歴史散歩・戦争慰災を歩く大阪巡り~京橋大空襲が起きた夏の日へ~

大阪

小さいころ、よく祖母に「あと1日戦争が続いていたら、あなたたちはこの世にいなかったのよ」と言われました。その頃は、あまり深く受け止めもせず「へぇ~、ラッキーだったんだね」と返していました。大人になってからJR京橋駅の慰霊碑の前を通りかかるたびに、隣町に住む祖母にはほんとうに間近まで空襲が迫っていたのだ、と実感するようになりました。

どうして終戦まで「あと1日」の8月14日に大阪で大きな空襲があったのか?

もう、この世にはいない祖母がどんな事を感じ生きていたのか、大阪の街を歩いて大阪大空襲に関する本のページをめくりながら、もう一度考えてみることにしました。

目次

ピースおおさかと図書館で学ぶ

検索画面

まずは、大阪大空襲について知りたい!と思い立った私は、インターネットで様々なホームページを閲覧しました。その結果、想像していたよりも掲載されている情報が少ないように感じました。

実際に空襲を体験された方々の高齢化などもあり新しい情報の更新が難しく、また、古い記録はどうしても紙媒体中心になってしまうことなどが原因のようです。最近は、なんでも簡単にインターネットで調べられることが当たり前になっていたので、まさに、戦争を語り継ぐことが難しくなっている現状にぶつかることになりました。

ピースおおさか

ひとまず、地元の図書館で大阪大空襲について書いているいくつかの資料や本を探しました。

そのうえで、ピースおおさか国際平和センターを訪問しました。こちらは、大阪城公園内にある戦争と平和に関する調査研究と展示を行っている施設です。大阪大空襲に関する資料も多く展示されています。館内は、入ってすぐに展示室があります。

Aゾーン『昭和20年、大阪は焼き尽くされた』では、壁一面が大阪の焼け野原の写真に囲まれ、当時使用していたボロボロに焼けこげ被弾した水筒が展示されており、一気にあの日の大阪へ心を飛ばされます。

1トンの大きさ

そして、Dゾーン『多くの犠牲を出し、焼け野原になった大阪』では、実際に被弾した煉瓦や京橋空襲でも使われた実物大の1トン爆弾の複製模型もあり、全体が薄暗い中に赤いゆらめきが重なり、空襲警報が響き渡ります。

施設に入場して初めて恐怖を感じました。悲しいやかわいそうでは無くて、純粋に「怖い!逃げたい!正直、生半可な気持ちで取材を始めるのでは無かった」と後悔しました。それでもこれは、プロジェクションマッピングであり効果音です。本当に戦火の中、逃げ惑う時、どんなに怖くて辛かったでしょう。大阪大空襲が始まってからは、夜も何度も空襲警報ががなるため、よく眠れぬまま逃げ、そしてよく食べられない身体で働かなければなりませんでした。

各ゾーンの間にある通路に当時を描いた絵画や文章があり、絶え間なく爆撃が続いたことを知って、見学をしているだけなのにどっと疲れてしまいました。

防空壕

フロアには模擬防空壕もあり、こんなに狭い中でたくさんの人たちが身体をかがめながら爆撃機が通り過ぎるのを待っていたかと思うと、閉所恐怖症の私にとっては想像するだけで苦しくなってしまいそうです。京橋大空襲では、特に駅の防空壕でどこの防空壕に逃げ込むかによって生死が分かれた場面がありました。駅舎が重なって倒れた場所では、多くの圧死者を出しました。その姿はまるで眠っているようにしか見えなかったと言います。

ちなみに、Eゾーン『たくましく生きる大阪』では、戦後、約3分の1の人口になったと言われる大阪府民が力強く戦後を生き抜いていく様子を、展示物から見て取ることが出来ます。戦後帰還した兵隊さんたちが大阪駅に到着すると、難波の高島屋まですとーんと見通せた(驚くほど、街が燃えた)と言いますから、戦後の復興がいかにゼロからの困難であったか、想像に難くありません。

Fゾーンでは、未来に対して、私たちが何ができるか?を考え話し合うことができるスペースになっています。怖い場所だけではありません。資料も豊富にあり、ぜひ、訪れて欲しい施設だと感じました。

※「展示物は肖像権や著作権などが複雑で難しい部分もある」とスタッフさんからアドバイスがあり、私の絵を掲載させていただきます。お見苦しいですが、想像力で補っていただければ、幸いです。

ピースおおさか国際平和センター

  • 開館時間:9:30~17:00(入館は16:30まで)
  • 休館日:月曜日・国民の休日の翌日(9月から11月までを除く)年末年始(12月28日から1月4日)館内整理日(所定月の月末)但し、国民の休日の翌日及び、館内整理日が土曜日または日曜日にあたるときは、翌火曜日になります。詳しくは、HPをご覧ください。

