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青森の人が語る「ホンモノの青森」講座
こんにちは! たびこふれ編集部のシンジーノです。
「青森県」名前は知っているし、日本地図で青森がどこにあるかほとんどの人が指さすことができるのではないでしょうか。しかし「青森ってどんなとこ?」って聞かれると・・・?
<目次>
- 青森のイメージは?
- 阪急たびコト塾で「青森講座」開催
- 資料は白地図だけ?
- まずは一般情報から
- さていよいよ今日の本題に・・・
- 津軽と南部っていったい何が違うのか
- 話は佳境に突入。紙にできないここでだけの話
青森のイメージは?
本州のさいはて、ねぶた、人は寡黙で人見知りだが我慢強い、しょっぱい食べ物が好き、日本で一番わかりにくい(外国語のような)方言を使う。。。私もテレビ等で聞きかじった、なんとなくのイメージは持っていますが、じゃあ青森のなにを、どこまで知ってるか?というと自信がありません。
阪急たびコト塾で「青森講座」開催
先日阪急たびコト塾で「青森」の講座が開かれました。
題して青森の"とっておき"発見シリーズ。第1回は「まずは青森を知ろう」がテーマでした。講師は青森市東京ビジネスセンター所長 坂本康人さんです。
一見、ちょっと怖そうな風貌で若い頃はさぞかしヤンチャだったかな?(失礼!)という印象でしたが、青森市役所の職員さんで優しく熱い人でした。
資料は白地図だけ?
当日配られた資料は、白地図と一般的な観光案内のみでした。
レジュメも何もありません。
坂本さんの第一声。
「今日はお渡しする資料がほとんどないのですが、私がお話したいと思っていることは、文字になってひとり歩きしてしまうと誤解を生じる可能性があるので。。。ハハハすみません。その分一般の観光ガイドブックに出ていないようなここだけのお話もしますのでご容赦くださいネ」おお~っ、地元の人ならではの本音のお話、期待できそうだぞ~。
まずは一般情報から
まずは、青森の一般情報が語られました。
例えば・・・
- 青森はニューヨーク、北京、ローマ、マドリッドと緯度がほぼ同じ。
意外に知られていないが青森ではイタリア野菜をたくさん作っている。(気候が似ているため育てやすい)イタリア野菜は関東近県でも作っているが、夏は暑くなるので作られる期間は限られているが青森は関東に比べ涼しいので長い期間作ることができるのだそうです。
- 青森は「遠い!」とよく言われるが。。。
実は東京~八戸間は東京~新大阪と同じくらいの時間(新幹線)で着くので意外に遠くないのです。
- お正月よりも年越しの料理を重視する。
お正月よりも大晦日にごちそうを食べ、年明けはその残り物を食べる。
- 青森の結婚式はご祝儀ではなく会費制
- お葬式の流れが違う
一般的には通夜→告別式→納棺→火葬ですが、青森は納棺→火葬→通夜→告別式の順番となるそうです。また親族以外の人が葬儀に参加するのは南部は葬式・告別式からだそうです。(津軽はお通夜から)
さていよいよ今日の本題に。。。
坂本さんの話は続きます。「皆さん、青森は大きく津軽と南部に分かれています。ざっくりいうと地図上の青森県の左半分を津軽、右半分を南部と呼びます。(実際には更にエリアは細分化されます)
青森や弘前、五所川原、竜飛崎などは津軽、八戸、十和田などは南部です。
津軽と南部っていったい何が違うのか
気候が違う
八甲田山を境に気候が変わります。日本海側(津軽)は雪が多く、三陸側(南部)は晴天多く乾燥している。また濃霧も多い。ということは旅行する時はエリアによって準備すべきものが違ってくるということなんですね。
食文化が違う
- 主食
津軽は米文化、南部は"粉もの"やそば、雑穀文化
- 鍋もの
津軽は「けの汁」、南部はせんべい汁
- 沿岸料理
津軽は貝焼き、南部はいちご煮(うにとあわびの吸い物)
ことばの違い
- 津軽弁:発音簡潔、男性的で強い印象、「です」「ます」をあまり使わない
- 南部弁:間伸びした感じ、女性的で柔らかい印象
例えば「今日はだめだ」は、津軽弁では「きょうだばまいね」南部弁では「きょうでえばわがんね」と言うそうです。ちなみに坂本さんは津軽の方なので南部弁は話せない(きちんと発音できない)そうです。
