見どころ盛りだくさん!横須賀で浦賀ドックや歴史に残る遺構を見てきた

横須賀遺構

横須賀というと皆さんは何を思い浮かべますか? 軍港、海軍カレー、猿島、海・・などでしょうか。山口百恵、渡辺真知子、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドなど、懐かしのメロディーを思い浮かべる方もいるのでは?

実は、日本が開国に至ったきっかけを作ったペリー提督が上陸した浦賀は横須賀市にあり、日本の近代化に大きな影響を与えた青函連絡船や護衛艦など、多くの艦船が建造・修理された浦賀ドック、太平洋戦争に大きく関わった砲台跡や地下壕も横須賀市にあるんです。

そんな歴史の遺構(※)を訪ねてきました。最近公開されたスポットを中心に横須賀の魅力を紹介したいと思います。

※遺構・・古い建造物で今日にその一部が残っているもの。【大辞林より引用】

目次

横須賀海軍航空隊があった「貝山地下壕」

貝山地下壕

東日本大震災時に一部崩落があったことから地下壕への立ち入りが禁止されていましたが、2021年6月よりガイド付き限定で公開になりました。ということで、今回はNPO法人アクションおっぱまのガイドさんと一緒に地下壕の見学をしてきました。

>>NPO法人アクションおっぱまのHPはこちら

貝山地下壕

太平洋戦争中に掘られた旧海軍の地下壕です。地下壕のある場所は市内の貝山緑地(追浜地域)にあります。素掘りの地下壕で総延長は2kmを超えると説明がありました。

貝山地下壕

ここは会議室だったようです。この他、炊事場や食糧庫、トイレと思われる場所もありました。地下壕内で生活できるようになっており、空襲対策として、横須賀海軍航空隊が昭和19年末頃から本土決戦に備えて掘ったといわれています。

貝山地下壕 通路

細い通路があちこちに伸びていて、素掘りの跡が生々しく残っています。現在はトンネルを掘る機械がありますが、つるはし等の人力でトンネルを掘るなんて気の遠くなるような作業だと感じました。

貝山地下壕 出入口

地下壕の通路の末端には、外部への出入り口がいくつかありました。

貝山地下壕貝 什器

地下壕の入り口付近には、かつて地下壕内で使用されていたと思われる什器などが展示されていました。

貝山地下壕貝 什器

70年を超える昔の地下壕内での生活を想像して、空襲のある屋外に比べたら安全な場所だったのだと思い、そして、ここまで戦況が追い詰められていたのに戦争を進めざるを得なかったことを改めて考えさせられました。

貝山地下壕貝 什器

海軍は、若年から技術を習得させ、熟練した航空機搭乗員の養成をするため、昭和5年に海軍飛行予科練習生(通称:予科練生)制度を設け、横須賀海軍航空隊の一角に横須賀海軍航空隊予科練習部を置きました。後に予科練習生の増員等により、昭和14年に霞ケ浦海軍航空隊に移転しますが、貝山地下壕にあった横須賀海軍航空隊は霞ケ浦海軍航空隊のルーツだったのです。

貝山地下壕

  • 住所:横須賀市浦郷町5丁目2931番63
  • アクセス:京急線・追浜駅より「深浦経由田浦駅」行、または「深浦循環」バス「浄化センター」下車徒歩5分
  • HP:貝山地下壕(横須賀市HP)

明治時代に建設された西洋式砲台があった「千代ヶ崎砲台跡」

千代ヶ崎砲台は、明治25年から28年にかけて陸軍が建設した西洋式の砲台です。

榴弾砲台部分は、長い間、海上自衛隊横須賀通信隊千代ケ崎通信所として立入り禁止でしたが、2021年から一般公開されています。また2015年に国の史跡に指定され、日本遺産の構成文化財にも認定されています。眼下には浦賀水道を望み、遠く房総半島を望むおだやかな風景と砲台跡のレンガ積の建築物は別世界な感じがしました。

千代ヶ丘砲台跡

砲台跡の上部から見下ろした写真です。3つの砲座が南北に並び、1砲座に2門ずつ榴弾砲が設置されていました。砲座はすり鉢状の高い土手に囲まれています。

千代ヶ丘砲台跡

南側の堡塁部分は現在は農園になっています。掩蔽部や右翼の観測所は残されていて、海を見下ろすロケーションで晴れた日には房総半島を望むことができます。

千代ヶ丘砲台跡 通路

地下施設に続く通路。ここで多くの兵隊さんたちが働いていたことが想像もつかないほど年月を感じました。

千代ヶ丘砲台跡 通路

地下施設への入り口はレンガ積みになっています。

千代ヶ丘砲台跡 すり鉢への入口
<地下施設から砲座への出入り口>

千代ヶ崎砲台跡

  • 住所:神奈川県横須賀市西浦賀6-5-1
  • 公開日:土・日・祝日(ただし12月29日~1月3日を除く)
  • アクセス:京急線・浦賀駅から京急バス[久19系統:浦賀病院前・千代ヶ崎経由、京急久里浜駅行]で「燈明堂入口」下車、徒歩約15分
  • HP:千代ヶ崎砲台跡(横須賀市HP)