>>ピースおおさか国際平和センターの公式HPはこちら

京橋大空襲について

京橋駅

大阪への空襲は1944年12月から約50回あり、そのうち大空襲と呼ばれる100機以上での爆撃機の襲来による大阪大空襲が8回ありました。『京橋大空襲』(もしくは京橋駅大空襲)と呼ばれているのは、このうち最後の8回目の襲来のことです。

1945年8月14日、終戦前日にたくさんのB29が襲撃し、大阪陸軍造兵工廠を中心に爆撃を行いました。約700個の1トン爆弾を集中して投下したため、京橋駅周辺が大きな被害を受けました。つまり、隣町に住む祖母の目の前まで空襲の火の粉が襲い掛かった、ということです。

お昼過ぎ、ちょうど今の大阪環状線が上り・下りともに駅に到着したところでした。身元の判明している人、身元の判明していない人含めて600名から1,000名近い被害者が出たと言われていています。様々な資料を読んでみましたが、被害者の数が少ないものですと200名くらいから多いもので1,000名とはっきりしませんでした。

これは、あまりの被害の激しさに1人と確認できなかったご遺体が多かったこと、当時だれもが着けていた名札も焼けこげ名前を控えきれなかったこと、暑い盛りで急いでご遺体を焼かねばならなかったこと、駅での被害者が多く身元の判明が難しかったこと。そして、翌日終戦となり進駐軍に備え確認どころではなかった、というやり切れない理由などから、はっきりした人数は未だにわからないからそうです。

この時期若い男性は出征しており、犠牲となった駅の係員や電車に乗っていた人々、近くの大阪陸軍造兵廠から逃げてきた工員など、多くが若い女性や少年たちであったと言います。電車は、繰り返される空襲のため何度も駅で待機・停止しており、満員の状態で京橋駅に到着した際に、惨禍にあいました。何万人の人が、寝屋川沿いに野江方面へ向けて逃げ続けたと言います。

大阪城周辺の戦争遺跡

陸軍跡

8回実施された大空襲には、毎回、米軍の意思・戦術により狙われる中心である照準地が決められました。

京橋が終戦前の大空襲の照準になった理由はいくつかあると思われますが、何より隣接する大阪城付近に大阪陸軍造兵廠があった事が大きいと言われています。これまでにも大阪陸軍造兵廠を狙った爆撃は3回ありましたが、いずれも失敗に終わっており4回目の大空襲では、念入りな爆撃により蜂の巣とされました。

大阪陸軍造兵廠は、アジア最大規模の大砲を作る工場となっていました。敗戦前の広さは、土地596万平方メートル、建物70万平方メートルを有し、今の大阪ビジネスパークや森ノ宮団地の辺りまでその敷地は広がっていたと言われています。現存しているのは、京橋口付近に表門、化学分析場、青屋口付近に石造アーチ荷揚門などです。

現在でも、ご覧いただける施設を紹介したいと思います。

工場
<工場>

中でも化学分析場(化学試験場)は、ピースおおさかの『モデルコースA大阪城公園内の史跡と戦跡を訪ねる』のマップの案内によれば、大正8年に竣工したネオ・ルネッサンス方式の煉瓦の瀟洒な建物です。当時でもかなり凝ったデザインは、大阪の街の中でも目立っていたであったろうと推察されます。

今は草が生い茂り、門も錆が目立ち、まるでここだけ時代に取り残されたようです。草の深さが余計に建物の謎めいた魅力を深めているようにも思いますが、こちらは立ち入り禁止ですので、あくまでも門の外から、当時を忍ぶにとどめておきましょう。

荷上げ門
<荷揚げ門>

こちらは、大阪砲兵廠の荷揚げ門です。当初は、輸送を水運に頼っており、船が工場内に出入りできるようになっていました。こちらもルネサンス風の美しい水門になっています。対岸側から撮影しましたが、こんな場所があるのは今回初めて知りましたのでその規模の大きさに驚きました。

四師団
<旧陸軍第四師団司令部庁舎>

続いて、旧陸軍第四師団司令部庁舎です。長く大阪市立博物館として使用されていましたが、博物館閉館後、2017年の秋よりミライザ大阪城としてレストランやお土産物屋の入った総合施設になりました。今は、コロナ禍で以前に比べますと少し寂しいそうですが、多くの観光客が訪れています。また、お買い物やレストランの利用で、一部、室内を見ることが可能な場所があります。

この近くに大阪城の戦碑の説明版がありますが、私が訪れた日は太陽の反射で光り過ぎて説明文はよく読み取れませんでした。もう少し日が陰ってから訪問すれば良かったです。

>>ミライザ大阪城HPはこちら

本部門
<大阪陸軍兵器支廠本部門>

最後に、大阪陸軍兵器支廠本部門です。多くの軍施設が存在し、兵器の修理・保管などを行う大阪陸軍兵器支廠がありました。その敷地は、約5万坪と言われており、実際に倉庫等がありました。唯一、この門柱だけが残っており当時を忍ぶことができます。

