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ニューヨークでジョン・レノンゆかりの地を訪ねよう
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ニューヨークを愛したジョン・レノン
1960年代から1970年代にかけて活躍した、イギリス・リバプール出身のロックバンド・ビートルズ。世界で最も売れた男性グループとして、ギネスにも載っています。ヒット曲は数知れず、それからずっと後に生まれた若者でも、2、3曲くらいは知っているという人も多いはず。
ビートルズを立ち上げたリーダーで、ポール・マッカートニーと共に楽曲の制作、そしてギター、ボーカルを担当したジョン・レノンは、ソロになってからも「イマジン」や「ウーマン」など、数々の名曲を残しました。ジョンの妻は、芸術家で日本人のオノ・ヨーコ(小野洋子)。中々気の強い女性だったらしく、当時はビートルズが解散した原因を作ったという噂が囁かれていました。
今でもファンが多いジョン・レノン。そんなジョンが愛したニューヨークで、彼のゆかりの地を訪れましょう。
ダコタ・アパートメント
日本ではダコタハウスとしても知られるダコタ・アパートメントは、セントラルパークの西沿いを南北に走る、セントラルパークウエストの72丁目と73丁目をまたいで建つ瀟洒(しょうしゃ)なアパートで、往年の大女優、ローレン・バコールやジュディー・ガーランド、歌手のロバータ・フラックなど、数々の著名人が暮らしていたことで知られています。このアパートに入居するための審査はとても厳しい事で有名で、これまでにマドンナやビリー・ジョエル、アレックス・ロドリゲスなどが入居申請をして断られています。
途中、別居状態になったこともあったようですが、ジョンはヨーコと共に1973年からここで暮らしていました。ビル内にはいくつか部屋を所有していたようです。1975年には、2人の息子のショーン・レノンがここで生まれています。
ジョン・レノン射殺事件
1980年12月8日に、ダコタ・アパートメントの名を世界的に知らしめた衝撃的な事件が起こります。
夜10時50分頃、ヨーコの曲「Walking On Thin Ice」のミキシングを行っていたレコード・プラント・スタジオから帰宅したジョンは、ファンだというハワイのホノルルから来た警備員マーク・デイビッド・チャップマン(当時25歳)に背後から銃で撃たれ、搬送先の病院で死亡しました。チャップマンは、その日の朝からダコタ・アパートメントの前でジョンを待ち構えており、ジョンがスタジオに出かける際には、アルバム「ダブルファンタジー」にサインをもらっていました。
ジョンが撃たれたのは、ビル南側にあるこの入口前です。ジョンの殺害がニュースで知れ渡った後、ここに多くのファンが集まり合唱したそうです。ここには今でも、毎日のように、記念写真を撮る人々が世界中から訪れます。
チャップマンは現在も、ニューヨークのウェンデ刑務所に服役中だそうです。
ストロベリー・フィールズ
ストロベリー・フィールズは、セントラルパーク内の一画で、ジョンを追悼する為の記念碑があるところです。場所は、ダコタ・アパートメントの真向かいにある、72丁目の入口を入ってほんの少し歩いたところ。
72丁目の入口を入ったら、左側の歩道を歩きます。
ここを入って行きます。
この日は時間も遅く人が少なかったのですが、普段は人だかりができているのですぐにわかります
ストロベリー・フィールズの名称は、ビートルズの曲「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」にちなんだものです。
記念碑の真ん中には、ジョンのヒット曲「イマジン」の文字が記されていて、ここで記念写真を撮ろうと毎日たくさんの人々が訪れます。混雑時には、並んで順番を待たないといけないほど。次から次へと人がやってくるので、人が入っていない記念碑だけの写真を撮るのは至難の業です。
イマジンの文字の上に、誰かのサングラスが置かれています。時には花が飾られていたりすることもあります。
この日は、ベンチに座った黒人の男性がビートルズの曲をギターで弾いていましたが、日によっては別の人が演奏していたり、録音されたビートルズの曲がかかっていたりする時もあります。
ダコタ・アパートメントとストロベリー・フィールズへの行き方
ダコタ・アパートメントとストロベリーフィールズに行くには、地下鉄のB又はC線に乗って72丁目で降りるとすぐです。1,2,3線の72丁目からでも、徒歩約7分で行けます。
The Dacota
- 住所:1 W 72 St., New York, NY
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ナツコ・H
- 世界で活躍するジャズ奏者の夫のマネージメント、CD収録曲の作曲を手がける。NYの日系新聞でニュース記事執筆中。法律翻訳家。93年よりNY在住。