たびこふれ

モスクワでプロコフィエフゆかりの地を散策しよう

記事投稿日:2020/09/06最終更新日:2020/09/06

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<トレチャコフ美術館新館にある画家コンチャロフスキーによるプロコフィエフの肖像画>

今回は、ロシア革命後、アメリカへ亡命する途中に日本へ立ち寄った作曲家のプロコフィエフについて紹介します。また、プロコフィエフが住んでいた家の近くには、他の作曲家や音楽家ゆかりの地がありますので、それも合わせて紹介します。

目次

プロコフィエフはどんな人?

プロコフィエフとは、1891年にウクライナのソンツォフカ村に生まれ、ペテルブルク音楽院で学んだ作曲家です。

プロコフィエフという名を知らなくても、日本のCMの音楽で使われたこともあるので、曲を聞いたら分かる人もいると思います。バレエ「ロミオとジュリエット」、オペラ「戦争と平和」、オペラ「石の花」、オペラ「修道院での結婚」、「ピーターと狼」などを作りました。ピアノ・ソナタ、ヴァイオリン・ソナタ、チェロ・ソナタや交響曲、協奏曲も作っています。また、映画音楽なども手がけエイゼンシュテイン監督の「イワン雷帝」などの作品もあります。

ロシア革命後の1918年にシベリア鉄道でロシア東部へ移動し、その後、船で日本へ渡ります。日本で演奏会などを行い、数か月滞在したのち、船でアメリカへと渡りました。

プロコフィエフが有名人に会うと、必ずしていたことがある!

プロコフィエフは、表紙が木でできた本を持ち歩いていて、有名人に会うと「太陽についてどう思いますか?」と質問し、ノートにメッセージを書いてもらっていたようです。現在、その本のファクシミリがロシアで売られています。そして、その本の中には、ニューヨークで山田耕筰とプロコフィエフが会った時のサインが残っています。

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<プロコフィエフが持ち歩いていた木の表紙の本の複製>

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<山田耕筰のメッセージが載っているページ>

プロコフィエフの帰国後

プロコフィエフは、アメリカの生活の後、フランスのパリに引っ越します。それでも、祖国のことを忘れられず、1936年にソビエトに戻ってきます。1936年から1941年まで住んだ家もモスクワ市内に残っており、現在は、プレートがあります。同じ建物には、「森は生きている」の作者のマルシャークも住んでいました。

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<プロコフィエフの家のプレート>

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<マルシャークのプレート>

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<1936年~1941年までプロコフィエフが住んだ家、モスクワの大渋滞と共に>

プロコフィエフが住んだ家のプレート

  • 住所:Zemlyanoy Val St, 14, Moscow, 105064
  • 最寄り駅:クールスク駅(青色の地下鉄、茶色の地下鉄、МЦДD2)、チュカロフスカヤ駅(黄緑色の地下鉄)

この家の近くには、プロコフィエフの名の音楽学校があり、銅像もあります。

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<音楽学校の敷地にある銅像>

プロコフィエフの名の音楽学校

  • 住所:Tokmakov Pereulok, 8, Moscow, 105066
  • 電話番号:+74992610383
  • ホームページ:http://msprokofiev.ru/
  • 最寄り駅:クールスク駅(青色の地下鉄、茶色の地下鉄、МЦДD2)、チュカロフスカヤ駅(黄緑色の地下鉄)

1947年から亡くなる1953年までプロコフィエフが住んだ家は、現在博物館になっています。

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<博物館の入り口>

博物館前の銅像は、生誕125周年の記念で作られました。

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<博物館前の銅像>

入り口を入ってすぐの階段を登っていくと、プロコフィエフが晩年に暮らした家が博物館になっています。当時のまま残っているのは、仕事部屋の一部だけです。

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<プロコフィエフの仕事部屋>

この仕事部屋には、チェリストのロストロポーヴィチもよく来ていたようで、写真なども展示されています。博物館内は、リニューアルしてからデジタル化が進み、タッチパネルを見て、実際に音楽を聴いたりして博物館を見学することができます。また、展示品には英語訳もついています。