※史跡地内は、自転車、二輪車を含む車両の乗り入れは不可です

国内唯一の総煉瓦造りのドライドック「浦賀ドック」

浦賀ドックは、明治32(1899)年に建造されて平成15(2003)年に閉鎖されるまで、日本丸や海王丸をはじめ、青函連絡船や護衛艦などの船がこの造船所で建造され、修理やメンテナンスが行われてきました。

海に囲まれた日本には各地にドックがありますが、レンガ造りのドライドックを見られるのは国内で唯一ここだけです。

令和3(2021)年にドックを含む周辺部について住友重機械工業株式会社から横須賀市に寄付されて実証実験期間の2021年10月23日~2022年1月23日に一般公開されたタイミングで見学することができました。(ただし、ドックの下まで降りられるのは見学ツアー等の参加者のみです。)

浦賀ドック 看板

ドック入口にある看板には、横須賀市制70周年を記念して横須賀風物百選に選定されたことやドックの成り立ちについての案内が書かれています。

浦賀ドック

ドック上部から内部を見下ろしました。約215万個のフランス積み煉瓦が三方向を取り囲んでいる姿は圧巻でした。

横須賀市ホームページによりますと、ドックの規模は「長さ:渠底180.3m、幅:渠口下部25.7m、深さ:渠口底中央10.9m」です。

浦賀ドック

底部に降りると、水を抜いた状態の時に入渠している艦船を載せる盤木(ばんぎ)が整然と並べられています。土台に丸い穴が開いていますが、こちら側の土台から反対側の端の土台まで丸い穴を通して見渡すことができました。

ちなみに、写真の盤木はこのドックで最後に整備された東京湾フェリー「しらはま丸」の船体を支えていた配置のままとのことでした。

浦賀ドック レンガ

整然と積み上げられたレンガを見上げます。ここ浦賀ドックはフランス積みですが、フランス積みの他にイギリス積みがあります。フランス積みとイギリス積みは、工法が違うのはもちろんですが、見た目の美しさや施工された年代の違いもあるようです。

浦賀ドック

海に面した方向から見たドック。手前はレンガ積みではなく、コンクリートで固められています。竣工当初より取り扱う艦船が大きくなったため拡張した形跡です。

浦賀ドック クレーン

浦賀ドックには何基ものクレーンがありました。こちらは、昭和20年から活躍をしていたクレーンが残されたものです。

今から1世紀以上昔の日本が、倒幕から明治維新を経て、欧米列強に追いつけ追い越せと熱気に満ちた時代の名残を感じさせてくれる遺構でした。このドックの見学は、伊藤博文や井上馨が国禁を破って英国に密航し、日本の近代化の礎を気づいた長州藩士の書籍を読むきっかけになりました。浦賀ドックは文明開化の熱き躍動を想像させるロマンにあふれるところだと思います。

浦賀ドック

※公開日や見学方法などの詳細は、HPでご確認ください。

浦賀の港を挟んで東西の神社が向かい合う「叶神社」

浦賀の港を挟み、東西の叶神社(かのうじんじゃ)が向かい合って位置しています。

東叶神社には井戸があり、勝海舟が咸臨丸での太平洋横断前に、この井戸で水垢離をした後、明神山山頂で断食をしたと伝えられています。

西叶神社の拝殿の格天井には、当時の日本には渡来していないとされる花や鳥のほか、棟木を支える力神の彫刻が施されています。

西叶神社の狛犬は、いずれも口を開けた「阿(あ)形」、東叶神社の狛犬は、左右とも口を閉じた「吽(ん)形」に見え、東西で一対になっているという説があります。

東西叶神社はパワースポットとしても知られており、西叶神社の勾玉を東叶神社のお守り袋に納めて身につけていると、恋愛をはじめとした良縁を結ぶといわれていて、参拝者が絶え間なく訪れていました。

東叶神社 鳥居
<東叶神社の鳥居>

東叶神社
<東叶神社本殿への階段と狛犬>

東叶神社 井戸
<勝海舟が断食修行時に使った井戸>

東叶神社 弁天様
<境内に祀られている弁天様>

東叶神社 浦賀港
<浦賀港を見下ろせます>

東叶神社

    • 住所:横須賀市東浦賀2-21-25
    • アクセス:京急線・浦賀駅より鴨居方面行きバス「かもめ団地行」「観音崎行」他(約5分)「新町」バス停下車、徒歩5分
    • HP:東叶神社

