公開日:
最終更新日:
授業じゃ教えてくれなかった...今では考えられない江戸時代のオモシロ話!歴史音痴な私も楽しめました♪
「勉強」というと、どうしても学生時代の受験勉強が思い出され、「もう二度とあんなに大変な思いをしたくない」とか「結局あの勉強は社会で何の役に立ったのか」なんて思ってしまう方も多いかと思います。でもそんな中、社会人になって改めて学生時代の勉強をし直したり(しかも意欲的に)、ご高齢になっても尚「学びたい」という意欲を持って積極的に知識を深めていらっしゃる方も増えてきている印象です。
そんな世の中の流れに便乗しまして、私も勉強してきました。テーマは「江戸時代」。実は私、歴史に非常に疎い人間でして、時代劇や歴史ドラマを見ることもなく、歴史小説を読むこともなく、学生時代も「鳴くよウグイス平安京」と暗記暗記で乗り切ってきました笑。そんな私も段々大人になるにつれ(30歳も過ぎまして。。。)、少しは日本の歴史を知っておかなければと思い、今回勉強の場に参加して参りました。阪急交通社主催の「阪急たびコト塾」での一コマであります「江戸のおもしろ話」。講師は大江戸歴史散策研究会の瓜生和徳(うりゅうかずのり)さんです。
10個のおもしろ話から特に印象的だった5つをご紹介!
1. 徳川家康は入れ歯をしていた!
「徳川家康が入れ歯だった」ことが驚きというよりも、「この時代に入れ歯があった」ことが驚きです。しかも、ヨーロッパで入れ歯のようなものが考案されたのが19世紀初めの頃のようですので、日本はヨーロッパよりも200年も前に入れ歯が存在していたんですね!これは日本人の手先が器用だからこそ、こうして先駆けて出来たようで、当時から日本人の器用さは世界に誇れるものだったんですね!総入れ歯も部分入れ歯もあったようで、仏具師(仏像を彫る人)がツゲの木を彫って作っていたようです。しかも、木のロウで型をとっていたようで、つまりはオーダーメイドだったんです!さすが、モノ作りに丁寧な日本人って感じがしますね♪
2. 江戸時代の銭湯は混浴が当たり前!
「浴場」が出来たのは6世紀半ばで、僧侶が身を清めるために寺院に浴堂を作ったことが始まりのようです。その後、鎌倉時代に入浴料を取るようになり、「銭湯」が始まりました。最近ではスーパー銭湯などもあちこちに出来ていて、ただお風呂に入るだけではなく、サウナに岩盤浴に食事にと、1日中滞在出来る施設ですよね。昭和の終わり生まれの私には、銭湯と言えばスーパー銭湯で、いわゆる「町の銭湯」みたいなところはほとんど行ったことがないんですよね。。。なので、銭湯好きの方には怒られるかもしれないですが、「お風呂に入るためだけ」であれば自宅で良いのではと思ったりもするのですが、もし江戸時代に私と同じような考えの人がいたとしても、銭湯に行かざるを得なかったようです!というのも、当時は火事を起こしてしまうと大変な重罪になったようで、その危険性を考えると、たとえ裕福な商人であっても自宅にお風呂は作らなかったようです。
さて前置きがかなり長くなりましたが、そんな裕福な人でもよく利用していた銭湯が、当たり前のように混浴だったようです。当時はあまり恥ずかしさとかなかったのだろうかと思いきや、ちゃんと混浴である理由がありました。江戸時代の銭湯は、「窓もない」、「暗い」、「湯気でもうもうと立ち込めている」状態で、「お湯の清濁も分からないぐらい」もう全然見えなかったようです。そんな状態でよくお風呂に入れるな~と思ってしまいましたが、先程述べた通り自宅にお風呂がありませんので、こんな銭湯に入るしかなかったんですね。
そうは言っても男女で分けるぐらい出来ないのかと思いましたが、男湯と女湯と2つに分けて作ることが経営的に難しかったようで、かと言って男女で時間を分けるとその分お客さんも減ってしまうため、仕方なく老若男女気にせず一緒に入っていたんだそうです。今でも混浴の温泉って存在しているようですが、なかなか恥ずかしくて入れないですよね笑。
3. 島流しにあった罪人の島での暮らしは?
江戸時代の刑罰は非常に複雑で身分によっても違っていたようで、しかも犯罪をした際の刑罰が公表されていなかったようです!つまり、自分が罪を犯したらどんな罰を受けるか分からないため、それによって恐怖心を煽り、抑制効果があったとのことです。今の時代だったらSNSで一瞬で拡散してしまいますよね笑。
さてそんな中でも死罪(死刑の一つ)に次いで重い罪であった島流し(遠島)。江戸の場合は、伊豆七島へ送られたようです。流された先の島で一体どんな生活をしていたのかと言いますと、「島の人と一緒に生活していた」だそうです。。。えっ!?そもそも無人島ではないことにビックリですが、島民と一緒に生活だなんて、それは本当に罰なのだろうかと思ってしまいます。おっと、一応制約が3つあるようです。さぞ厳しい制約かと思いきや、、、
制約1. 島を抜け出さないこと(⇒当たり前!笑)
制約2. 他の村には行かないこと(⇒でも最初に決められた村の中は自由に動けるのか!)
