【歴史好き必見】礼文町郷土資料館で礼文島の歴史を辿ろう!

イランカラプテ~!!(アイヌ語で「こんにちは」の意味)

どうも。最近アイヌ語にハマっている、礼文島観光協会の久光です。

今回は礼文島の歴史が学べる礼文町郷土資料館についてご紹介します!

この礼文町郷土資料館、行ってみたらめっちゃ面白い!!

「え?そうだったの!?」みたいな発見がたくさんあったんです!

これは是非読者のみなさまにも共有せねば!と思い、こうして記事を書いています。

 

もし、僕の記事を初めて読むよ~という方がいらっしゃれば、是非こちらの記事からお読みください!

目次

1. 礼文町郷土資料館とは?

礼文町郷土資料館とは、礼文島の歴史や文化を伝える資料館です。

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ピスカ21(礼文町町民活動総合センター)という建物の中にあります。

礼文町郷土資料館

  • 住所:北海道礼文郡礼文町大字香深村字ワウシ
  • 電話番号:0163-86-2119(礼文町教育委員会)
  • 開館期間:5月~10月
  • 開館時間:8:30~17:00
  • 休館日:5月・10月:月曜日/6月~9月:無休
  • 入館料:高校生以上:個人310円・団体250円/小中学生:個人160円・団体130円/未就学児:無料/優待:身体障害者手帳、精神保健福祉手帳、療育手帳いずれか所有の場合
  • アクセス:香深港フェリーターミナルから徒歩2分
  • 滞在時間:30分~60分(じっくり回ればそれ以上)
  • 公式HP:http://rebun-museum.org/

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香深港フェリーターミナルから徒歩2分!みて!もう見えているくらい近い!

フェリー出航まで時間がある場合などでも、気軽に立ち寄ることができます。さらに雨が降った時でも安心して楽しむことができるんです。

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中に入るとすぐ右手に受付があります。

2. かつては海の底だった?礼文島の起源を辿ってみよう!

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みなさん。礼文島っていつできたか知っていますか?

礼文島は今から約1億年前海底にてその形が作られました。

1億年前というと、近日公開のドラえもんの映画「のび太の新恐竜」で、のび太たちがタイムマシンで行ったのも1億年前でしたね。恐竜がたくさんいた時代です。

余談ですが、礼文島には映画館がありません。見たい映画がある場合は、フェリーで稚内まで行きます。

そんな1億年前ですが、礼文島西海岸にある地蔵岩の付近一帯で、当時の地層が発見されているそうです。

地蔵岩の名前の由来は、お地蔵さんの手の形に似ているからと言われています。

礼文島の人気の観光地の一つですので、訪れた方も多いのではないでしょうか?

地蔵岩】

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桃の形で多くの礼文島ファンから愛される桃岩は、高さ249mの巨大な火成岩です。

今からおよそ1300万年前に、海底にてマグマが貫出してできました。

世界的にも珍しい溶岩ドームだそうです。

桃台猫台展望台】

そして今から13万年前、地殻変動により、礼文島は海底より地上へ、その姿を現しました

ちなみに隣の利尻島は、約200万年前の海底火山の噴火により誕生しました。

隣り合う島なのに、歴史が全く異なっていて、面白いですね。

そんな島の歴史を踏まえた上で、実際に郷土資料館へ足を運んでいきましょう~

ワクワク!!

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入口から入ると、礼文島の風景写真が並んでいます。

礼文島在住の写真家が撮影したもので、素敵な写真ばかり!

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こちらでは礼文島のジオラマを発見!一目で地形がわかります。

また、礼文島の遺跡や歴史についてわかりやすくまとめた「日本最北の遺跡の島」という映像が見られるコーナーもありました。

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トドとの記念写真コーナーも!

写真だと小さく見えますが、大人の身長くらいありました。でっかい!

ちなみに礼文島には、野生のクマやシカ、キツネなど、北海道ではよくみられる陸上の野生動物はいません。ですが、海岸では野生のトドやアザラシが見られることがあります。

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金田ノ岬より撮影。野生のアザラシが気持ちよさそうにお昼寝しています。

【金田ノ岬】

3. 縄文時代にタイムスリップ!?礼文島と人々の歴史に迫る!

ここからは、礼文島と人類の歴史について迫っていきます。

と、その前に、みなさんは、北海道の歴史についてどのくらいご存じですか?

