ウィーン旧市街、北側の教会探索~最古の教会巡り~

これまで2回にわたって、ウィーン旧市街の20以上もある教会をご紹介してきましたが、今回はそんなウィーンでも最も古い部分に当たる、北側の5つの教会をご紹介します。

<過去のウィーン旧市街教会探索記事>

このエリアは、古くはローマ人が都市を築き、その後中世の時代には、君主の宮廷が置かれていました。ドナウ川の支流(現在のドナウ運河)から近かったこともあり、水流の要ともなっていた地域です。街歩きをすると、閑静で落ち着いた印象を受けますし、ウィーン最古の3つの教会もこの地域に集まっていて、歴史の深さを感じさせます。

ウィーン北部
<街並みにふと尖塔が現れるのが、この地区の醍醐味>

目次

現存するウィーン最古のルプレヒト教会

ウィーン旧市街でも群を抜いて古い外観の教会が、ドナウ運河沿いに建っています。1200年頃には既に「最古の教会」として書物に登場している、ルプレヒト教会です。

ルプレヒト教会
<ルプレヒト教会外観>

この教会の名前にもなっている聖ルプレヒトは、7世紀のザルツブルクの司教です。大聖堂を建設し、後に塩の守護聖人となりました。中世初期、塩の交易で栄えたザルツブルク司教座の影響を受けた教会が、ウィーンでもいくつか作られています。

ルプレヒト教会は8~9世紀ごろには建てられたとされますが、現存している最古の部分は、12世紀初頭のロマネスク様式です。13~14世紀にはゴシック様式に改築され、その後バロック様式で増築された部分もあり、まさに建築の歴史をたどっているようです。またこの教会には、13世紀のウィーン最古の鐘や、14世紀に作られたウィーン最古のステンドグラスなどもあります。

実際には、後述するペーター教会の土台が4世紀のものですので、ルプレヒト教会は「ウィーン旧市街に現存する最古の教会」ということになります。

ルプレヒト教会
<ルプレヒト教会内部>

この近くに塩を輸送するドナウ川の船着場があった関係で、この建物は16~19世紀半ばまで、塩役場として使われていました。塩の専売特許性がなくなり、自由販売となったため、この建物は再び教会として使われるようになったという経緯もあります。

>>ルプレヒト教会の公式ホームページはこちら

ドナウの水運を見守るマリア・アム・ゲシュターデ教会

「岸辺のマリア」の名の通り、建設当時はルプレヒト教会と同じく、ドナウ川の岸辺にあったマリア・アム・ゲシュターデ教会。

この場所には元々9世紀ごろに木造の教会があり、14~15世紀の間にゴシック様式に建て直されたとされています。水夫や漁師のための教会で、そびえたつ尖塔がとても美しく女性的です。

マリア・アム・ゲシュターデ教会
<マリア・アム・ゲシュターデ教会ファサード>

その後、ドイツのパッサウ教区に属したり、19世紀のナポレオンのウィーン占拠の際には、フランス軍の馬小屋として使われたりもしました。現在はレデンプトール修道会の所有で、ウィーンに住むフランス人やチェコ人コミュニティにもよく利用されています。

内部もゴシック様式の装飾が美しく、街歩きの合間にふらっと立ち寄ると、荘厳な気持ちになります。

マリア・アム・ゲシュターデ教会
<マリア・アム・ゲシュターデ教会内部>

>>マリア・アム・ゲシュターデ教会の公式ホームページはこちら

土台はローマ時代!バロック様式が美しいペーター教会

観光客がよく通るグラーベン通りからほど近くにある、豪華な建物がペーター教会です。地下を調べてみると、4世紀のローマ時代まで遡ることができ、ルプレヒト教会よりも古いとされています。ザルツブルク大聖堂と同じ聖ペトロを名に冠していることからも、ザルツブルク司教座傘下の教会であったことがわかります。

