初めてのイタリアひとり旅は王道の観光地がてんこ盛り!人との出会いも旅の思い出

タイトルに「初めてのイタリア」というちょっとこっぱずかしいネーミングが付いていただけに王道のイタリア観光がてんこ盛りのツアーでした。

最初にイタリアという国に興味を持ったのは会社の同僚が塩野七生氏の「チェーザレボルジアあるいは優雅なる冷酷」の本にハマったからでした。
時は限りなく昭和に近い平成。
その時は同僚の暑苦しいくらいの情熱で語るイタリア中世の話を聞いて、フーンという感じでした。
しかし最近になってダンブラウンの「天使と悪魔」を観て、これはヴァチカン市国に生きているうちに行かねば!と思うようになりましたが一人で行く勇気もなく、最初はツアーよね〜というノリで参加。

せっかく行くからには(※ロンドンの失敗をしてはならじと出発半年前からアマゾンで塩野七生氏の本、イタリア関連を12冊ほど買いました。)というわけで私は出発前から中世への長い旅に出る事になったのです。

目次

ピサ麗しの斜塔

わざわざ傾いた斜塔を観に行く意味がわから〜んと思っていた不届き者をお許しください。

チェーザレボルジアはピサ大学に学びました。肝心のそのエリアには行けませんでしたが白亜のピサの斜塔が本当に美しかったのです。

そして冗談じゃなく中に入ったら床が傾いています。急な坂道を横を向いて立ってるような感じです。五感やられます。酔っ払いになった感じ。
実はまわりの建物も傾いているのだとか。
もとは柔らかい土壌の上に建てたいわば砂上の楼閣というところでしょうか。

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煙突みたいな無愛想な塔を想像していましたが、何という美しさ!

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三半規管やられます。こんなに傾いているなんて!

ヴェネツィア奇譚

昨年末にアクアアルタ(高潮)があり冠水して観光が中止になったそうですがヴェネツィアはこの時期はしょっちゅう冠水するのだとか。
その時はいつもより水位があったためやむなく観光が出来なかったらしいのですがそれで何かが流されたり壊れたりしたわけではありません。

ヴェネツィア サン マルコ広場。
この台は職員が毎朝出してアクアアルタに備えています。午前中はだいたい海水に浸かっているそうで台の上を歩いて観光が出来ます。

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ヴェネツィア本土から対岸を望む。

ヴェネツィアは昔々に潟に松の木を打ちつけて建物を建てて島となったので海抜が低いのです。
路地が多く迷路のようでした。

海洋貿易で栄えた船の玄関口であるサンマルコ広場も期待していた通りの素晴らしさでしたが圧巻だったのはサンマルコ寺院。
写真撮影禁止で歩きながらの観光。残念ながら立ち止まって見る時間はありませんでした。
ビザンチン文化の影響で西洋と東洋の融合した美がそこにありました。
今回もう一度見たい教会は?と聞かれたら私はサンピエトロ寺院よりもサンマルコ寺院です。

人がぶつかってきた時の違和感

ところで外敵から守るためにヴェネツィアの道も運河に架かる橋も狭く作られています。
だから人がぶつかってきても何とも思っていなかったのです。しかもチラ見した横顔は10代の東ヨーロッパ系美少女。
しかし同じ人が2度目にぶつかって来た時に違和感を感じました。
ふとたすき掛けしてさらに手に抱えているバッグを見ると閉めた筈のファスナーが三分の一ほど開いている!
そして白い手が確かに私のバッグの上にあったのです。私はとっさにその手を掴んで払いのけました。
掴まれた女の子は「私が何したっていうの?」と他所の言語で怒鳴ってきました。
多分そんな意味のジェスチャー付きで。

なるほど。
スリは逆に開き直って抗議してくるのだ、と呆れながらも怒りと哀しみが私を襲ってきました。
「あなた、まだ若いのに!」と日本語で怒ってみても通じるわけもなく、2人組みのスリは視界から消えました。
私の感じたその怒りはこの世界に対してのものでした。
物乞いやスリでしか生計を立てられない人達がいるのを放っている社会。
哀しみは私自身が怒りを感じながらも、その人達に何も出来ない無力な人間であること。
ヴェネツィアは世界から富裕層が集まります。港に停泊中の巨大クルーザーは個人の所有でした。

