イタリアの中のギリシャ世界 ~南イタリアでギリシャの世界に浸る~

古代ギリシャ人が地中海世界に植民を始めたのは紀元前800年ごろからと言われています。ギリシャ人が面白いのは、植民したところが都市国家になり、一つの国家になるところ。本国にあるポリスとも、同盟もすれば、敵にもなる。ギリシャ人の世界は地中海全般から、黒海までも広がり、そして、ギリシャ語の世界もこうして広がっていきました。

目次

ナポリの語源

南イタリア・ナポリ以南の都市は、大なり小なり、発祥はギリシャ人が植民した都市であることが多く、ナポリの語源は、ギリシャ語「ネアポリス」から、ナポリへと変化しました。

ナポリ1昼景.JPG
<ナポリ・昼景>

ナポリ2夜景.JPG
<ナポリ・夜景>

ギリシャ人は植民した土地土地で自分たちの神殿を建設したので、南イタリアからシチリア島にかけて、多くのギリシャ神殿と劇場跡が残されています。

ギリシャ神殿1:パエストゥム(Paestum)

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上の写真はナポリの南約100キロにある、パエストゥムにあるギリシャ神殿です。もちろん、世界遺産にも登録されています。ギリシャ本土よりも保存状態がよいとされています。

パエストゥム_2.jpg

実は数年前の春、おにぎり弁当をこの遺跡のそばで食べました。たんなる海苔巻きおにぎりですが、ギリシャ神殿のそばで食べていると、『日本人が、黒~いもの巻いた、変なもの食べとる。???』という顔で、他の観光客が通り過ぎていきました。

パエストゥム_3.jpg

パエストゥム_4.jpg

最古の神殿はバシリカ(Basilica)と呼ばれるギリシャのヘーラ神殿(Tempio di Hera)で、紀元前6世紀に遡る。世界で最も優れた、また最も保存の良いドーリア様式の傑作と言われています。

ギリシャ神殿2:セジェスタ(Segesta)

セジェスタ1.JPG

こちらはシチリア島のセジェスタにあるギリシャ神殿。パレルモの西南67kmの山中にある古代ギリシャ遺跡です。紀元前5世紀のドーリア式神殿は、現在シチリア島に残っているギリシャの神殿の中でも保存状態がよく、広大な自然の中にその凛とした姿をみせています。

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ギリシャ神殿3:アグリジェント(Agrigento)

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シチリア島の南海沿いの町・アグリジェントの町外れには「神殿の谷」といわれるギリシャ神殿が林立しているエリアがあります。こちらはその一つ、コンコルディア神殿です。

アグリジェント1.JPG

ここまで神殿ばかり見ると嫌になるかも知れませんが、本国ギリシャよりも保存状態の良い神殿がイタリアにあることはあまり知られていないので紹介しました。南イタリアを旅行すれば、イタリアとギリシャの世界に浸ることができます。

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余談(その1)

余談ですが、古代ローマが地中海世界の覇者になった時も、先進文化はギリシャ文化だったことはあまり知られていないかもしれません。ローマの貴族階級の家庭教師は大抵ギリシャ人奴隷であったし、貴族の子弟の留学先はギリシャのアテネでした。

世界3大美女の一人・エジプト女王のクレオパトラは、ローマ軍司令官であり恋人のアントニウスやカエサル(シーザー)とは何語で恋を語ったのか?と、考えたことはありませんか?

明らかに、国は違い、言語も違うはず。まさか、通訳を交えて、女を口説く男はいません。私はギリシャ語で会話していたと考えています。クレオパトラは、マケドニアから興って、ヘレニズム世界とわれる大版図を築いたアレキサンダー大王の部下のプトレマイオスがおこした王朝の末裔です。エジプト人ではなくて、ギリシャ人だったのです。ローマの貴族は、ギリシャ語で学問をしていたので、ギリシャ語とラテン語のバイリンガルでした。だから、アントニウスもカエサルも、当時の国際語であるギリシャ語を話すことに何の抵抗も無かったと考えるほうが自然ですね。

いつの世も恋をするには、言葉は大変大切であるということでしょうか??...

余談(その2)

もう一つ余談を、真面目な余談をしたいと思います。

紀元前27年、イタリア半島に誕生した小さな都市国家ローマは半島全域を勢力圏とし、やがて地中海全域を飲み込み巨大な国家「ローマ帝国」を形成しました。その後、国家は1200年続き、中でも「パクス・ロマーナ(ローマの平和)」と呼ばれる期間は200年にも及びます。しかし、皆様ご存知のごとく、都市国家の本家はギリシャです。

では、ギリシャの都市国家は巨大な覇権国家にはならず、なぜローマは覇権国家となったのでしょうか。一番大きな違いは、ギリシャの都市国家の閉鎖性と、ローマの開放性の違いです。都市国家の構成員は市民権を持った市民ですが、ギリシャのポリスはその市民権はそこに住む市民以外には与えなかった。ローマは周りの都市と戦争して勝利しても、そこの市民を奴隷に売り飛ばしたり、殺したりはしなかった。反対にその都市国家の自由民にはローマの市民権を与えて、ローマの共同体の一員としました。ローマ以外の市民には、納税の義務はありませんでしたが、ローマとは軍事同盟があり、ローマが戦争するときにはローマの軍団に兵士として従軍したわけです。

ローマはイタリア半島内の都市国家をローマの同盟都市としてその勢力を広げていきました。ローマはその同盟都市が攻撃された場合には、軍隊を派遣してその同盟都市と敵対する国との戦争をして防衛しました。キリストの弟子であるパオロは今の中東からローマに入ってキリスト教の布教をしていて、今のローマのサンピエトロ寺院がある土地で殉教しますが、彼はローマ市民権を持っていたので、ローマ帝国内を自由に旅行できたのでした。キリスト教が帝国内で勢力を拡大して、最終的にはローマの国教になったのも、ローマ市民権の恩恵といえ、宗教だけでなく、自由と民主主義政治の基礎となったと思われます。

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ドルチェビータ

2003年より2011年までイタリア、2014年から2017年まで英国にいました。

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