ペーター教会
<ペーター教会>

ローマ時代の教会は一度破壊され、8世紀にカール大帝が創立したという伝説もありますが、この教会が初めて文書に記されたのは12世紀のこと。現存するバロック様式の教会は18世紀になって建て直されました。巨大なドームに描かれた天井画がとても美しく、内部にいるととても広々と感じられます。

ここはよくバロック音楽のコンサート会場としても使われ、夜のライトアップも非常に美しいので、機会があればぜひ中で音楽も聴いてみてくださいね。

ペーター教会
<ペーター教会でのコンサートの様子>

>>ペーター教会の公式ホームページはこちら

ウィーン発展の起点となったショッテン修道院

上記の3つの教会が作られた後、当時のオーストリア君主、バーベンベルク家のハインリヒ二世は、ウィーンの都市機能を強化する計画を遂行します。そのためにまずは、シュテファン教会(後のシュテファン大聖堂)の建築に着手し、更に、1155年にショッテン修道会をウィーンに誘致します。

ショッテン修道院
<ショッテン修道院の教会ファサード>

中世の頃の修道院は、祈りの場だけでなく、図書館、病院、学校、職人や専門家などの集まる、知の殿堂でした。「ショッテン」というのは、「スコットランドの」という意味で、ケルト系キリスト教の修道会です。この知識集団を呼び寄せることで、一気に都市としての格を上げようとしたのでしょう。

更にハインリヒ二世は、シュテファン教会とショッテン修道院を建設する際、最古の三つの教会と関係が深いザルツブルクの司教座の影響を脱し、新たにパッサウ司教座の支援を得ています。まさに、古いしがらみを断ち切り、新しい都市を立ち上げるという気概が感じられます。

ハインリヒ二世は、ハイリゲンクロイツ修道院に埋葬されるという一家の伝統を破り、自らが作ったショッテン修道院に、妻と娘と共に眠っています。

ショッテン修道院
<ショッテン教会の外壁にあるハインリヒ二世像>

この教会はその後、天災で何度か建て替えや修復が重ねられ、19世紀にネオルネサンス・ネオバロック様式で再建され、現在はウィーン旧市街では二番目に大きな教区になっています。

ショッテン修道院
<ショッテン教会内部>

>>ショッテン教会の公式ホームページはこちら

教皇のお気に入り、アム・ホーフ教会

アム・ホーフ教会が建つアム・ホーフ広場は、ローマ時代から中世初期まではウィーンの中心地でした。

10世紀ごろからここに礼拝堂がありましたが、今の教会が建てられたのは、14世紀のハプスブルク時代が始まってからのことです。カルメル会やイエズス会などの修道会が入り、火事などで建て替えや増築も行われ、現在のファサードができたのは1662年でした。

アム・ホーフ教会
<アム・ホーフ広場とアム・ホーフ教会>

18世紀には隣の建物で、6歳のモーツァルトがウィーンデビューのコンサートを行い、この教会では、モーツァルトの父レオポルトが指揮をしたミサが行われました。

アム・ホーフ教会
<アム・ホーフ教会内部>

またここは、「ウィーンに教皇が来た時には必ず立ち寄る」教会として知られています。モーツァルトの時代、皇帝ヨーゼフ2世と会談した教皇ピウス6世がイースターの祝福を行ったのを始まりとして、1983年にはヨハネ・パウロ2世が、そして前教皇であるベネディクト16世もここを訪れています。

まとめ

ウィーンの北部にある5つの教会をご紹介しました。最も歴史のあるエリアだけあり、それぞれの教会の歴史は、ウィーンの歴史と深く結びついています。

それぞれの教会の特徴や背景を読み解きながら、ゆったりこの静かで古い地域の街歩きをするのも、ウィーンの教会巡りの楽しみ方の一つですね。

ウィーン旧市街教会巡りシリーズ

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ひょろ

オーストリア、ウィーン在住。10年以上暮らしてもまだ新しい発見の連続のウィーンの魅力を、記事執筆、現地調査、ネットショップなどを通じてお届けしています。国際機関勤務を経て、バイリンガル育児の傍ら、ミュージカル観劇が趣味。

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