実は、北海道の歴史は、本州のような、縄文時代・・・古墳時代・・・鎌倉時代・・のような流れではないんです。

本州と北海道、そして礼文島の歴史について、簡単にまとめてみました。

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本州では「稲作」をきかっけに、縄文時代から弥生時代に移り変わりました。ところが北海道では、気候条件からか、稲作を行わない生活が続いていたんです。これが続縄文時代と呼ばれ、北海道と本州の歴史の分岐点になっているんです。

北海道ではその後、「擦文(さつもん)時代」を経て、「アイヌ文化期」へと、独自の文化が発展していきました。

ちなみに擦文とは、土器の表面にみられる模様が、文様のようにみえることから名づけられました。

アイヌ文化期とは、本州では鎌倉時代を迎えていたころ、多くの和人(アイヌ民族以外の人々)が北海道南部より進出し、彼らとの交流が盛んになることで生まれた文化です。これは明治に入るまで、約700年続いたそうです。

・・・ははぁ。なるほどなぁ。

みなさんこれ、凄くないですか?

誰もが中学生のころ、戦国時代とか、室町時代とか、年号とか勉強したと思うんですよ。その時代に、同じ日本なのに、これだけ違う文化があったんですって!

じゃあ、日本最北の離島、礼文島では?

人々はどのような暮らしをしていたのでしょうか?

ここからは、その謎を紐解いていきたいと思います。

礼文島では今のところ、55の遺跡が見つかっていて、それらの遺跡からは、約4000年前の縄文時代から現代にかけて、継続的に人々が生活してきた痕跡が見つかっています。

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2019年には、礼文島船泊遺跡で見つかった縄文人の人骨から、ゲノム(全遺伝子情報)を高精度に解析することに成功したと、国立科学博物館の研究チームにより発表されました。礼文島で発見される骨や貝の化石は他の地域に比べると保存状態が良く、それが今回の解析につながったそうです。 

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礼文島ではニシンやホッケなどの豊富な海産物に加え、アザラシやトドなどといった海獣が多く生息しているため、彼らはそれを主な食料としていたようです。

遺跡から見つかったアザラシの骨。他にも、貝やニシンなど、当時の人々が食べていたと思われる、多くの出土品がとてもよい保存状態で見つかっています。

さらに礼文島を含む北海道北部のエリアでは、続縄文時代の終わりから擦文時代にかけて、オホーツク文化と呼ばれる独自の文化が営まれていました。この文化は、サハリン(樺太)から北海道に南下してきた文化です。

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オホーツク文化期に作られた土器の展示。

4. 【明治~現代】礼文島開拓の歴史を紐解く!

礼文島の開拓がはじまったのは、明治時代と言われています。

明治政府が新たな国作りを進めていく中で、礼文島への移住者が増え、徐々に現在の社会基盤が作られていきました。特に、青森県津軽半島からの移住者が多かったそうです。

中でも、礼文島の発展の基礎となったのはニシン漁です。もともと江戸時代から行われていたニシン漁は、明治に入ると漁法の発展により漁獲量が増加。明治から大正にかけて最盛期を迎えました。昭和に入ると衰退してしまいましたが、礼文島の経済に大きな影響を与えました。

・・・歴史の教科書みたいな説明文になりましたが、つまりそういうことです。

明治というと、近代化が進み、現在の日本という国が形作られてきた時期ですよね。時代の変化に合わせて、礼文島の開拓も進んできたことがわかります。

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礼文町郷土資料館では、当時のニシン漁で使われていた道具が展示されています。

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ちなみにニシン漁には大勢の人手が必要だったため、その人たちを泊まらせるために、ニシン番屋と呼ばれる建物が建てられました。 

写真は礼文島にあるニシン番屋を改築した、桃岩荘というユースホステルです。

そして、今から約64年前の1956年(昭和31年)、当時の船泊村と香深村が合併し、礼文村となり、さらにその3年後の1959年(昭和34年)に、現在の礼文町となりました。

礼文町郷土資料館の後半のエリアでは、礼文島開拓期~現在に至るまでの記録が残されていました。

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徐々に近代化していく様子や

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当時の島の様子を写真や資料で紹介しています。

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昭和30年代の礼文島の地図!

このほかにも、

礼文島の無形民俗文化財にも指定されている四か散米舞(しかさごまい)や、有形民俗文化財の厳島神社絵馬など、現代に残る礼文島の文化についても、詳しく紹介されています。興味のある方は是非お越しになってください。

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毎年礼文島の厳島神社祭で行われる四か散米行列。

5. 終わりに

いかがでしたでしょうか?

こうした、礼文島の歴史を踏まえたうえで、改めて礼文島を観光してみるのも面白いかもしれませんね。

もちろん、本記事では紹介しきれなかった礼文島の歴史がまだまだありますので、礼文町郷土資料館。是非足を運んでみてください。

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編集部註:本記事は2020年3月に公開しましたが、2021年4月に一部リンクを修正しています。

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礼文島観光協会の久光

初めまして!礼文島観光協会の久光と申します。礼文島の魅力に惹かれ、札幌から移住しました。現役観光協会職員、そして移住者としての目線で、礼文島の魅力を伝えます!

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