街中にブランド店も立ち並び、働く気があればまだ若い彼女らならば仕事には困らないだろうと思いますが、そのような考えは根本的に間違っていました。それは平和で幸せな日本人ゆえの発想だからです。
夕暮れのヴェネツィアもまた美しく、東欧の少女達には今日の寝ぐらはあるのだろうか、夕闇に包まれて消えた彼女達を思い船へと向かいました。
その後は飛んで来る鳩すらスリに見えたという...。

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ヴェネツィアの小径。行き止まりになると左右に道が分かれるがどっちに行っても目的地には着くらしい。外敵から守るための知恵だとか。

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ヴェネツィア ため息橋。逸話によると中世、刑務所から刑が執行される場所への移動路(橋の上)で運河が見えることからここでため息をついたらしい。
もうちょっとロマンチックな話を想像していましたが...。

フィレンツェ情話

塩野七生氏の「わが友マキァヴェッリ」三巻を読了しフィレンツェへ。
マキァヴェリズムという目的を遂げる為には手段を選ばない権謀術数の代名詞にもなっているマキァヴェッリではありますが、これを読むと陽気なイタリア人であった事が伺い知れます。
彼は29歳の時にフィレンツェ共和国の第二書記官になったわけですが、これは適当な和訳がないだけで実際には書記官というよりは外交官のような役割を担っていました。
在職中は他国の王や、時の人だったチェーザレボルジアやプリマドンナディターリア(イタリア第一の女)と謳われたカテリーナスフォルツァと接触したり等、ほとんどを国外で過ごしたのです。
しかしフィレンツェ共和国の影のドン、メディチ家と共に彼はフィレンツェ追放になります。
正確に言うとマキァヴェッリだけは市街地への追放に。
それが彼に君主論を書かせる時間を与えたのは皮肉なものです。
その後は政略論やなぜか喜劇を書いたりしながら政界への復職を望みながらも彼の思うようなポジションには戻れず、最後は選挙に打って出るも敗北し、失意のあまり57歳で病死してしまいました。

塩野七生氏はそのマキァヴェッリの現存する往復書簡を使って彼の人生を鮮やかに描きました。
書いた書物からその人となりを想像してしまいますが、マキァヴェッリの場合は彼の書いた喜劇「マンドラゴラ」に彼のイタリアン気質を見いだす事が出来ると思います。
マンドラゴラは美しい人妻に恋した若者が夫や人妻の家族を騙してまんまと人妻と一夜を共にする喜劇です(笑)
マキァヴェッリも人妻に恋したり、ひどい娼婦を買わされた、と自分の色事を毎回詳しく手紙に書き残しています。
読み手も陽気なマキァヴェッリの手紙を心待ちにしていたようです。
しかし彼が残した言葉「わが魂よりも祖国を愛す」は彼の送った愛すべき凡人としての男の一生を浄化しているように思われます。
フィレンツェでマキァヴェッリの像を見るつもりだったのですが、どこにその像があるのか調べていたにも関わらず、全く彼の事を忘れて美しい街並みに心を奪われていたという...。(何の為に本を読んでいったのだか)

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ミケランジェロ広場から。あいにくの雨でしたが靄がかかっているフィレンツェの街は情緒がありました。

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大きなクーポラで有名なサンタ マリア デル フォーレ。色遣いがピサとは違いシックな面持ちです。

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前日フィレンツェでの夕食で赤ワイン「キャンティ」をオーダーしました。このワイン蔵はマキァヴッエリの子孫の経営だそうです。日本でもひと昔前のワインブームの時からのお馴染みの銘柄です。
マキァヴッエリは仕事を失った後、彼の持つ肥沃な土地のおかげで食べていけたのでした。

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トスカーナ地方の名物。ビステッカ(ステーキ)です。肉は300グラム弱あります。滋味豊かな肉の味で、とても美味しかったです。
キャンティクラシコとよく合いました。