プロコフィエフの晩年の家博物館

  • 住所:Kamergerskiy Pereulok, 6, Moscow, 125009
  • 電話番号:+74956920567
  • ホームページ:https://music-museum.ru/museums/prokofiev
  • 最寄り駅:アホートヌイ・リャト駅(赤色の地下鉄)、ティアトラリナヤ駅(緑色の地下)、プローシャチ・レヴォルーツィー駅(青色の地下鉄)

せっかくなので、近くに住んでいた作曲家や音楽家ゆかりの地も紹介!

プロコフィエフが晩年に住んだ家は、モスクワの中心部にあります。そして、他の音楽家の家などもプロコフィエフの家から歩いて行ける範囲にありました。まずは、トヴェルスカヤ通りを渡り、モスクワ市庁舎の横にある「作曲家同盟の家」です。

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<作曲家同盟の家>

ここには、ショスタコーヴィチやハチャトリアンなどの作曲家やチェリストのロストロポーヴィチ夫妻などの演奏家が住んでいました。現在は、建物の壁面にプレートがあるだけで、博物館などにはなっていません。ここには、コンサートホールがあります。

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<ショスタコーヴィチのプレート>

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<ハチャトリアンのプレート>

作曲家同盟の家

  • 住所:Bryusov Pereulok, 8/10с2, Moscow, 125009 
  • 電話番号:+74956291365
  • ホームページ:http://www.house-composers.ru/
  • 最寄り駅:アホートヌイ・リャト駅(赤色の地下鉄)

作曲家同盟の家の前の公園には、ハチャトリアンの銅像があります。

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<ハチャトリアンの銅像>

ハチャトリアンの銅像

  • 最寄り駅:アホートヌイ・リャト駅(赤色の地下鉄)

そこから少し歩いていくと、プロコフィエフと交流のあったチェリストのロストロポーヴィチの銅像もあります。実際に行かれた場合は、正面からでなく、左右からも銅像を見てください。正面から見て左側には「ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第1番」、右側にはプロコフィエフの「チェロと管弦楽のための交響的協奏曲」の楽譜が刻まれています。

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<ロストロポーヴィチの銅像>

ロストロポーヴィチの銅像

  • 最寄り駅:アホートヌイ・リャト駅(赤色の地下鉄)

さらに、歩いていくと、指揮者のスヴェトラーノフさんが住んでいた家の壁にプレートがあります。

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スヴェトラーノフのプレート>

スヴェトラーノフの家のプレート

  • 住所:Leont'yevskiy Pereulok,14,Moscow, 125009
  • 最寄り駅:アホートヌイ・リャト駅(赤色の地下鉄)

最後にお墓

プロコフィエフは、1953年3月5日に亡くなりました。全く同じ日に、スターリンも亡くなっています。みんながスターリンのお葬式へ行き、プロコフィエフのお葬式の参列者は少なく寂しいものだったようです。プロコフィエフは、ノヴォデヴィチ墓地に眠っています。

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<プロコフィエフのお墓>

ノヴォデヴィチ墓地には、ショスタコーヴィチのお墓もあります。

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<ショスタコーヴィチのお墓>

また、ロストロポーヴィチのお墓もあり、そこにはオペラ歌手の奥さんと共に眠っています。

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<ロストロポーヴィチのお墓>

さらに、プロコフィエフと交流のあったピアニストのリヒテルも眠っています。

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<リヒテルのお墓>

ノヴォデヴィチ墓地は、最近は、入場料を取るようになりましたので、ご注意ください。今回紹介した以外にも著名人がたくさん眠っています。

ノヴォデヴィチ墓地

  • 住所:Luzhnetskiy Proyezd, 2, Moscow, 119048 
  • 電話番号:+74992466614 
  • ホームページ:http://novodevichye.com/
  • 最寄り駅:スポツチブナヤ駅(赤色の地下鉄)、ルジニキ駅(МЦК)
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