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ブラジルの巨匠造園家、ホベルト・ブルレ・マルクスの庭
今年7月、リオデジャネイロに世界遺産がもう一つ加わりました。リオ市西部バーハ・ジ・グアラチーバにあるホベルト・ブルレ・マルクス庭園で、約40haの敷地に3,500種以上の熱帯・亜熱帯植物がコレクション、保全されています。
私がリオに住んでいた時、この庭園のことは知っていたのですが公共交通機関ではアクセスができず、車でしか行けない場所なので訪れる機会を逃していました。リオを出てしまった今となっては"時すでに遅し"ですが、世界遺産に登録されたことにより訪問者数が増え、アクセスが改善されることを期待します。
新たな世界遺産となった庭園の紹介は別の機会に置いておくとして、今回は、あまり日本では知られていない20世紀の巨匠造園家、ランドスケープ・デザイナー、ホベルト・ブルレ・マルクスに焦点を当て、サンパウロで行けるブルレ・マルクスが手掛けた庭園の紹介をしたいと思います。
目次
造園家、ブルレ・マルクスについて
ホベルト・ブルレ・マルクス(1909-1994)は、1909年8月4日にサンパウロで生まれました。ドイツ系ユダヤ人の父、ヴィルヘルム・マルクスとフランス系ブラジル人の母、セシリア・ブルレの四男で、幼少期から母親と一緒に家庭菜園や庭いじりをするのが好きだったそうです。
1913年、一家はリオデジャネイロのレーミという地区に移り住み、彼が8歳の時には庭造りを始めます。
1928年は、ブルレ・マルクスにとって、人生の転機となったと言える年で、後のキャリア形成に重大な影響を与える出来事がありました。それは、自身の目の病気の治療のために、ドイツに行ったときの事でした。ベルリンで訪れたベルリン=ダーム植物園でブラジル産の熱帯植物を見て、その美しさと多様性に気づき、衝撃を受けたのです。
この発見がきっかけで、ブラジル固有種の熱帯植物の調査・研究に一生を費やし、国内外での植物採取、後のブルレ・マルクス庭園のボタニカル・コレクションと環境保全活動へと繋がっていきます。
ランドスケープ・デザイナーとしてブルレ・マルクスは、公園にブラジル固有の植物を導入したパイオニアです。彼こそが、ブラジルに自生する植物の美しさと熱帯植物の多様性とその重要性を認めた第一人者でした。
また、ランドスケープ・デザイナーという職業以外にも様々な芸術領域で才能を発揮したマルチアーティストでもあります。版画、シルクスクリーン、絵画、絵、彫刻、タペストリー、ジュエリーデザイン、舞台芸術、陶壁画などの分野でも活動しました。それ故に、造園の分野においても様々な才能を活かし、独自の表現が確立できたのです。
20世紀のランドスケープデザイナーの巨匠として世界的に認められているブルレ・マルクスは、モダン熱帯庭園の創設者であり、芸術、建築、都市計画の分野で近代主義運動に加わったことにより、ブラジルの近代主義運動の代表的なアーティストの一人としても知られています。
ブルレ・マルクスが手掛けた代表的なリオデジャネイロの景観デザイン
ブルレ・マルクスがブラジル国内外でデザインした庭園や公園は2,000ヵ所以上ありますが、ここではリオデジャネイロを訪れた人なら必ず知っていると思われる場所を2ヵ所ご紹介したいと思います。
コパカバーナ海岸の遊歩道
1970年代に完成した4.6kmにわたるコパカバーナ海岸の遊歩道には、波をモチーフにしたモザイクの石畳が敷かれています。この石畳の景観は世界的に有名で、ブルレ・マルクスの最も代表的なプロジェクトです。
フラメンゴ公園
通称フラメンゴ埋立地と呼ばれるグアナバラ湾に面するフラメンゴ公園は、サントス・ドゥモン空港からボタフォーゴ海岸まで広がる埋立地で1,200万平方メートルの広大な公園です。公園にはブラジル固有の植物やその他の熱帯地域の植物が190種、約11,600本植えられているそうです。
観光地にもなっているこの2か所は、いつ見ても心が和み、私のリオのお気に入りの景色でした。
サンパウロのブルレ・マルクス公園
サンパウロでブルレ・マルクスが手掛けた庭園の中で有名なものが2か所あります。1つは、イピラプエラ公園。そして、もう1つが今回ご紹介したいブルレ・マルクス公園です。
これら2つの公園は、サンパウロ市民にとって憩いの場所で週末になると親子連れや運動・散歩する人で賑わいます。
彼の名前が付いているブルレ・マルクス公園は、彼が造園した庭をメインとした環境保護地域からなる市立公園で、1995年に開園しました。もとは私有地で実業家フランシスコ・マタラッツォ・ピグナタリが自宅を建設するために購入した土地でした。この辺りは、都市部では珍しい大西洋岸森林の原生林が残っている地域です。
ピグナタリは、家の建設を建築家オスカー・ニーマイヤ、庭をブルレ・マルクスに依頼しましたが、その工事中にピグナタリとその妻、ネリタが離婚したため、完成を見ることなく工事は無期限で中断してしまいました。90年代中頃まで放置されていたのですが、公立の公園として生まれかわることになりました。そこで、唯一完成していたブルレ・マルクスが設計した家の横の庭を再び自らの手で公園向けに再設計して完成したのが、現在のブルレ・マルクス公園の「ブルレ・マルクスの庭」です。残念ながらニーマイヤーが設計した住宅は、工事を中断してから随分と時間が経過していたため、破損がひどく解体せざるをえませんでした。現在は、その場所にタンガラ宮殿ホテルが建っています。
この公園の「ブルレ・マルクスの庭」の特徴は、彼の得意とする市松模様の芝生の他に彼が作成した陶壁画、水鏡の噴水、テラスなどが設置されています。植物に関して言えば、庭の周囲を皇帝椰子がぐるりと囲んでおり椅子などがおかれている憩いの場の周囲には花壇があります。
庭を含めこの公園内には、バラやコスモスなどの公園によくありがちな花は一切なく、ブラジルに自生する植物しか見られないのも印象的でした。あらためて熱帯植物の多様性と美しさを認識するきっかけにもなったと思います。
ブルレ・マルクス公園(PARQUE BURLE MARX)
- 住所:Av. Dona Helena Pereira de Moraes, 200 - Vila Andrade - São Paulo, SP
- 開園時間:毎日7:00~19:00
- ウェブサイト:http://parqueburlemarx.com.br/
まとめ
造園家、ホベルト・ブルレ・マルクス。名前だけはよく聞いてはいたのですが、今まで彼の功績についてきちんと調べたことはありませんでした。
世界遺産に登録されたことで関心を持つというのはちょっと低俗なのですが、いろいろ調べてみると自分が住んでいたリオデジャネイロの景観、しかもお気に入りだった景色が彼の設計だったことが分かって、これは思いもよらぬ発見でした。
ますます、リオ在中にブルレ・マルクス庭園に行かなかったことが悔やまれてなりません。
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オシャラ
- ブラジル在住19年。今はサンパウロに住んでいます。現地ならではの旅情報を発信していけたらと思います。