人を虜にするという魅力「ウフィツィ美術館」

フィレンツェ観光の目玉はウフィツィ美術館。もちろんクーポラで有名な大聖堂もですが、やはりメディチ家の財宝を展示しているこの美術館こそフィレンツェの生んだルネサンスそのものなのです(多分)
栄華を誇ったメディチ家は最後、後継者がいなくなります。その最後を守ったメディチ家の末裔は女性でした。
アンナマリアルイーザはメディチ家の血筋を美術品で遺しました。後世に絵画と共にメディチ家が語られるように。

アンナはメディチ家の全美術品をトスカーナ政府に寄付し、条件を出しました。それはフィレンツェに永久に留め置く事。こうして数々の作品が国外に流出せずにすんだのです。
ボッティチェッリのプリマヴェーラとヴィーナスの誕生をこの目で見た時に、その場を離れ難かった。
ヴィーナスの誕生はまさに奇跡のような絵画です。金色に輝く髪が風になびき、まるでそこに実在しているかのように語りかけてきます。
それからダヴィンチの受胎告知。
14世紀末にして計算し尽くされた絵画。
大天使の横顔には魅了されました。

正直絵画には今まであまり興味がなかったのですが、後世まで語り継がれる名画とはこれほどまでに人を虜にするという魅力があったのかと改めて驚きました。
ウフィツィ美術館は現在写真撮影は可能ですが、禁止に変わることも度々あるそうです。

しかし、ここは写真などは撮らずに生で鑑賞する時間を多く持つ事をオススメします。
私は売店で絵葉書を購入し毎日眺めています。

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昔の人はジムにでも通っていたのでしょうか。
皆さま筋骨隆々(笑)

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ツアーでは見所だけを巡るので次回は個人旅行で訪れたいです。一日中きっとヴィーナスの誕生の前にいそうですが(笑)

今回の旅行のメインイベント!ヴァチカン市国

イギリスでセントポール大聖堂を見た時に人々の信仰心、即ち欲望の深さに畏れを抱きました。(※たまたま前を通りかがり写真に撮って帰国してからそこが有名処である事に気づいた大間抜け)
ではキリスト教の総本山であるヴァチカンは一体どれだけすごいのだろうと興味が湧いたのです。

今回の旅行のメインイベントはヴァチカンでした。もちろんそれはシスティーナ礼拝堂。
システィーナ礼拝堂へはヴァチカン美術館より入場しました。

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ヴァチカン美術館入り口。早い時間にもかかわらずすごい人です。

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光眩しい!! ヴァチカン美術館の回廊です。

ヴァチカン美術館の豪華さは言葉になりません。数々の絵画、彫刻、タペストリーで埋め尽くされています。

そしてついにシスティーナ礼拝堂。
一切の写真撮影、そして私語すら厳禁とされる聖なる場所。

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システィーナ礼拝堂への入り口付近。この辺りからの写真撮影は難しいです。

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ヴァチカン広場。この建物から法王が手を振っているそうです。

システィーナ礼拝堂の壁画はミケランジェロの作品です。
その昔識字率は低く庶民は字が読めなかった為、聖書の言葉を絵にして語ったとか。
天地創造からアダムとイヴ、ノアの箱船、最後の審判までを天井画にしたのです。
宗教とは救いの手を差し伸べているのではなく脅しによりその力を増大していったのだと改めて理解しました。
人々はシスティーナ礼拝堂の壁画を見て悔い改めるのです。

ローマ聖地巡礼

最近の聖地巡礼といえばメッカの話ではなく自分の好きな作品などの発祥の地を訪れる事です。
その昔「ローマの休日」で一躍有名になったスペイン階段や、真実の口は単なる階段とローマ時代のマンホールの蓋です。
身も蓋もない話ですが本当にただの階段であり(実は今回は行っておりません)単なる口がある丸いレリーフです。しかしそこにヘップバーンが居た、さらに世にも美しいラブストーリーが展開された事によりこの場所は特別なものになったのです。
まさに聖地巡礼の始まりはローマからと言っても過言ではないでしょうか。

