【イタリア】ベニスは胡椒(コショウ)が造った???

このような題名をつけたのは、関西風のボケをかましたわけではありません。きちんと理由がありますので、是非読み進めてくださいね。

ベニスは、正式にはベネツィア。ベニスは、英国名です。日本ではベニスという名前が一般的なので、ここでもベニスという名前で呼ぶことにします。

ベニスの美しさに魅せられたひとは多いです。

美人にはお金がかかるように、同じくベニスの景観の維持にもお金がかかります。

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(ベニスカーニバル衣装の女性)

目次

ベニスの始まり

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それでは、本題に入りましょう。ベニスの歴史は、5世紀のゲルマン民族のイタリアへの侵入から始まります。パドバなどの住民が、湿地帯に避難してきて、現在のトルチェッロ島に住み始めました。9世紀にフランク王国が、ベニスを支配下に置こうとして遠征軍を派遣したときに、現在のベニス本島に移り住んだのです。

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干潟に建物を建てるため、大量の丸太の杭を打ち込みそれを建物の土台としました。そのため、ベニスを逆さまにすると森ができる(地中に丸太が乱立するがごとく大量に打ち込まれたため)と言われています。

ベニスの快進撃

ベニスは810年に東ローマ帝国とフランク王国との間の条約で、東ローマ帝国に属するが、フランク王国との交易の権利も得るので、交易帝国として発展していく基礎を作り、強力な海軍力とでイスラームの国々との貿易で莫大な利益をあげていったのです。

胡椒の需要価値

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その当時、ヨーロッパは慢性的な飢餓からの脱出に牧畜による増産を目指しており、肉を如何に美味しく保存するかという命題があり、ベニスを通して輸入されている香辛料、特に胡椒の需要が増大していました。胡椒はインドのモルッカ諸島で取れ、現地ではタダみたいな値段ですが、インドからアラビアを通してベニスにきたときには一粒が金と同じ値段になりました。

題名の由来

シェークスピアの「ベニスの商人」をご覧になった方は、悪名高い金貸しシャイロックが窓を閉め切って、胡椒の粒を数えるシーンを見ていますよね。それほどの価値が胡椒にはあったのです。それほど胡椒がベニスに利益をもたらしました。

これが、こんな題名をつけた意味です。

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胡椒だけではありませんがベニスは当時ヨーロッパ最大の艦隊を擁して多くの交易品を扱って多くの利益をあげていました。現在の大運河に立ち並ぶ、豪華な商館、貴族の館はこの当時に建てられたのです。

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流通革命によるベニスの敗退

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しかし、今も昔も変わらないのは、利益が上がる商売には必ず他の競争相手が現れるということです。

1497~98年にポルトガルの航海者ヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰を廻るインド航路を発見したため、胡椒はアラビアやベニスの商人を通さないでポルトガルがインドから香辛料を直輸入し始めました。金と同じ価値があれば、モルッカ諸島でタダみたいな仕入れを行い半額で売っても莫大な利益があがります。

いわゆる流通革命が、ベニスをこの分野の交易からの敗退を余儀なくしたのです。

まとめ

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ベニスは今も美しい姿を残していますが、立派に今もベニスの商人が健在なのでしょう。しかし、この美しい街もあと100年もすると水没すると言われています。まだ、ベニスをご覧になっていない方は、お早めに見ておくことをおすすめします。

それとベニスのツアーは、大半がベニス本島ではなくて、ベニスの大陸側に宿を取っているツアーが多いです。本島に宿泊しないとベニスに来た意味は半減しますので、出発前にホテルの場所はチェックしてください。

Buon viaggio!!

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ドルチェビータ

2003年より2011年までイタリア、2014年から2017年まで英国にいました。

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