制約3. 囚人同士で交際しないこと(⇒でも島民とは交際出来るのか!)
以上です。割と自由に生活出来る気がしますね笑。しかも、身内からの仕送りも受け取りOK。でもそうは言っても仕送りが続くとも限らないので、島民の農作業を手伝ったりして、島民と一緒に生活していたようです。ということで、ちゃんと人と人との交流があって、人間らしい生活が出来ていたようですので、死罪に次ぐ重罪ながらも、そんなに厳しい罰ではなかったのではないか、という印象ですね。
ただ中には島民と上手くやっていけなくて、餓死する人もいたんだとか。。。近年よく耳にする「コミュニケーション能力」の重要性が江戸時代から問われていたとは笑!能力高い人が上手く生き残っていったんだなーと感心しつつも、そもそも罪を犯しているわけなので素直に褒められなかったですね。。。笑
4. 江戸時代は糞尿が売買され、ランク分けもあった!
当時は化学肥料がないため、糞や尿が貴重な肥料だったようです。で、その糞尿、仕入れ先によってランクが分かれており、更にはブランドまであったとのこと。仕入れ先?ランク??ブランド???なんだか牛とか豚みたいですね笑。しかも、「葛西権四郎」という人物が「江戸城の汲み取りを一手に独占していた」とのことで、「江戸城の糞尿は俺が仕切ってるぜ」ということだったようですが、そのことを胸を張って言えたのか、どんな気持ちで仕事をしていたのか、彼に憧れる人はいたのか、、、ちょっと聞いてみたくなりますね笑。ちなみにランクは下記の通りです。
極上:きんばん・・・幕府や大名屋敷の勤番者の屋敷内の便所のもの
上等:辻肥・・・街角にある辻便所=公衆便所のもの
中等:町肥・・・町屋敷の町民の便所のもの
下等:たれこみ・・・糞が少なく尿が多いもの
最下等:お屋敷・・・牢獄の囚人の便所のもの
5. 江戸の町では家にいながら色んなモノが売買出来た!
家にいながらモノの売り買いが出来る。まさに今の世の中ですね。インターネット通販はもはや生活の一部で、ボタン一つで何でも買えてしまう時代です。では江戸時代はどうかと言うと、「棒手振り」という行商人が生活に必要なあらゆるものを毎日売り歩いていたんだそうです。これは根気がいりそうですし、効率的に売るためによく売れるものを見極めて仕入れる力が問われそうですね。それに、セールストークとかもあったんでしょうかね笑。
また、訪問買取の行商人もいたようです。今では消費者同士で直接売買するフリマアプリが大ブームで私もよく利用するのですが、当時は何が買い取られていたのかと言いますと、火を付けて流れたロウソクのロウですとか、女性の抜けた髪の毛とか、更には灰までも買い取られていたようです。ロウソクは高価であったため流れたロウを再利用、女性の髪の毛はカツラに、灰は肥料や脱色に使われていたそうで、今では全て処分されてしまうものばかりですね。モノを大切にする気持ちが感じられ、これは何かに使えないかと知恵を絞っていたであろう光景を想像してしまいます。
歴史音痴でも楽しめました♪
いかがでしたでしょうか?あっと驚く話ばかりで非常に興味深く聞くことが出来、大変勉強になりました!歴史音痴な私でも十分楽しめる内容で、こういう話を学生時代に授業で聞いていたら、少しは歴史に興味を持っていたかも(?)と思ってしまうお話でした。大人になった今だからこそ「学び」が新鮮に感じられ、スーッと内容が入ってきました。「勉強しなきゃ!」という気持ちではなく、好奇心から「ちょっと知りたいなー」ぐらいのスタンスでいられれば、楽しんで学ぶことが出来ると思いますよ。皆さんも何か学んでみてはいかがですか?
阪急たびコト塾のご案内
私が今回参加した阪急交通社の「阪急たびコト塾」は全国各地で開催されています。内容も多岐に渡り、無料の講座も多いので、少しでも興味があれば是非参加することをオススメします!
Related postこの記事に関連する記事
Ranking東京記事ランキング
-
国内現地情報編集部
- 「たびこふれ」は、旅行好きな全ての方のための旅行メディアです。旅行のプロや現地に精通したライターが中心となり、「旅行に行きたい!」と思えるような、魅力的な旅行情報を発信しています!