たびこふれ

イランで人の温かさに触れる

記事投稿日:2020/02/04最終更新日:2020/02/13

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こんにちは!元世界史教師のまえてぃーです。

今回ご紹介したい場所はイランにあります。

2020年1月、アメリカ軍がイランのソレイマニ司令官を殺害。報復として、イランがイラクに駐留するアメリカ軍にミサイルを発射するなど、アメリカとイランの間が緊張状態となりました。

なぜアメリカはイランと仲が悪いのでしょうか?

「イランは怖い国」と思っている人が多いのではないでしょうか。

まえてぃーも昔、イランという国は、「危険な人がいっぱいいて、危険な考えを持っている国」と思っていました。だから入国するかどうかもとても迷いました。でも、イランにはどうしても行きたい場所がたくさんあったので、その好奇心を抑えることができず入国しました。

そんなどうしても行きたかった場所の1つを、今回ご紹介したいと思います。きっとイランに対するイメージがちょっとだけ、変わるかもしれませんよ。

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目次

映画『アルゴ』の舞台となったアメリカ大使館

突然ですがみなさん、『アルゴ』という映画をご存知ですか??

1979年に起こったイラン革命。イランの政治に必要以上に介入するアメリカに国民の不満が溜まっていました。そして、イランの首都テヘランで過激派の人々がアメリカ大使館を襲撃・占拠し、50名以上の職員が人質となる事件が起こりました。そんな中、6名のアメリカ人が脱出し、カナダ大使の自宅に隠れた。見つかれば殺されてしまう危険がある6名。主人公のCIA職員のトニー(ベン・アフレック)は、6人を国外へ脱出させるため「アルゴ」という架空の映画を企画し、6人分の偽造パスポートを作成し、その6人を撮影スタッフとして国外へ脱出させるという作戦を計画し実行にうつす...。という映画です。

なんとこれ、、、実話だそうです!!そんな事件があったもんですからその時からイランとアメリカは国交を断絶。アメリカ系の会社はマクドナルドやスターバックスをはじめ何もありません。

初めてこの映画を見た時、「そんなまさか!」と思うようなシーンがたくさんありました。

たった一人で救出することも、映画会社ごと作ってしまうことも、映画製作を世界に向けて記者会見まですること、国籍を偽ること。。。最後までドキドキしっぱなしだったことを覚えています。そりゃアカデミー賞も受賞します!!

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そしてその舞台となった「イラン アメリカ大使館」。現在でも残っています。現在、博物館として一般開放され、私たちは中に入ることができるのです!!

そんなイランのアメリカ大使館に早速入ってみましょう!!

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中に入るとガイドが1人、無料で案内してくれます(英語)。

「お前、もの好きだな。こんなところに一人で来るなんて」

笑いながらそんなことを言われました。来たかった場所に来られてワクワクしている私にとっては誉め言葉です。

最初に登った階段にはとってもカッコいい絵が描かれていました。これらは後になって学生たちが描き足したようです。

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さすが元大使館だけあって広いです。

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当時使われていた建物の中を歩く。当時使われていた物品に触れる。

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当時行われていた場面の再現を見る。

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緊迫した様子が胸に飛び込んできます。

イラン革命とは

ではイラン革命の説明を少ししたいと思います。

1979年、それまでの政権を保っていたのはパフレヴィー王朝。

この王朝は、アメリカと結託し資源などの開発を進めていましたが、その利益を王朝上部が独占していたため、生活や政治は欧米化するものの、変化に対応していく国民たちの生活は一向に上昇せず、国民の不満は溜まっていきました。

イランの国民はもともとイスラム教です。なので、アメリカ式の生活に対応していくということは、少なからずストレスがありましたが、それでも生活が豊かになるなら、と国の方針を受け入れていました。