平成から令和に変わろうとしている今、残念ながらこの作品を観ずにローマに来ている若い方がおられます。
なんでマンホールの蓋に手を突っ込んでるの?という疑問を払拭出来ないようですが、ツアーに組み込まれているためにポーズなどを作って写真に収まっています。

これからローマに行く予定の若い方はぜひ先にローマの休日を観てから行きましょう。
私は帰国してスマホからローマの休日を観て、アン王女の運命に涙しました。何回観ても飽きない作品。
それにしても映画の頃と変わっていないローマの街並みには驚きましたが。

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サンタ・マリア・イン・コスメディン教会。この並びよう!この日は雨なので少なかったそうです。

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思っていたより、ちょっとユーモラスな顔ですね。ここは教会なので拝観料はいりませんが寄付箱があります。

イタリアひとり旅で体験した人との出会いも旅の思い出

旅の思い出は景色もですが最後は人との出会いになります。

フライトでの出会い

上海→ローマのフライトで隣に座った人はイタリア在住の若い中国人男性。飛行機に不慣れなオバちゃんの面倒をよくみてくれました。(中国語で話すCAの機内食の内容を私に英語で教えてくれた)
ある俳優さんにちょっと似ていてラッキーなロングフライトでした。

若いカップルとカプチーノの会

一人旅の割にはあちこちに出没し他の家族に割り込んで話していた困ったちゃんの私にいつも声をかけてくれた若いカップルと毎晩ホテルのバーでカプチーノの会を開いていました。彼らが居なかったら夜が寂しかったかもしれません。

スリの体験

それからヴェネツィアのスリの美少女。
不思議と怖いという感覚はなく、彼女のおかげで平和と安全な国の有り難みがわかったような気がします。彼女の手を掴まなければ、きっと私の異国の地での冒険は平坦なものになったであろうと思われます。

公共の場所に設置されているグランドピアノ、プレイ ミーとの遭遇

そして最後に極め付けはイタリアの空港でプレイミーに遭遇。
それは最近よく見かける公共の場所に設置されているグランドピアノ。誰でも弾いてよいのですが、だからといってそうそう簡単に弾けるものではありません。
私が弾ける曲は片手の「エリーゼのために」と「証城寺の狸囃子」だけ。
あ〜せっかくのプレイミーなのに、と思い最後に買ったカプチーノを飲みながらピアノを眺めていたら若い外国人男性が弾き始めた、その曲目はまさかのエリーゼのために!
さらにその男性は曲を知らないらしく、タラタラタ、から始まる部分をタラタラタラタラと一個分多い。しかも先に進まない。
ヒェ〜と思い、ついお節介な九州女子の血が騒ぎ、隣に行きいきなり参加。
真似して弾いてくれるのですが、やはり一個分多い。私が日本語で「一個多い!」と言うとマネして「イッコオオイ」と言う(笑)
ほんの少しだけ一緒に弾きましたが実は私も20年くらい弾いていない為、馬脚を現すのは時間の問題でした。逃げるように去りましたが次回はもうちょっと弾いてみたいと思いました。
プレイミーはピアノの腕前を披露する場ではなく、こんなちょっとした関わりを作る為のスパイスなのでしょう。
また出会えるかもしれないプレイミーの為に、ピアノの練習もしておこうと心に決めローマを後にしたのでした。

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トレビの泉。この後雨が降りましたが、この時間だけは奇跡的に降っていませんでした。
誰も映らないように苦心したのに、リアリティのある頭部が写り込んでいました(笑)

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夕闇に包まれるサン タンジェロ城。ローマ法王は中世、何かあるとここに避難したり、幽閉されたり、財宝を隠したりと色々使われたお城です。
ローマ関連の本はローマ法王を描いた「神の代理人」しか読んでいなかったので次回はローマ人の物語を読んで再訪したいです。

アリヴェデルチ ローマ!

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窓子

10年来の飛行機嫌いを克服して海外旅行が趣味になりつつある映画好きのSWオタクにしてトレッキー、さらに新撰組熱血ファン。勤務先は旅行会社 コールセンター。たまに不要な知識を暴走させてお客様と長話をしてしまう難癖あり。

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