西叶神社 鳥居
<西叶神社の鳥居>

西叶神社 狛犬
<西叶神社の狛犬>

西叶神社 本殿
<西叶神社 本殿>

西叶神社

  • 住所:横須賀市西浦賀1-1-13
  • アクセス:京急線・浦賀駅からバス「久里浜駅行」(約5分)「紺屋町」バス停下車、徒歩1分
  • HP:西叶神社

東西の神社参拝は渡船でショートカット「浦賀の渡し」

渡船西浦賀乗船場
渡船西浦賀乗船場>

浦賀港を東西両岸に結ぶ渡船の歴史は江戸時代に遡り、幕末、東岸には徳田屋という旅館があり、佐久間象山や吉田松陰、桂小五郎など幕末の志士も訪れたといわれています。公的には、1878年(明治11年)に東浦賀と西浦賀の18の町が共同で運営にあたったのが始まりとされています。

渡船西浦賀乗船場

ポンポン船の愛称で親しまれ、昭和30年代までは手こぎの船でしたが、市政100周年にあたる2007(平成19)年に、御座船をイメージして作られた現在の船「愛宕丸」になりました。

「浦賀海道」と名付けられた全国でも珍しい海上の市道を渡る3分程度の短い船旅ですが、海上から見た浦賀の風景はまた格別です。東西の叶神社を参拝する際にとても便利です。

渡船西浦賀乗船場 ガイドさんと阪急交通社 社員
<今回ガイドしていただいた横須賀市役所ツアーデスクの斎藤さん(右)と阪急交通社の山田さん(左)>

愛宕丸
<愛宕丸>

浦賀の渡し

  • 運行時間:7:00~17:00まで(12:00~13:00は休み)
  • 料金:大人200円、小・中学生100円
  • アクセス:
    東渡船場:京急線・浦賀駅から鴨居方面行きバス「鴨居行」「かもめ団地行」「観音崎行」他(約5分)「新町」バス停下車、徒歩3分
    西渡船場:京急線・浦賀駅からバス「久里浜駅行」(約5分)「紺屋町」バス停下車すぐ
  • HP:浦賀の渡し(横須賀市HP)

ご当地グルメ「横須賀海軍カレー」

横須賀の地元グルメといえば、横須賀ネイビーバーガーと横須賀海軍カレーです。

今回は、横須賀軍港クルーズの発着するコースカベイサイドストアーズに入っているレストラン「横須賀海軍カレー本舗 ベイサイドキッチン」でカレーバイキングをいただきました。試食したカレーは次の通りです。

海軍割烹術参考書(明治41年)にあるカレイライスのレシピを元に現代風にアレンジした「よこすか海軍カレー」、海上自衛隊横須賀地方総監部の協力により、各艦に乗り込んでいる給養員長(料理長)のレシピを忠実に再現した「横須賀海自カレー」、「海上自衛隊東京音楽隊チキンカレー」とキーマカレーに航空自衛隊の各基地の給食で提供される鶏の唐揚げレシピを元に日替わりで作られる「空自空上げ」を楽しむことができます。

横須賀海軍カレー
<盛り付け例(カロリー高め^^;)>

横須賀海軍カレー ビュッフェ
<ビュッフェライン(カレー)>

横須賀海軍カレー トッピング
<トッピング>

横須賀海軍カレー
<盛り付け中>

店内
<感染対策がされた客席>

デザート

南極観測船しらせの船体の色をイメージしたソフトクリームデザートと、しらせが役目を終えて帰艦する時にふるまわれるぜんざい。

横須賀海軍カレー本舗 ベイサイドキッチン

    • 住所:神奈川県横須賀市本町2-1-12 コースカベイサイドストアーズ1F
    • 営業時間:平日11:00~19:00(17:30L.O.)、土日祝11:00~19:00(17:30L.O.)
    • HP:横須賀海軍カレー本舗

最後に

今回ご紹介した見学スポットは丸一日がかりで回りました。横須賀市にはまだまだ観音埼灯台や三笠公園、軍港クルーズに無人島の猿島などお馴染みの観光スポットがたくさんあります。

そんな観光スポットあふれるところへ、東京からは京急線やJR横須賀線で1時間ほどで訪れることができるのです。

コロナ禍のこんな時期なので遠くへ出かけるのを控えている方も、近場のお出かけを楽しんでいる方もまるまる1日遊べるのが横須賀です。出来たら1泊してレトロな飲み屋街なども歩いてみたい、そんなおすすめ観光地なのです。

今回は歴史的な旧跡を辿りましたが、目的や気分にあわせていろいろなスポットを自分なりに組み合わせて巡ってみるのも面白いかもしれません。鎌倉や横浜とは違った魅力がここ横須賀にはあります。是非ぜひ、次の週末、お天気が良かったらふらっとお出かけください。きっと貴方の胸に刺さるものが必ずあると思いますよ。

※各施設に訪問する際は、必ず事前に公開情報をご確認ください。

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