話は佳境に突入 紙に出来ない ここでだけの話
さて坂本さんの話にも熱が入ってきます。「よく津軽と南部は仲が悪いなんていいますが、実際・・・悪かったんですよ」
このページでも、真相に迫る詳しいお話を文字に出来ないのが残念ですが。。。
ことの起こりは戦国時代まで遡り、野辺地戦争など、両地方で繰り広げられてきた争いが語られます。江戸時代の藩とは今の感覚でいうと別の国ですね。津軽と南部は藩境塚(はんきょうづか)で明確に線引きされ、行き来には手形が必要でした。だから文化や言葉も違っていたんですね。現在も平内町と野辺地町の間などに藩境塚が現存しています。
今でも南部の人が津軽の人を言い表す時、こんな言い方がされるそうです。「津軽はすぐ○○るから」でも、津軽の人はこう言います。「津軽は情報を集め、時代を読んで行動したのだ・・・」
う~ん、1時間半の講座では津軽と南部のお話をとても語りつくすことはできないでしょう。今日私が聞いた話はほとんど初めて聞いたことばかりで私がいかに青森のことを知らなかったのか痛感しました。
シリーズ第2回は7/9(月)15:00~16:30 KHD東京ビル2階にて開催です。第2回ではさらにテーマを「文化」にしぼって縄文遺跡、宗像志功、青森ねぶた等のお話が聞けるそうです(参加無料)。さらに第3回(秋頃):青森の「食」と青森市街歩きのススメ(仮)、第4回(冬頃):青森の温泉(仮)、第5回(年明け頃):青森の「春」桜は弘前だけじゃない!(仮)と続きます。
全部聞くと青森"通"になれそうですね。青森の人が語る青森の生のお話、おススメですよ。
おまけ
坂本所長のおススメの旅ルートは、青森から竜飛崎までのJR「海峡線」を使ったルートで太宰治の小説「津軽」の跡を辿る旅です。
<坂本所長推薦の海峡線ルート>
- 旧制中学時代を過ごした「青森市」を出発し、海峡線を使い北上
- 蟹田(現:外ヶ浜町)に立ち寄り、同級生のN君に再会・宿泊(N君家...中貞商店)
- 陸奥湾と津軽海峡を一望できる観瀾山(かんらんやま)へ(小説では、ここでN君と花見の宴を開催)
- 今別町を抜け、三厩(現:外ヶ浜町)へ
- この地には義経伝説があり、その舞台でもある「義経寺」へ(徒歩)
- その後、竜飛岬へ(小説では徒歩で向かいます)
- ここには、当時、宿泊した奥谷旅館が、現在は竜飛岬観光案内所として現存
- ちなみに竜飛岬には太宰治の文学碑があります
- その後、金木町(現:五所川原市)の生家へ
- そこから五能線で、木造町(現:つがる市)にある父の生家へ
- その後、五能線で深浦町へ(ここでは、景勝地である千畳敷海岸へ)
- その帰りに、鯵ヶ沢町へ立ち寄り(ここからの日本海の眺望が叙情的に語られている)
- さらに北上し、育ての母である越野タケと再会するために小泊村(現:中泊町)へという流れです。
坂本所長曰く「「津軽」の足跡を辿る旅と位置づけられると個人的には考えており、もちろんレンタカーで周遊するのが手っ取り早いですが、敢えて海峡線を使ったり、眺望美しい五能線を使うことで歩きながら・車窓を眺めながら、小説「津軽」片手に巡るというのもオツだと個人的に思います。深浦には海岸の眺望で有名な黄金崎不老不死温泉がありますので、そこで一泊するというのもいいですね。ちなみに、このルートは僕が実際に旅しました。アレンジの仕方は沢山ありますが、いずれにせよ、青森を旅する時は何かテーマを設けること、津軽・南部をいっぺんに制覇するのではなく、津軽は津軽、南部は南部で旅したほうが、その叙情がより染み渡るものと考えています。」
さすが!地元の人ならではの、青森を知り尽くした方の推薦ルートです。
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シンジーノ
- 3人娘の父で、最近は山歩きにハマっているシンジーノです。私は「お客さまが”笑顔”で買いに来られる商品」を扱う仕事がしたいと思い、旅行会社に入って二十数年。今はその経験を元にできるだけ多くの人に旅の魅力を伝えたいと“たびこふれ”の編集局にいます。旅はカタチには残りませんが、生涯忘れられない宝物を心の中に残してくれます。このブログを通じて、人生を豊かに彩るパワーを秘めた旅の素晴らしさをお伝えしていきたいと思います。