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ヒップホップ生誕の地、ブロンクスへ
「お兄ちゃん、もうすぐ新学期だから学校に来ていく新しい服が欲しいな」
「よし分かった!俺に任せとけ!」
1973年の夏。実際にこんな会話が交わされたかどうかは分かりませんが、ニューヨークのブロンクスに住んでいたクライヴ・キャンベルは、妹の洋服を買うお金を稼ぐためにパーティーを開催することにしました。そのときはまさかそのパーティーがその後のアメリカの、いや世界の常識をひっくり返すカルチャーの始まりになるとは思っていなかったでしょう。
今回は、ヒップホップに大きな影響を与えたDJクール・ハークや、ヒップホップ文化・歴史についてご紹介いたします。
<目次>
クール・ハークが有名なDJになるまで
その数年前にジャマイカからニューヨークに移民としてやってきたクライヴ・キャンベルは、DJクール・ハークという名前でDJをしていました。
1973年8月11日、妹に頼まれたパーティーを、当時住んでいたブロンクスのセジュウィック通り1520番地にあるマンションの多目的スペースで開催します。最初はお客さんはあまり入っていなかったのですが、時間が経つにつれお客さんが殺到。夜が更けた頃には溢れんばかりの若者が踊り狂っていたそうです。
彼の開催したパーティーが画期的だったのは、彼のDJスタイルにありました。それまで(ディスコの)DJといえば、曲を順番にかけていくだけだったのですが、クール・ハークは同じレコードを2枚使い、曲の間奏などのドラムだけになる部分(ブレイク)を延々とかけつづけました。彼はDJをしながら、お客さんがブレイクで盛り上がることに気付いたのです。
クール・ハークはこのDJスタイルを、同じフレーズがくるくる回ることから「メリーゴーラウンド」と呼んでいました。今ではDJスタイルから音楽的技法へと進化し、ブレイクビーツという名で、多くのポップ・ミュージックで使われています。
このパーティーをきっかけに、クール・ハークは毎月パーティーを開催します。噂を聞きつけたお客さんがどんどん増え、その規模はマンションの一角から公園でのブロック・パーティー、そしてクラブへとどんどん大きくなりました。クール・ハークの評判はブロンクス中にかけめぐり、翌年にはブロンクスで最も有名なDJになっていました。
ヒップホップ生誕の地!ヒップホップ大通り
クール・ハークが妹のために開催したパーティーは、今ではヒップホップが誕生したパーティーと言われており、ここセジュウィック通り1520番地は、ヒップホップ生誕の地となりました。
2017年6月、ニューヨーク市はクール・ハークの功績を讃え、このマンションの前を通るセジュウィック通りを「Hip Hop Blvd(ヒップホップ大通り)」と名付けました。命名式には多くのベテランラッパーやDJたちがお祝いに駆けつけました。もちろん彼らの多くは、当時クール・ハークのパーティーに通っていたメンバーです。
当時のニューヨーク、特にブロンクスの経済状況や治安、文化などを鑑みると、ヒップホップカルチャーはこのパーティーで突然誕生したわけではなく、各地で行われていたパーティーやギャング・カルチャーなど様々な要因が絡み合って徐々に形作られていったと思われます。しかし、このパーティーが無ければ、クール・ハークが名を馳せていなければ、今のヒップホップカルチャーは違うものになっていたでしょう。
アメリカはもちろん、現在の世界中のポップ・ミュージックのほとんどはヒップホップがベースにある、またはヒップホップに影響を受けています。このマンションで開催されたクール・ハークのパーティーがなければ、現在のポップチャートを占める曲のほとんどは形を変えていたでしょう。ドレイクもビヨンセもジャスティン・ビーバーはもちろん、日本のEXILEやサチモスだって全く違う音楽性になっていたかもしれません。
そんなことを考えながら、セジュウィック通り1520番地を訪れると、感慨深いものがあります。
ヒップホップの聖地を巡るツアー
ちなみに、ここを訪れる場合は、駅からの距離や治安のことを考えると、ヒップホップの聖地を巡るバスツアー「Hush Hip Hop Tours」に参加することをおすすめします。レジェンドラッパーがバスガイドになって、ハーレムとブロンクスを案内してくれるので、おすすめです。
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MZ
- 音楽と散歩が好きな30代。好きな言葉は「理想は高めで ハードル低め」。