日に日に募っていく王朝とアメリカへの不満。そんな中、欧米化するのではなく、もともとイランの国教でもあったイスラム教主体の生活に立ち返ろうとする市民たちが蜂起。武器を持ちアメリカを追い出すため、また、イランを取り戻すために立ち上がり、アメリカ大使館を占拠し職員を人質としてアメリカと交渉をするようになりました。

解放されるまでの期間、なんと444日。アメリカとイランの水面下での交渉、軍事解決の計画、第三国の干渉、王朝トップだった皇帝の死亡、さまざまなことが繰り広げられ、イラン国民は王朝を倒し、前王朝から国外追放を受けていたホメイニを最高指導者として「イラン・イスラム共和国(イランの正式名称)」を成立させました。

それ以降イランでは、アメリカ式を排除し、厳格なイスラム式の生活がされるようになりました。アルコールの禁止や女性が観光客でもヒジャブを頭に被ったりね。

ガイドのお兄さんに「あの時の革命は成功だった?」と聞くと、「たしかに成功だった。あの時はね。でも今では...どうなんだろうね」。

アメリカによるイランへの経済制裁は現在も続き、外交問題の抱える難しさを少し語って大使館を後にしました。

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その他にも魅力的なスポットばかり!

友好的なことよりもどこか怖いという印象を持つ人が多いイラン。たしかに絶対的安心・安全ということはないのかもしれませんが、それはどこの国も日本でも同じこと。

少なくともまえてぃーが滞在した約1か月の間は、特に危険を感じるようなことはありませんでした。タクシーの値段をふっかけたり軽いセクハラしてくる人はいましたが笑。

また、イランにはここ以外にも歴史的にもとっても魅力的な場所がたくさんあります。

教科書では必ず出てくるベルセポリス。「世界遺産」にも登録されており、あの「アケメネス朝ペルシア」の遺跡です。紀元前6世紀の遺物なんです。

"世界の半分がここにある"と言わしめたイスファハンでは、今では誰もがピクニックにやってきます。

"世界で一番美しいモスク"、それは決して過言ではなかった「マスジェデ・マスィーロル・モスク」

イランにもキリスト教時代があった象徴「アルメニア人修道院群」(写真は生神女マリア聖堂)

可愛い雑貨にオシャレなカフェ

どうですか?わくわくしませんか??

人が豊かな国、イラン

旅人が「行く前と後で最も印象が変わった国は?」と聞かれた時によく耳にするのがここ「イラン」です。「行ってよかった国は?」と聞かれて答えが多いのも、ここ「イラン」です。

そして、私もその中の一人です。魅力的な場所が多いのも確かですが、何より「人」が豊かなんです。

空港に着いた時、「どこから来たんだ?今度うちに遊びにおいで」と声をかけられまくった瞬間、これまでの不安はなくなりました。

バスや電車で困っていたら絶対に誰かが助けてくれます。

「私、ママから外国の人がいたら積極的に声をかけて学びなさい」って言われてるのと声をかけてくれた女の子たち。

SIMカードの期限が切れた時に自分の口座からチャージしてくれた男の子。

日曜日はとにかく公園で"ピクニック"をする国民性。

お家においでよ!と招待されて一緒にご飯を食べたことも少なくありません。

それはまるで国家対策で観光客には優しくしなさい!っていうお達しがでてるよう笑。

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「俺らの国、君たちの国からしたら怖いって思われてるのはどうしてなの?」
「テロテロ言うけどイランでテロなんて起こったことないのに。」

この「地球」で、日本はアメリカチームに属していて、アメリカはイランのことをよく思っていないからだろうなと心の中でつぶやきました。

でも私は知りました。政治と個人は違っていて、個人同士のつながりは、とても温かいということを。

そして、イランの友人達が私のiPhoneよりも新しいiPhoneを持っていることも。。。

編集部註:イランは外務省の「海外安全情報」にて一部危険とみなされている地域があります。渡航をお考えの方は必ずご確認されることをお勧めします。

外務省海外安全情報サイトはこちら

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