石垣

大阪城にも1トン爆弾が投下されいくつかの櫓(やぐら)が消失し、石垣がも破損、そして天守閣の屋根も狙われました。東北隅の石垣がずれているのは、この時投下された爆弾の衝撃からです。入口からするとあまり人が訪れない裏側になりますが、説明版も立っています。

山里
<山里丸石垣の機銃掃射痕>

北側の石垣には、機銃掃射によってつけられたと思われる弾痕が多く残っています。この前には『山里丸石垣の機銃掃射痕』という看板が置かれていますが、目立つ場所では無く、目に留める人が多くないのは寂しい限りです。実際に自分の目で見てみて、立派な石垣についたその痕の大きさにどれだけの爆撃があったのか考えただけでも身が凍りました。

近くの森ノ宮神社の柏犬の台座にもその痕は残っています。やはり、大阪陸軍造兵廠への爆撃の巻き添えで建物はほとんど失われてしまいました。何度かお参りに行きましたが、台座の黒い補修跡が戦争の痕であった事は驚きました。

私が今回訪問した場所は、戦跡めぐりとして先述のピースおおさか国際平和センターでもマップを購入することも可能です。どの戦跡も目立たず、静かに佇んでいますので、見つけるのになかなか時間がかかりますが、大阪城の緑の中良い運動になりそうです。(私は、トータル1時間半ほど歩きました)

京橋駅の慰霊祭で祈る

慰霊祭

そして、取材の最後に毎年8月14日、JR京橋駅南口にある『大阪大空襲京橋駅爆撃被災者慰霊碑』で行われている『京橋駅空襲被災者慰霊祭』に私も初めて参加してきました。私が、この記事を書こうと思ったきっかけでもあったからです。

11:00開始と張り紙がありましたので、少し早めに到着し法要の前と最中に焼香をさせていただきました。雨が降り続く中、参列者は皆静かに祭壇に向け祈りをささげていました。コロナの感染拡大対策のため、座席は設置されておらず、高齢の参列者の方が杖をつきながらそれでも懸命に歩みを進める真摯な姿と、降り注ぐ雨を避けるためそっと傍に行って傘をさしかける周りの人の優しさに胸がじんとしました。

雨が降っているせいか、外の世界と隔絶されまるで映画の1シーンを見ているかのように感じました。

慰安祭

この場所はJR大阪環状線の高架がすぐ近くにあるため、読経の間も電車が通過するたびにガタガタと揺れ電車の車体が見えます。

私自身は、慰霊祭の開始から読経の間の40分ほど時折目をつむりながら、76年前、この場所でどんな思いでホームを逃げたのだろうか。どんな思いで、電車に乗っていたのだろうか。と想像しながら参列していました。目をつむると76年前に心が飛んでいきそうになり、目を開くといつもの京橋駅がありました。

あれから...76年。私が今思う事

未来

今回、ほんの少しですが本を読み、昔の地図をひらき、慰霊祭に参加し、当時の事を調べたうえでその時代に心を馳せながら、街を歩きました。私の疑問は、解決した部分もあれば、そうでない部分もあります。どうして終戦前日に大阪の街は完膚なきまでに焼き尽くされなければならなかったのか。

あの日、B29が爆撃に向かう大阪の天気は良かったから。日本政府を出来るだけ早く降伏をさせたかったアメリカ軍の意向があったから。爆撃が、過去3度も失敗してしまっていたからこそ、大阪陸軍造兵廠を壊滅させたかったから。

後世の私たちにその理由は様々と推察できますが、こんなに多くの人が明日戦争が終わると知らずに亡くなったことをとても悲しく思います。祖母が話してくれたことを反芻しながら、確かにそこに生きていたたくさんの人のことを心にとめ、誰かとこのことについて改めて話してみることから始めたいと思います。

参考図書

  • 『大阪大空襲 大阪が壊滅した日』著/小山 仁示
  • 『命の救援電車 大阪空襲の軌跡』著/坂 夏樹
  • 『大阪大空襲』編集/大阪大空襲の体験を語る会
  • 『軍人たちの大阪城:大阪城は帝国陸軍の根城だった』著/前田 啓一
  • 『戦跡めぐりマップ 大阪城周辺に残る戦争の傷あと』編集/ピースおおさか

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とうもと くみ

舞台観劇とスポーツ観戦(球技・格闘技)が趣味な、どこでも行っちゃう『インドア脳だけど、アクティブ派体験型トラベラー』です。旅しながら、少し昔の物語を書き続ける事が、夢。離島や、閉じられた館で事件が起こったり、時代劇の人情ものが大好物。

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