は、世界の美術工芸品約1万1,000点を所有し、その中には、国の重要文化財6件、重要美術品9件も含まれます。コレクションの特徴に触れる紙面の余裕はありませんが、日本と中国の書画や陶磁器、漆工に加え、初代館長新規矩男がオリエント美術研究者であったり、二代目館長山邊知行が染色研究家であった縁からか、それらの方面の資料も豊富です。

この美術館の設計は、今井兼次。日本に最初にアントニオ・ガウディを紹介した人です。カトリック信者でもあり、キリスト教関係の建築もいくつか手掛けています。一見シンプルに見えるこの美術館にも、キリスト教徒だった遠山家のために、さまざまなシンボルが散りばめられています。

天井のフレスコ画一部と萩原守衛の『女』
<天井のフレスコ画一部と萩原守衛の『女』©Kanmuri Yuki

例えば、入り口扉の上には、笹村草家人によるブロンズ製の天使像がかかり、ブロンズ扉面には、家紋と十字と太陽を組み合わせたシンボルマーク。ガラス扉にも朝日や月星を使ったデザイン、階段の手すりには不死鳥の浮彫などが見られます。またロビーの天井には、柔らかな色のフレスコ画がたゆたうように浮かびます。(『遠山記念館だより』第54号

不死鳥の浮彫
<不死鳥の浮彫 ©Kanmuri Yuki>

この美術館では、年間数回の特別展が開かれています。詳しいスケジュールはどうぞ公式サイトをご覧ください。また新型コロナウイルス以前は、お茶会やお香会、手回し蓄音機でのレコード鑑賞会などが旧遠山邸で開かれ、春秋の週末には、普段見学できない中棟2階の特別公開も行っていました。近いうちの再開を楽しみにしたいものです。

遠山記念館

  • 場所:埼玉県比企郡川島町白井沼675
  • 開館時間:10時~16時半(入館は16時まで)
  • 休館日:月曜日(祝祭日の場合は開館、翌日休館)、年末年始(12月21日~1月5日)そのほかの臨時休館日は公式サイト参照のこと
  • 入場料:通常大人800円、高校・大学生600円、特別展のある時は大人1,000円、高校・大学生800円、展示替え期間(邸宅・庭園のみの公開)は大人600円、高校・大学生400円
  • 公式サイト:遠山記念館

なお、公式サイトからは「遠山邸のバーチャルツアー」も楽しむことができます。もちろん、実際の訪問には及びませんが、通常非公開である離れ茶室や中棟の2階を覗けるのは大きな魅力です。

興味を持たれた方、まずはバーチャルツアーからいかがですか?

参考文献

  • 遠山元一「私の履歴書」(昭和31年6月)『私の履歴書 経済人1』発行1980年、日本経済新聞社
  • 『遠山記念館だより』各号

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冠ゆき

山田流箏曲名取。1994年より海外在住。多様な文化に囲まれることで培った視点を生かして、フランスと世界のあれこれを日本に紹介中。

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